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二日酔いうどん

 

何千回も二日酔いに苦しんで辿り着いた食事がある。二日酔いで料理をするのはかなり面倒だがつくる価値はある。

鍋にお湯を沸騰させる。

昆布だしで味付けし、何でもいいから野菜を入れる。昆布だしのみでは体に悪い。野菜からも旨みが出る。

日本酒をできるだけたくさん入れる。沸騰させるからアルコールが飛び、酔うことはないが迎え酒と同じ効果があり、血流がよくなっていくのがよくわかる。

部屋中に日本酒のいい香りが漂うが、ひどい二日酔いなのでいい香りが吐き気をもよおす。

日本酒で煮込むと野菜がネトネトに柔らかくなる。

鍋で沸騰させたままレンゲで汁を飲む。さっぱりしていておいしい。汗が出る。体の中の二日酔いの原因である毒素たちが溶けていく。

カップラーメンやインスタント袋うどんのうどんを入れる。付属のスープはつかわない。ラーメンでもいいが、うどんは昆布だしによく合う。煮込むのにも適している。二日酔いの体にはさっぱりした昆布だしと柔らかく煮込んだうどんがいい。ラーメンよりも体にいい。ラーメンには油が合う。二日酔いの体では油は消化できない。二日酔いにはうどんがいい。食べれば体がうどんを求めているのがわかる。

日本酒で煮込むとなんでもネトネトに柔らかくなり、うどんもネトネトに柔らかくなり消化にいい。インスタントうどんの香りがスープに溶け出し、体が本能的に炭水化物を求めているのがよくわかり、この辺からグンと食欲がわいてくる。うどんがスープの旨みを全て吸収し、うどんもスープも相互作用でどちらも旨味が増す。

さっぱりうどんを楽しんだら、今度はスープに醤油を垂らす。醤油はうまい、香りとコクが一気に増し、うどんもスープも3倍グレードアップする。

醤油に感謝し、今度は納豆のタレも垂らすと、さらに3倍うまくなる。

色々ためしたが、もうこれ以上はうまくならない。コショウや七味は好きな人にはいいかもしれないが、二日酔いの弱った体に刺激は毒となる。

スープが減り、もっと飲みたくなったら日本酒と昆布だしでかさ増しする。

日本酒、野菜、昆布だし、醤油、納豆のタレ、旨味しかない。夢中で食べ終わった頃には10だった絶望的二日酔いが43.5にまで治っている。体が温まっているうちに寝てしまい、起きて風呂に入れば健康体に戻っている。(山田)

 

 

| chat-miaou | 02:01 |
まぜそば

 

20年前、ツアー旅行でイタリアへ行った。

ツアースケジュールに組まれた食事はどれもうまくなかった。

現地は夜10時ごろまで明るかったが、暗くなると盛り場に出掛け、朝まで酒を飲んだ。知りもしないサッカーの話をイタリア人たちと適当に適当な英語で語り合った。英語のメニューも置いていないようなレストランがうまかった。チーズと食材のにおいがすごい。日本人は食べられない。メニューになんて書いてあるかわからないから適当に指さして頼んだらイカスミのパスタが出てきて、夏のゴミ捨て場の生ゴミのようなにおいで、一緒に行った日本人は一口しか食べられなかった。どんな味だったか今はもう思い出せないが、楽しかった。ああいうのはまた食べてみたくなる。

タイに行った時もたくさん外食した。プリックキーヌーという日本ではみない緑色の豆状の唐辛子があり、現地ではどの料理にも入っていて、唐辛子より辛くて日本人は食べられない。辛いより舌が痛くて噛めない。翌日肛門が風を感じるほどヒリヒリする。しかしうまい。

気温40度のタイでは日本と野菜が違う。タイのニラやキャベツにはあくがなく、甘くておいしい。生でモリモリいくらでも食べられる。野菜がナンプラーとプリックキーヌーとニンニクに合う。池袋のタイ料理屋「プリック」が比較的一番現地に近い味だがやはり野菜が違う。現地でしか食べられない味がある。プリックで、辛くて食べられない日本人もいる。かなり辛い。

タイで知り合いの家を訪ね、ご馳走になり、それが一番うまかった。今でも何度も思い返し、忘れられないほどうまかった。細麺にあふれるほどの生ニラや生キャベツなどの野菜をのせ、タイで袋入りで売っている豚の脂を揚げた物、揚げて味付けした小さなエビとニンニク、ナンプラー、味の素、すりゴマ、プリックキーヌーをまぜる。野菜が丼から落ちてしまわないように下の麺をほじくりだして野菜にかぶせるようにしてゆっくり慎重にまぜていく。よくまざって半分ぐらいの量にまとまってきたら食べる。旨みも半分に凝縮され、うまくてうまくて仕方ない。途中、もっと食べたくなってニラとキャベツを足して麺のうずに巻き込むようにする。味が薄くなってしまったから調味料を足す。追加が止まらない。味が濃いからごはんにも合う。野菜を食べ過ぎてもう食えない。

もう二度と食べることはできないが、あれをまた食べたい。食べた翌日にまた食べたくなるぐらいにうまかった。

アジア料理屋に行くと同じような「酔っ払い焼き」というのがあるがうまくない。

日本であれを真似すると、そうめんがいい。冬なら暖かいままでもいい。よく水切りしたそうめんに、サラダにつかえる生野菜をあふれるほどのせ、メンチカツを小さくきざんだ物とナンプラー、すったニンニクと一味唐辛子か七味唐辛子、味の素、オニザキのつきごま(白か金)でまぜていく。ニンニクは自分でする。自分ですったニンニクの汁が他の調味料とまざってタイ風の辛味になる、日本の野菜はタイと違うから、ナンプラーはにおいのない物にする。納豆のタレでもいい。醤油では代用できない。日本そばでもいい。うどんでもいい。ごはんでやるなら玄米がいい。白いごはんは味を全部吸い取ってしまい、べちゃべちゃになり食感が悪い。やわらかめにゆでたきしめんを熱いまますすればすぐにズドンと満腹になってうまい。

止まらなくなるから追加の野菜を多めに用意しておく。バカみたいに唐辛子をかけると汗が出てきて気持ちいい。

けっこううまいからタイから帰ってそればかり追求し、長沢にも食わせると、新しい味に喜んだ。刺激が強くてうまいからやみつきになる。

後日長沢に会うと、

「あれ以来、あれが食いたくてたまらないから、悪いんだけど、またつくってくれるかな?」

と恥ずかしそうに言った。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
まず、メシを食う 2

 

酒を飲みたくなったら痛風の痛みを思い出す。一度飲んだら絶対また飲みたくなる。脳と体が酒を求め続ける。

一度二日酔いになるほど飲んでしまったら翌日迎え酒をし、また二日酔いになり連続飲酒がはじまる。痛風発作が出るまでアル中生活から抜け出せない。

日が暮れて居酒屋の近くを通ると入りたくなるから日が暮れる頃にまずはメシを食ってしまう。アル中にとって食後の酒ほどまずい物はない。

アル中は甘い物を食べない。体が受け付けない。ケーキが恐い。生クリームが恐い。

焼肉と大盛ライスの後のコーラはうまいが、酒を飲んだ後にみんなで焼肉屋に行き、コーラを頼むが飲めない。自分でも笑ってしまうほどコーラが飲めない。「どうして頼んだのに飲まないの?」と聞かれても飲めない。焼肉にコーラはうまいと思っているから頼んだのに、酒を飲んだ後は体が完全に拒否して、一口も飲めない。コップに触れるのも嫌だ。

酒と甘い物は両極端で、二週間酒を飲まず、体から完全に酒が抜けると今度は甘い物が食べたくなる。酒の代わりに甘い物、アル中はみんな共通してそうなる。

禁酒に成功したアル中は甘い物を食べる幸せを語り、健康になり酒を飲んでいた自分を否定するようになるが、そのうちまた生きているのが嫌になり、酒に手を出し、甘い物など見向きもしない。甘い物では苦悩をやわらげることはできない、苦しみの時間を早送りすることはできない。

酒なしで乗り越えていきたい。酒なしで乗り切る習慣を身につけたい。時間が経って過ぎ去ってしまえばなんていうこともない。酔っ払って時間を早送りして生きてきたが、もう痛風の痛みに耐えられない。あの地獄の痛みを思い出し、飲まずに済ませる。

これまで酒でつぶしてきた膨大な暇な時間を前に、深く考えないようにして、日が暮れる前にはちみつをかけた食パンを1枚食べるだけで全然違う。甘い物を食べた後の酒は特別にまずい。アル中が甘い物を食べるのは覚悟と勇気がいるが、食べてしまえばなんていうこともない。食べ終わると、酒を飲みたくない自分がいる。

パン屋のパンがどこもうまい。10年前にくらべると、レベルが格段に上がり、どこのパン屋も10年前だったら都内で人気になるレベルに達している。家賃の高い都内を離れ、地元に帰ってくる職人が多くなり、都内に出なくてもうまい物がたくさん食べられるようになった。少子高齢化により、土地を相続してビルを建て、家賃なしで利益をあまり考えず、のびのびとおいしい物を追求していく人が増えた。

おいしいパン屋をみつけてパンに野菜をはさんで食べるとうまいが、たくさんはさめない。パンに野菜をのせて食べれば一度に食べられる野菜の量は増える。

どこのパン屋も食パンやフランスパンだけで十分うまい。よく水切りしたレタスに小さく切ったフランスパンを包んで食べるとうまい。

野菜サラダは新鮮さと水切りが勝負だ。腕を振って完璧に水切りすればするほど野菜はうまい。野菜がまずい店には行かない。自分で納得いくまで水切りした野菜の方が100倍うまい。

よく水切りしたサラダに小さく切った焼き立てのパンをまぜ、ドレッシングをかけながら箸か手づかみでバリバリ食べる。カリカリしたパンとザクザクした野菜の食感に夢中になり、一皿食べ終わると酒を飲みたい気分は消えていた。(山田)

 

| chat-miaou | 01:01 |
まず、メシを食う 1

 

外食に飽きると自炊する。

自炊すると本当にメシがうまい。何しろ自分の思い通りに味付けできるのだからうまいに決まっている。日々、道具や調味料が増えてくる。

私は遊び人の親の子なので、小学校1年の時から自分でメシをつくり、自分で弁当をつくったので、一通り料理はできる。魚もさばける。母は料理ができなかった。

いきついたのはヒガシマルのうどんスープで、味付けは一生これだけでもかまわない。もう10年以上、毎日のように食べている。ヒガシマルのうどんスープで野菜を煮込んでごはんかパンで食べる。汗をかいて体が温まり、体にいい。二日酔いに効果がある。あらびきコショウや山椒や醤油を入れればいつまでも飽きない。コショウも山椒も醤油も最近どんどん進化して、スーパーやデパートに新製品が並ぶ。

外で食うよりうまい。

ほかの出汁の素やスープもたくさん試したが、やはりヒガシマルのうどんスープが一番で、もう他を試すのは無駄になってきている。あんなにおいしいスープがどこのスーパーでも売っているのもいい。

デパートの食品売り場でダイトラの濃縮おでん汁というのをみつけた。スーパーもデパートも最近はバイヤーの腕が上がり、次から次にうまくて新しい商品が並ぶ。本気でうまいものを探さないと生き残れない経済状況になっている。売り場を散歩していると自分と相性のいい商品たちが目に飛び込んでくる。

ダイトラのおでん汁はすぐれていて18倍濃縮で、野菜を煮込むとうまい。野菜を食べ終わったスープをごはんにかけてもうまい。まだ出会ったばかりだが、もしかしたらヒガシマルよりもうまいかもしれない。

足が腫れ始めた。酒を飲んだら痛風の発作が出る。空腹になると酒が飲みたくなるから朝起きたらまず、メシを炊く。米や野菜をたくさん買い込んだ。皿と茶碗も買った。酒を飲んではいけない。歯をみがいて、体操をして、風呂に入って、すっきりしてからメシを食う。(山田)

 

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
料理番組

 

テレビで新キャベツを食べている人がいて、「肉なんかよりキャベツが大好き」といっていたが本当かな?

顔も体も肉が好きそうなタイプで、他の番組では揚げ物大好きといってとんかつにビールを飲んでいた。生キャベツよりとんかつの方が好きそうで、信用できないからこの人がテレビに出たらチャンネルをかえる。

この人はそばも水で食べた方が好きだという。その方がそば本来の味と香りがわかる。いちいちそんなことばかりいっている。

私もキャベツが好きだが、肉なんかより、とまではいえないし、そばをそのまま食べてみることもあるが、一口ためすだけで、だしで食べた方がうまい。

もしこの人が私の部屋に疎開するか、私と合宿したとする。昼、ざるそばを食い、私が濃いめのだしでそばをすすり、彼には水とそばを出し、夜には鍋をやり、私が肉を中心に食べ、彼にはキャベツを中心に食べるようにいったら彼は私に殴りかかってくるような気がする。

プロの料理人がつくる料理やNHKの料理番組をみているとおいしそうだが、たまに有名人がまずそうなものをつくる。

きゅうりのおしんこのパスタはまずそうだった。毎食おしんこにごはんでいいという人ならおしんこパスタもいいだろうが、それならパスタにおしんこをからめて食べるよりごはんで食べた方がいい。高菜パスタや梅パスタは市販のソースとして売っているし、他にもおいしいソースがスーパーにいくらでもある。つくった本人が本当においしいと思っているのか疑問だ。こういうものがうまいなら塩とオリーブオイルをあえただけでもかなりうまい。

インスタントラーメンをパスタ風に調理する人もいた。乾麺に油が大量にしみ込んでしまい、そんなものにのりをまぶしている。味付けすればするほどまずそうで、こんなものをおいしいというのだったらもうテレビをみるのはやめよう、と思いながらみているとさすがに司会者が「これはちょっと…失敗じゃないですか?」と苦笑した。

口に入れようとすると「どうよ? うまいっしょ?」と聞く人がいる。そんなことをいわれたら「いや…これは正直にいわせてもらえば…うまくない」とはいえまい。どうみてもプロがつくったものとは違ってうまそうではない。正直にいってしまえば番組の空気が悪くなり、以降仕事がこなくなる。

タモリが料理をしているとみる。タモリがトマトを熱湯にくぐらせ、それからすぐに氷水にひたし、皮をむいてから食べるのがのおいしそうだった。その後、うまそうにビールを飲む。料理をしながら常に片づけをしているのも参考になる。

「酢豚は料理しながら味を調整したらダメだね。最初に調味料を混ぜてつくっておいて味を決めたら、後はもう足さない。酸っぱいんだか甘いんだかしょっぱいんだかわからなくなって切りがなくなる」「カレーなんていうのは何でもカレー粉入れればカレーだからね」

毎回いつもうまそうで影響を受け真似している。タモリの家に招待された人の話を直接聞いたことがあるがタモリのつくる料理は本当にとてもうまいという。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
『明暗』



漱石が死んでしまったので途中で終わってしまっている。人間関係が複雑で、それでいてみんな不自然に知り合いだったりする。漱石の小説には偶然出会ったり、学校時代の知り合いだったりするものがある。普通の作家が悩んでしまうタイトルも適当につけたりする。『明暗』の人間関係は極端につながり過ぎている。

 

主な登場人物

●津田 基本的に快楽主義者。清子にふられた後、延子に出会い、延子に惚れられ、結婚する。

●清子 津田の元彼女。津田と付き合っていたが、突然、他の男と結婚する。

●延子 津田の妻。父に頼まれ、本を借りに行った先で津田に出会い、津田の対応に感心して、この人だ、と決める。叔父・岡本に育てられた。

●吉川 津田の父の友達。津田の会社の上司。延子の育ての親である岡本の兄弟分。この関係が理由で、津田は延子と結婚する。延子を大切に扱えば扱うほど、自分の株はあがり出世できる、周りから援助してもらえる。

●吉川夫人 おせっかいな世話好きな太ったおばさん。津田と清子をくっつけようと奮闘したが、失敗。その後、津田が延子と出会ったことを知り、今度こそはと再び燃え、津田と延子の仲人をつとめた。いちいち面倒くさいおばさんで、自分が人間関係に入りこまずにはいられないトラブルメイカー。津田が清子に未練があると無理矢理決めつけ、津田を清子に会いに行かせる。清子は流産した後、一人で温泉療養していて、津田は吉川夫人が旅費を出してくれるというのでそれならばと会いに行くことにした。

●小林 津田の学生時代の知り合い。いちいち面倒くさい嫌な男で、人の嫌がることばかりする。借金を申し込み、人の金を気にし、延子に清子のことを話そうとし、関係ないのに人の知り合いに会いに行こうとしたりする。みんな小林に会いたくないのに会いにくる。芸術家の卵を連れてきて津田に会わせ、絵を買わせようとしたりする。読んでいて本当に迷惑だ。

 

みんなが津田が本当に延子を愛しているのか疑う。津田は本当はそういうことはどちらでもいい。みんなが疑っているから、さすがに延子も気付き、津田を疑う。

漱石は『行人』でも「男は女を手に入れると熱がさめるが、女は逆。これは進化論からいっても世間の事実をみても明らか」と書いている。事実かどうかわからないが、漱石はそういう考えをもっている。

小説は津田が清子に会って話をしたところで途中で終わってしまっている。人は、嫌な人や変な人の話を読みたい。津田も、延子も、清子も、吉川夫人も、小林も変な人なので、最後まで書いたらいつものようにより面白くなっていくのは確実だった。漱石の小説にもドストエフスキーの影響が強くみられる。ドストエフスキーも夏目漱石も、作家は変な人に心ひかれる。変な人は面白い。ニュースを面白くしてくれるのはいつも変な人たちで、変な人は我々を楽しませてくれる。(山田)

 

| chat-miaou | 01:40 |
読みやすい本



私も関係者としてほんの少しだけ書かれたことがあるが、暴露記事に基本的にウソはない。ウソを書くと後で謝罪することになるので、記事をつくるために必ず取材し、最低でも誰かの発言を根拠にする。ただし、読者の反響を得るために、取材した相手の発言を大げさに書いたり、過大解釈したりすることがある。編集部では文章のいい回しとか表現として解釈することにしているが、取材を受けた人から抗議を受けることもある。「お世話になった人」と言ったのに、「大切な人」となっていたり、「そこそこ儲かったかな」と言ったのに「そりゃあもう、当時は面白いように儲かりましたよ(笑)」などと書かれたりすることがある。これはある程度は仕方がないことで、発言をそのままテープ起こししていては読みづらい文章になってしまう。言葉を足してわかりやすく、読みやすくする必要がある。

恋愛や金に関する恨み節の場合、発言が過激になり、発言や表現が事実を超えてしまうことが多い。この場合は暴露された側から抗議がくる。恨みがふくらみ、嫌な事実もふくらみ、被害妄想から、そんなこと言ってないのに言われたと思いこ込んでしまっていたりする。

こちらが本人に代わって勝手に相手が言うであろう記事を書いて、本人に読んでもらって承諾を得るという手法もある。

本の代筆の場合、本人に代わって担当編集者が資料をたくさん集めてライターと一緒になって1冊書き上げ、できあがったものを本人にチェックしてもらって承諾を得てから出版する。文章を書くのが面倒な人気者はこのパターンで何冊も出版する。もちろん1冊につき、2時間×4回=8時間程度本人をインタビュー取材して意見をたくさん聞いて文章に十分反映させる。薄い本や新書の場合なら、2で済ませる。ベテラン編集者になると、取材なしでも1冊つくれる。私もつくれる。取材1回で1冊つくったこともある。

私がこれまでに勤めた会社の暴露本が2冊出ている。登場人物たちが一緒に働いていた人たちなので興味深く、とても読みやすかった。早く先が読みたいから3行ぐらいづつ一遍に活字が目に飛び込んできて、あっという間に読み終わってしまった。

2冊のうち1冊は、ちょうど私が勤めていた頃の話で、儲けていた会社が崩壊していき、勤めていた人しか知らない内幕が描かれていて、当時一緒に働いていた人が、「山田君が書いたんじゃないのか?」と疑ったが、私ではない。たぶん当時の誰かが取材を受けたのだが、誰だかわからない。

暴露本には事実ばかりが書かれていた。「これはウソだ」というものは1つもみつからない。もう1冊も、登場人物たちは口を揃えて「全部本当」と言い、当時を懐かしんでいるふうだった。ただし、金に関する恨み節だけはやはり周囲の人たちよりも表現や憎しみが人一倍過剰になっていた。(山田)

 

| chat-miaou | 02:18 |
『こころ』



主な登場人物

●先生 何もしない人。親の遺産を叔父にごまかされ、一生人間をうらむ。誰かを信じたい。自分を慕ってくれる「私」だけを信じ、彼に自分の人生をつづった長い遺書を送り、自殺する。「もらえる財産は親が生きているうちにもらっておきなさい」「金で人は突然悪人に変わる」「私を好きになってはいけない。人にひざまずくと、今度はその人を征服したくなる」と「私」に教える。

●「私」 偶然鎌倉の海で出会った何もしない老人になぜか魅かれ「先生」と呼ぶ。

●先生の親友 先生は若い頃、親に勘当されて困っている幼馴染の親友を東京の下宿に引き取る。下宿先のお嬢さん静に二人とも惚れる。親友が先生に静への愛を告白すると、先生は静のお母さんに「静さんをください」と頼み、結婚が成立し、親友はショックで自殺する。遺書にはうらみ節はなかった。死んだ理由は先生しか知らない。静も何も知らない。先生は親友への裏切りをひきずり、静との間に子供ができないのも天罰だと思っている。

●静 先生の奥さん。

 

ある程度年齢がいかないと味わえない小説がある。

中学生の時、夏目漱石の『こころ』を読んだが、よくわからず、全然面白くなかった。

それ以来、今、読み返してみると面白くて、味わい深い。中学生ではテーマに興味が持てず、小説に入っていけない。

1人の女に対する嫉妬、親友の自殺、遺産相続、老い、何もしない人、何もできない人、などのテーマは中学生では味わえない。『こころ』はこれらのテーマを一通り経験した45歳を過ぎた頃から味わえる。

経験が興味を生む。山登りが好きな人が山登りの小説を味わえるように、刑事が推理小説を好むように、自分の興味あるテーマ、馴染んでいる設定の小説は読みやすい。

特に小説は自分で買って、自分でページをめくって、自分の意志で活字を目で追っていかなければならない。集中しなければ読み進めない。テレビや映画と違って、小説をダラダラ読み進めるということはできない。ムカムカしている時や、親友が自殺した時や、遺産相続争いをしている最中は小説は読めない。小説を読む時間は気分が落ち着いいていて、密度が濃い優雅な時間を過ごせる。

だからつまらない小説を読んでいる暇はない。自分に合った小説に出会えると、活字がすらすら頭に入ってきて気持ちがいい。活字を追う目が疲れない。一人で感動し、涙することもある。

私は、難しくなく、最後まで読み終わると気分が落ち着いていて、二言三言頭に残っている言葉がある小説を読みたい。(山田)

| chat-miaou | 01:31 |
『行人』



手に取るとぶ厚くて難しそうだが、読んでみると難しくない。誰もが考える、なぜ歩くのか? なぜ生きるのか? 楽になりたい、と悩み続ける学者の話。


重要登場人物

●一郎 悩み続ける学者。人とうまく付き合うことができない。

●二郎 一郎の弟。学者の兄を見守っている。

●直 一郎の妻。直は二郎のことが好きなのではないか、と一郎から疑われているがそんなことはない。

●父 一郎の父。一郎と逆で社交的。社交的なお蔭でそこそこ出世した。

H 一郎の親友。

●貞 女中。

 

一郎は誰ともうまく付き合えない。一緒に暮らしている父、母、妻、娘、弟、妹ともうまく付き合えない。家族と一言も言葉をかわさない日もある。

妻が弟のことを好きなのではないか、と本気で疑い、弟に妻と旅行して試してみるように頼むが、妻は妻なりにできるかぎり夫に尽くしている。一郎は妻と弟の関係を疑っているが、妻と弟に恋愛関係はない。

一郎は何事も考え過ぎてしまう。常に不安でいる。頭だけでなく、不安のせいで体も心臓もつらい。常にこんなことをしていられないと考え、起きたら歩く、歩いてばかりいられないから走る、終わらない。精神がやられる寸前でいることに自分でも気づいている。

人間の進化にも恐怖する。馬車、車、電車、飛行機、どこまで進化するか落ち着くことができない。

殴っても抵抗しない妻に恐怖する。もしも抵抗したって恐怖する。

一郎は親友Hと旅行し、じっくり語り合う。Hは一郎について二郎に詳細なレポート送ってくれた。

一郎にとって救いは死か、宗教か、狂ってしまうかしかない。宗教と死は駄目そうだから狂うしかない、と一郎は考える。

楽になりたい。学問をしてもわからない。本などなんの意味もない。

女中の貞のように欲のない人間になりたい。貞のようになりたいが、貞が一郎を幸せにできるわけではない。貞は幸せだが、結婚すれば変わってしまう。女は夫のために変わる。

答えなど最後までわからないまま人は死んでいく。一郎は苦しむためにこの世に生まれ、死ぬまで苦しむしかない。

漱石は深刻な人間の悩みを明るい物語で描こうとしたが、やはり結論は深刻になってしまっている。(山田)

 

| chat-miaou | 01:16 |
『彼岸過迄』


名作だった。すっかり夏目漱石のファンになった。

小説を読むということは自分を確認することでもあるので、自分の境遇と似た設定の小説が読みやすくて面白い。夏目漱石の小説には誰もがあてはまるような境遇が描かれ、だから誰にでも読みやすい。

『彼岸過迄』には人間の悲しみが楽しく描かれている。漱石は悲しいことをできるだけ明るく書く。『彼岸過迄』中の「雨の降る日」は、短編小説として独立して読める。漱石はこの章で、1歳で死んでしまった漱石の五女雛子のことを、宵子(よいこ)という名前で描いている。

「生きている内はそれ程にも思わないが、逝かれてみると一番惜しいようだね」

子供がいる人には泣ける。子供を亡くしてしまった人にはさらに泣ける。宵子が突然死した時、父親は紹介状を持って会いにきた客の相手をしていた。以来、父親は雨の日に紹介状を持って訪ねてくる来客の面会を断った。

 

主な登場人物

●田川敬太郎 職探しをしていて、コネを求めて友人・須永市蔵の叔父1・田口要作に会いに行く。田口からの指令で、田口家や須永家の話を聞くようになり、それぞれの境遇を知っていく。敬太郎は職に就けず、「遊んでいる苦痛」を味わっている。

●須永蔵 田川敬太郎の友達。実は父と小間使い・御弓との不倫関係にできた子供。御弓はすでにこの世になく、市蔵は大学卒業までその事実を知らされなかった。事実を教えてくれたのは叔父2・松本恒三で、育ての母には事実を知ったことは内緒にしておくことにした。育ての母は御弓を憎むこともなく、市蔵を自分の息子として育てた。市蔵は従妹の千代子が好きで、千代子も市蔵と結婚するつもりでいるが、市蔵は千代子を幸せにする自信がなく結婚できないままでいる。

●市蔵の母 姪・千代子のことを特別にかわいがり、息子・市蔵と結婚させたい。千代子が生まれた時からずっと市蔵との結婚を熱望し続けている。

●田口千代子 市蔵と結婚する流れで育ったが、結婚しないままでいる。活発でやさしい。

●田口要作 市蔵の叔父1。市蔵の母の妹の夫。千代子の父。

●松本恒三 市蔵の叔父2。市蔵の母の弟。雨の日に娘を亡くす。雨の日に紹介状を持って訪ねてきた田川敬太郎の面会を断る。

 

登場人物が人の気持ちを思いやるやさしい人たちばかりで悲しくなる。千代子が市蔵の母と一緒に、髪結いに髪を結ってもらう場面がある。

髪結いは千代子に島田を勧めた。市蔵の母も同じ意見であった。

島田に結った千代子はとても美しい。島田は、市蔵の産みの母の髪型だった。(山田)

 

| chat-miaou | 01:28 |