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介護日記

 

病院を訪ねると父の顔色がいい。ここ数年で一番顔色がよく、おだやかな顔をしている。気持ちよさそうに眠っている。病室を掃除しながら(あと10年は大丈夫だな)と思った。

(あと10年……あと10年というと今俺は47歳だから57!)

57歳なんて、あと3年でおじいさんになる。

人生は60歳からなんていうけれど、それはおじいさんが自己肯定するためにいっているだけのことで、60歳になったら全力で走ることもできない。誰だって若き日々に戻りたい。

母の介護は6年で終わった。父の介護は7年目になる。計13年も遠出することのできない生活をしている。主婦だってみんなそうだ、という考え方もあるが、大好きな子供や夫のため、自分が好きで選んだ道とは違う。介護や奴隷は自分の意志とは関係なくやらなければならないことが多く肩がこる。どうせ数十年後にはみんなこの世にはいないのだから親なんて捨てて逃げればいいが、親子感情というのはそう簡単なものではない。恩義と幼い頃にやさしくしてもらった思い出がある。性格的に親を捨てて逃げる勇気や決意や気力もない。

57歳、実際にはそこまで長くは続かないとは思うが、何もかもあきらめた。

母の介護をしている時、まだ30代だった。狭心症の母は冬の夜、血管が縮んで胸の痛みに苦しむので石油ストーブをつけっぱなしにし、何度か蒲団を燃やした。火の番をしながら、もう就職なんてできないな、と考えていたが、母が死んで数か月後に、新雑誌創刊に誘われた。周囲から「よくそんないいところに就職できたね。やっぱり神様はみているんだなあ」と羨ましがられた。36歳でまた熱狂の青春時代が訪れた。

また編集者に戻れて嬉しくて楽しくて、会社に行きたくて朝が待ち遠しく始発で出社した。取材して記事をつくって本を出版できるなんて、遊んでいるのと全くかわらない。しかも取材費も給料ももらえる。人の嫌がる仕事を上司から押し付けられると燃えてきた。会社の電話が鳴ったら全部出た。元旦も出社し、他の社員の年賀状を仕分けし、机の上に配って回った。取材で遠出し、毎晩夜遊びし、きれいな女の子とデートし、眠らずに出社した。「シャブやってんの?」と友人に聞かれ、15キロ以上痩せた。痩せているから体が軽く、洋服が似合うから買い物も楽しく、もっと働きたくてアルバイトもして年収が600万円を超えた。

同じ環境はいつまでも続かない。全てに必ず終わりがくる。植木等のようなハイテンションでバラ色の生活は4年で終わった。会社をクビになって3か月後に大地震が起こった。父が被災し、津波で全てを流され、また介護生活がはじまった。(山田)

 

 

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