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吉野家対松屋

 

私の母は料理が下手だった。朝から晩まで働いていたから面倒くさくて料理に手間をかけなかった。性格的にも料理をするような人ではなかった。

私がポテトサラダを買ってきて冷蔵庫に入れておき、冷蔵庫を開けて食べようとするとポテトサラダに指を突っ込んだ跡が残っていた。母は冷蔵庫から直に食事を取る人だった。食器を出すのも箸をもつのも面倒でそのまま手で食った。

私はそんな母が嫌いで、小学校5年の頃から一緒に食事をすることはなかった。

鍋に味噌とダシの素と野菜と水を入れて火にかけ、そのまま寝てしまう人だったから鍋が焦げて煙が出ているようなことも多かった。

弁当もそんな感じで、私の弁当をみたクラスメートが「腐っている」と評した。

だからおふくろの味なんてない。

お母さんがつくったものが懐かしく、おいしかったという人は多いが、それは生まれた時から食べなれているし、遺伝子によって体質が似ていて味覚が親と似ているからそうなる。

吉野家と松屋の牛丼はどちらがうまいかという論争を思い出す。

吉野家の牛丼の方が味が深くてうまいという人がいる。コクが強く、材料が松屋の牛丼よりこだわっているように思える。玉ねぎも太っていて歯ごたえがよく甘い。生卵と合う。

松屋のしょっぱめの味がうまいという意見も多い。味噌汁が自動的についてくるのをほめる人が多い。吉野家の味噌汁はインスタントで具に元気がなく、不自然に熱い気がする。松屋の味噌汁はつくりおきで油揚げが入っていて味噌とダシが馴染んでいる。

現在はどちらもレストラン化を進めているが、松屋の方がメニューが豊富で、家族連れやカップルが多くなっている。

食券を買ってから注文する松屋の自動販売機はメニューが多過ぎて複雑で立ち往生する高齢者が多い。それが嫌で、食後に現金手渡しで会計する吉野家へ行くこともある。しばらく松屋に通っていると、吉野家に行って会計を忘れそうになる。

牛丼が目的の人は吉野家、牛丼以外の食事も視野に入れておきたい人は松屋で、牛丼勝負ではなくなってきている。

牛丼なら吉野家ということになるが、これは私の意見であり、どうしても吉野家をほめてしまう。吉野家をほめるか、松屋をほめるか、はじめにどちらに出会ったかによってすでに決まっている。牛丼好きにそれぞれ聞いてみればよくわかる。

1980年代までは吉野家も松屋もまだ今のように全国展開していなかった。すき家もなか卯もまだメジャーではなかった。

地方から上京してきた人たちが手軽な牛丼を食べてみる。あまりのうまさと安さと満足感に感動する。一度食べたら次の日も食べ、100回は食べに行く。

舌が牛丼の味を完璧に記憶する。勤務先や学校の近くにあったのが吉野家だったか松屋だったか。初体験が吉野家だったか松屋だったか。どちらかが理想の牛丼となる。

実はどちらも同じレベルでうまい。

松屋の牛丼が初体験だった人はもう味噌汁なしの牛丼を食えない。

吉野家の牛丼はたまごをかけるとうまさが倍増しのど越しが気持ちいいが、松屋の牛丼の醤油濃いめの味付けはごはんに合うが生卵は合わない。松屋の牛丼は味噌汁をすすりながら食べると口の中で牛丼の飯粒たちがほどけて踊り、のど越しが気持ちいい。

夏、しょっぱい後の食後の一杯は、吉野家は水、松屋は冷たいお茶がポットに入れてカウンターに置いてある。

冬、吉野家にはあたたかいお茶がポットに入れてカウンターに置いてあり得した気分になる。

私は絶対に吉野家の牛丼の方がうまいと思っている。玉ねぎの甘さ、つゆだくの味の深み、生卵との相性、辛くない七味。吉野家の七味は辛みより風味を大事にしているから蓋を外して大量にふる人が多い。実はあんまりうまくない紅ショウガさえ愛しい。ビジュアル的に上に乗っけたくなる。それらの感動は松屋の牛丼では味わえない。私は松屋よりずっとずっと先に吉野家に出会い、吉野家の牛丼がおふくろの味になっている。(山田)

 

 

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