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健さんのこと


父の入院している病室で興味深い話を耳にし、帰りのそば屋でずいぶんと考えさせられた。

20代男性が脳梗塞で重度の後遺症を残し、母親がつきっきりで世話をしている。もう歩けないし会社勤めもできない。

母親によると、男性には奥さんとまだ幼い二人の子供がいたのだが、病気をすると子供をつれて逃げてしまったのだという。

窓際の男性をみると母の言葉に何の関心もしめさず、穏やかな表情でじっと外をみつめていた。

綺麗な顔をした人で、私は映画の中の高倉健を思った。あの顔では相当女性にもてたに違いない。喧嘩も強そうだし、スポーツもできそうだし、車の運転がうまそうだし、仕事もできそうだ。奥さんも美人だったろうし、子供もきっとかわいい。

顔と表情がお母さんの話と合わない。お母さんのいう通りだったら「余計なことをいうな!」と取り乱すはずだ。

別れは健さんから切り出したのかもしれない。

「あゆみ、お前はまだ若くてかわいい。まだまだ全然やりなおせる。俺のことは忘れて別の人生を歩め。純とホタルのことは頼んだよ、さあ、もういいからおゆき」

泣きながら健さんの看病をするといって聞かないあゆみさんを強引に説き伏せ、自らあゆみさんと子供の元から離れていったのではないのか。

様々な人生がある。健さんから離れず一生添い遂げるあゆみさんも感動的だが、健さんが突き放すことによってあゆみさんはもう一つの幸せを得ることができるかもしれない。

もし私が同じ立場だったら、あゆみさんに優しい言葉をかけてやることができるだろうか。「お前しかいない! 見捨てないでくれ!」と泣いてすがるかもしれない。いや、それは40歳を過ぎた私の意見であり、20代だったら健さんと同じようにあゆみを突き放すことができたはずだ。20代だったら、私の母もまだ生きていた。

人にはそれぞれ事情がある。その時々で、状況も意見も生き方もかわる。人の噂を私は信じない。

男は黙ってサッポロビール。美男子は得だ。周囲が勝手にいい方にいい方に想像をふくらませてくれる。(山田)


| chat-miaou | 09:23 |
門田さんのこと

 

行きつけの店には低所得者が多い。一人でホッピーを楽しむ客が多く、独身者が多い。4時過ぎから飲んでいるので正社員でないとわかる。いつもジャージかスウェット姿のおじさんは生活保護を受けている。夕方になると病院を抜け出して飲みにくるおじいちゃんもいる。

ガードマンをしている門田さん(たぶん)もこの店で一杯やるのが何よりの楽しみだ。門田さんはホッピーを焼酎ダブルで頼み、中ジョッキにホッピーを注いだらしばらく放っておく。それから店に置いてある『美味しんぼ』を一話読んで腹をすかせ、肺活量5000でハイライトを思いっきり吸い込み、怪獣のように煙を吐き出してから、いよいよ氷がとけて冷たくなったホッピーを一気に3分の2飲む。長い勤務時間で喉にたまった土ぼこりが一気に洗い流され、みているこちらまで涙目になる。私はいつもこの瞬間、心の中で門田さんと一緒になって雄叫びを上げさせてもらっている。この場を借りてお礼申し上げたい。門田さん、いつもありがとう。

ホッピーを頼りに生きる我々が集まるこの店に、場違いな人もやってくる。
4
人家族がいる。4人でパパ、ママ、お兄ちゃん、エミちゃん(妹)と呼び合い、とても仲がよい。4人とも働いており、月末の給料日になるともち回りで勘定をもつことにし、仕事帰りにこの店に集まってしまい、楽しく飲み食いする。先月はエミちゃんが奢ってくれた。
4
人で映画の話をしたり、音楽の話をしたり、パパとママの若い頃の日々を語り、2時間以上盛り上がってしまう。銀座や六本木や東京駅丸ビルのレストラン情報を交換し合うほどなので、かなりのエリート一家だと思われる。国際情勢にも詳しい。

我々一人客たちはホッピーを飲みながら黙って彼らの話を聞いている。みな彼らのような幸せな家庭に暮らした経験はない。

基本的に4人の話はそれぞれむかつくが、ママが一番殺意を覚える。

ママは我々のような貧乏くさい人間が大嫌いなのだ。酔っ払うと、焼きとんをモリモリ食いながら「働かない人間は許せない」とか「仕事をしていない人間に酒を飲む資格なんてない」とか「仕事帰りのお酒のおいしさを教えてやりたい」とか「この人たち働いてんなのかな?」とわめき出す。たぶん、我々のみすぼらしい姿をみると注意してあげたくなるのだろう。

ママがそういう話をはじめると一人客たちが続々と帰っていく。彼らがやってくると入れかわりに店を出る者も多く、4人と私、5人きりになってしまうこともある。もしこんな、人の心に豚足をかじりながら踏み込んでくるような女がヒットラー政権下のドイツでアーリア人として生まれていたらと考えるとゾッとする。

私もいつも隣で話を聞いていて、「ママ! もういい加減にしてよ!」と会話に入りそうになって店を出る。(山田)

 

 

 

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
ススムさんのこと

 
 

すごい人があらわれた。

ホッピーを焼酎ダブルで頼み、ホッピーを、まるでシロップのようにちょびっと入れてごくごく飲む。

さらに追加の焼酎をダブルで頼み、またホッピーをちょびっと入れてごくごく飲むのを繰り返す。

私は彼に釘付けになった。

飛び切りうまい沢庵一切れで大盛ライスを次から次におかわりするような飲み方だ。彼にみとれながら、自然に「焼酎がススムくん」とつぶやいていた。

本当にうまそうによく飲む。育ち盛りの中学生がよく冷えた牛乳を飲むようだ。

推定50歳、身長170センチ体重73キロ、それほど大きいわけではないのにりっぱな肝臓に恵まれている。背筋をピンと伸ばして嬉しそうにグビグビ飲んだ。

結局ススムさんは一本のホッピーで8杯か10杯分の焼酎を割ってみせた。私は先に帰ったからあの後、まだ飲んだかもしれない。

世の中には酒の強い人がいる。本当に酒の好きな人がいる。私はあんなホッピー1杯しか飲めない。

焼酎を飲むすばらしい才能を持ちながら無名なまま人生を終える人たちがたくさんいる。

ススムさんは焼酎の神様に愛されている。と同時に焼酎の悪魔にとりつかれている。もし毎晩あんな飲み方をしているのだとしたら肝硬変になる。

ススムさんはテレビのメガ盛り特集をみながら飲んでいた。

特大のスパゲティーや天丼が登場する度、嬉しそうな顔で「すげえな」とつぶやいていたが、ススムさんの方がすごい。(山田)
 

| editor | 01:01 |
自治会 2

 

私は地域の自治会で書記係をしている。月数回の集まりで、会議の時、2時間程度のみなさんの話し合った内容を2000字程度にまとめる係で、会議が少しでも早く終わるように私が発言することはない。

しかし、思わず口を出してしまった。

地域振興係の山本さんは、ラジオ体操、パソコン教室、映画鑑賞会、歩こう会、などなど、週に7日も地域振興係の仕事をやらされている。私は月に2日自治会の仕事に時間をとられるだけでも、早く2年の任期が過ぎるのを心待ちしているのに、週7日もとられてしまっては、どうしていいかわからないほど追いつめられる。

自治会の仕事をやりたい人はほとんど存在せず、そういう人の役に立つ仕事に向いている会長や副会長以外は頼まれて仕方なく引き受ける人ばかりで、私もそうだった。仕事をしていない、65歳を過ぎて、まだ歩ける比較的元気な人が多い。

書記の仕事をしたがる人はいなかった。立候補をしたのは私だけだった。誰とも話さず、黙って人の話をまとめるだけで、私はそれぐらいしかできない。

他の仕事は楽そうな順にジャンケンで決められた。

地域振興係の仕事は楽そうで人気だったが、週7日では話が違う。

「こんなに大変な仕事だとは思いませんでした。騙された気分です」

70歳を過ぎた山本さんは元気なくいい、涙を流した。

自治会のみなさんも同情したであろうが、発言は少なかった。山本さんをかばって地域振興係の仕事を手伝わされるようになっても困る。

話がそのまま流されそうになった時、私は気の毒になり、声を大にして口をはさんでしまった。私が地域振興係になる可能性だってあった、他人事ではない、山本さんに協力しなくてはならない、私が手伝ってもかまわない、とまでいってしまった。

話は、地域振興係を増やす方向に、というような感じになったが、嫌な空気が漂った。

自治会の集まりが終わり1時間後、自治会長から私の携帯に電話があった。

地域振興係のたくさんのイベントは全て山本さんが山本さんの判断で申し込んでいるのだった。山本さん自身が代表になり、役所や団体に申し込み、開催した。

事情を知らないのはご近所と付き合いのない私だけで、みなさんは事情を知らない私の発言に戸惑い、あの嫌な空気になっていたのだった。

私はなんとも恥ずかしく、自治会長に謝った。

山本さんは病気で入院してしまい、会長と副会長が地域振興係の仕事を引き継いだ。

もう口出ししない。私のような人間は、こういう仕事に向いていない。発言すればさらに面倒くさくなる。早く任期が終わってほしい。(山田)

 

 

| chat-miaou | 02:01 |
自治会 1

 


以前お世話になった自治会長さんが暇そうな私に目をつけ自治会の仕事を手伝ってくれないか、と頼みにきた。

色々助けていただいた方に頼まれて断ることができなかった。散々文句をいいながら2年間だけという条件で引き受けることになってしまった。

やってみるとそれほど大変ではない。大変ではないがプレッシャーに弱い私は、早く任期を終えたい。

本の編集や記事を書く仕事をしていた私に会長さんが書記の仕事をすすめた。月に数回ある自治会の集まりで話し合われたことを毎回2000字程度にまとめる。人の話を聞いて、文章にまとめる取材の仕事とまったく同じで、それぐらいなら私にだってできる。

他にもいろいろある。違法駐車の取り締まりや、ゴミや放置自転車の処理、近隣住民の苦情への対応。月に3日は取られ、土日祭日には用を入れることができない。

私も自治会長さんに苦情を相談しに行き助けていただいたことがある。ああいった人のために何かをしてくれる人の存在は本当にありがたい。彼らは、ほぼ毎日、他人のために働いている。それが本業なのかと思って、正直にいくらもらっているのか聞いてみると月に3000円だという。3000円では移動費や文具代などの消耗品を考えれば赤字になるだろう。

私も3000円受け取ったからには協力しないわけにはいかない。会長に誘われるままにボランティア活動に参加する。会長も自閉症の私に気をつかい、どうしても人が足りない時以外は誘ってこないので助かる。

老人の話し相手をする会に参加してみたが、やはり私などにはできる仕事ではなかった。恐くて知らないおばあさんと話をすることができないまま、全く役に立てなかった。

人のために働く人の姿に頭が下がる。いい人たちとの付き合いは悪いものではない。みなさん、私に余計なことを聞くこともなく「よく働いてくれて助かる」といってくれ、何度もお礼をいわれた。

人のために役立つのは難しい。向き不向きもある。私には全く向いていないので、大変申し訳ない。(山田)

 

| chat-miaou | 01:01 |
最高の飲み友達

 

スナックでなんとも楽しそうに話し続ける男性客二人がいた。ママも二人の話を聞きながら笑い、みんな楽しそうだ。嬉しそうにどちらかがずっと話している。

ママが「ホモみたいだね」といったがホモじゃない。一緒にいてムカムカすることがない。間がもたないということがない。二人だけでいつまでも話していたい。ホモみたいだが、ホモとは違う、最高の飲み友達だ。波長が合っている。相性がいい人がいる。一緒にメシを食ってもうまい。

いつも一人で暗い私にも、そういう友達がいた。

大田さんは50代で倒れ、酒の飲めない体になった。大田さんとの待ち合わせ場所にいく時、足取りが軽かった。早く大田さんに会いたい。ホモみたいだ。

大田さんとどこかの街でメシを食い銀座に出る。それから六本木をのぞきに行く。最後は新宿で朝5時か6時まで飲んだ。入る店がなくなるまで飲み続けた。いつまでも一緒にいたくて、最後は私が寝てしまった大田さんをタクシーまでかかえ、運転手さんに住所を伝えて別れた。大田さんと飲むといつもひどい二日酔いで一日中トイレにこもったが、二日酔いに値する酒だった。

大平さんともずっと一緒に飲んでいたかった。一度会うと10時間は飲んだ。話が止まらずいつまでも興奮していた。毎回どこか新しい街でメシを食った。大平さんは私に遊びを伝授しようとして、私は真剣に学ぼうとした。大平さんに会う日、私はいつも新宿の伊勢丹で新しい服を買って着替えてから待ち合わせ場所に向かった。出会った日から一期一会だとわかっていた。大平さんは50代で亡くなってしまった。二人で飲んだことは20回もなかった。

新宿に1軒、銀座に1軒、朝までやっているバーがあり、大田さんと飲んだ日も、大平さんと飲んだ日も、最後に辿り着くのはそのどちらかだった。

大田さんと大平さんと私が偶然揃うこともあった。不思議と大田さんと大平さんが仲良くなることはなかった。

二人が酒場から消え、私は一人で飲むようになった。

二人と飲み明かした酒場はまだ存在している。尊敬する大切な先輩二人がいなくなってしまい、私もあの頃の酒場に行くことはなくなった。銀座に行っても、大田さんと大平さんの幻を追いかけているに過ぎない。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
覚えてない頃 2

 

はじめて記憶をなくしたのは22歳の時だった。倉庫番のアルバイトをしていて、そこで出会った社員の赤坂さんがしょっちゅう女性がいるような飲み屋に連れていってくれ、私は朝まで飲むことを覚えた。

記憶がなくなるのは日本酒が多い。長時間飲むようになると、日本酒はきつい。日本酒を長時間飲むと、最後はいつも記憶がなくなる。はじめて記憶をなくしたのも日本酒だった。

仕事帰りに班長の山岡さんに誘われて、もんじゃ焼きを食べに行った。私は真面目な山岡さんと話すことがなく、話も合わず、間がもたないので冷酒を1升飲んでしまい、気付くと自分の部屋で寝ていた。

初めての記憶喪失に怯え、おそるおそる仕事に行くと、休憩室で山岡さんが嫌そうな顔をして赤坂さんに話をしていて、赤坂さんが腹をかかえて笑っているので、私も笑ってごまかした。

話を聞くとこうだった。

冷酒で酔った私は山岡さんに坂口安吾の『堕落論』について語り出し、その後、私がラーメンを食いたがると山岡さんが連れていってくれ、私はビールと酢豚定食を注文した。山岡さんがトイレに行き、戻ってみると手をつけていない酢豚定食を残し、私は消えていた。山岡さんは一人でラーメンを食い、残ったビールを飲み、酢豚定食を持ち帰ったという。

刺激を受けた赤坂さんが、その晩、飲みに連れていってくれた。

いつもより酔っ払った赤坂さんはずらりと並んだ自動販売機をみて、「お前、コーヒーが飲みたいだろ?」と私に聞き、「いいえ、飲みたくありません」と答えるとおごってくれた。自分でも一口飲んで、「これもやる」と言って飲みかけのコーヒーをくれ、隣のアイスも買ってくれた。赤坂さんは酔っ払うといつも持っているお金を全部つかってしまい、カードもいつも毎月の限度額までつかった。飲み代は全部赤坂さんが払ってくれた。

向こうから知らないおじさんが花束を持って赤坂さんに話し掛け、誕生日だから一緒に飲もう、と誘ってきた。

「てめえの誕生日なんか知ったことか!」とおじさんの胸ぐらをつかんだ赤坂さんだったが、おごってくれると聞くと気が変わり、一緒に飲みに行った。

ドレスを着た女性がたくさんいる六本木の高級なクラブに連れていってもらい、長細いグラスに注がれた酒が運ばれた。赤坂さんは「ハッピーバースデイ」といって仲良くおじさんとグラスを合わせた。

「このシャンパンきついな?」とか「このシャンパン炭酸抜けてんな?」と赤坂さんは言ったが、それは日本酒だった。

朝起きると、赤坂さんの家で蒲団で寝ていた。時計をみると、もう仕事の始まる時間が過ぎていた。こたつの上にわかりやすいように鍵が置いてあったので、きっと二日酔いの私が起きることができず、赤坂さんは先に倉庫に行ったのだとわかった。

電話が鳴り、赤坂さんからだと直感し、電話に出ると、班長の山岡さんからで、私が赤坂さんの家にいるのに驚いているので、事情を説明しているとどこかから苦しそうな唸り声が聞こえ、ドアを開けてみるとトイレで赤坂さんが座って寝ていた。

おそるおそるつついて起こすと、起きたばかりの充血した目で「人の家に入ってんじゃねえ!」と怒り出し、事情を説明すると、知らないおじさんのことを覚えていなかった。

赤坂さんは記憶がなくなるから日本酒は飲まないようにしていた。その日が入社以来初めての遅刻で、会社に着くまでに何度も吐いた。私が赤坂さんの蒲団で寝たことを知ると、悔しそうに歯をくいしばった。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
覚えてない頃 1

 

20代、激しく一緒に飲んでいた仲間たちは、みな残らず病気になったり、頭がおかしくなってしまい、今も一緒に飲むということはない。

尊敬している先輩も病気をし、もう一緒に飲むことはない。

大田さんと銀座でよく飲んだ。新橋にあったお多幸で待ち合わせ熱燗を飲み、トニーズバーでウイスキーのストレートを何杯もあおり、記憶をなくしてから銀座をはしごした。

何も記憶がないまま、月末私のところに銀座のクラブから数十万円の請求書が送られてきたことがあったが、請求書の日付をみると、間違いなく大田さんと飲んだ日だった。私の給料は25万円で、一晩で消えた。

たまに酒に酔った大田さんと口論になり、そのまま別れるということがあった。

翌日、私は悩みに悩み、彼に謝罪の電話を入れると、彼はいつも何も覚えておらず、ずっこけた。

いつものように覚えていない翌日、おそらく行ったであろう店に行って前夜の様子を聞いてみると、二人は店に入ってカウンター席につくなりうつぶせになって眠ったという。他の店でも同じだった。泥酔して、寝ているだけなのに、いつも110万円以上飲み代がかかった。

ある日は神保町の立ち飲み屋で待ち合わせた。二人でワインを2本飲み終えたところから記憶がない。

目が覚めると新宿ゴールデン街のカウンター席にいて、隣をみると大田さんがうつぶせて寝ていた。

何も覚えていないので、不安になって大田さんを起こした。

「俺たち、神保町の立ち飲み屋でワイン飲んでましたよね?」「…んん? 俺はその後、新宿の文壇バーに行って、それから編集者の集まる店に行ったような気がするんだけど、全て夢か? ここどこだ?」

いわれてみれば私も行ったような気がするし、たぶん行ったのだと思う。私はおかしくなってゲラゲラと大笑いし、大田さんも、「お前って本当のバカなんだな」と笑い出し、店の人が恐がった。

大田さんが行く銀座のクラブは華やかで綺麗な女性ばかりだった。彼の姿が酒場から消えてしまうと、それらの店も楽しくなくなった。

あの頃、毎回記憶がなくなるまで飲み、その時間にどれほどのストレスが消化されていっただろうか。記憶がある時はいつも忘れられないほどに楽しかった。大田さんと記憶がなくなるほど酔った時間はさらに楽しかったに決まっている。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
憧れの先輩



一言も話をしたことはないが、よく行く居酒屋の先輩たちの飲み方は参考になる。

私は彼らに影響され、ウーロンハイを焼酎ダブルで頼むようになった。酒を飲みはじめて20年以上経つがまだまだ修行が足りない。

ウーロンハイ350円のところ、焼酎をダブルで頼むとプラス100円、計450円で二杯分酔うことができる。

焼酎ダブルにも慣れてきたのでもう少し強くしてみようと思っている。

先輩方は最初ウーロンハイをダブルで頼む。ウーロン茶の小ビンと焼酎の入った中ジョッキが運ばれてくる。氷入りの中ジョッキになみなみ注がれた焼酎に色をつけるようにしてウーロン茶を注ぐが、ウーロン茶は半分しか使わない。濃いウーロンハイのダブルをハイピッチで飲み終わると、さらに追加焼酎をダブルで頼み、残ったウーロン茶でもう一杯割る。650円で4杯分酔う。

私はまだ3杯分だが、4杯分になるのは時間の問題だ。本当に勉強になる。

先輩方は店に気を遣ってウーロン茶で焼酎に色をつけているだけなんじゃないか、本当は焼酎だけでかまわないのではないか、とずっと疑問に思っていたら先輩の一人がついに、焼酎のボトルを注文した。2980円の高級ボトルを頼む先輩をみるのははじめてだった。

このところ店が込んでいてなかなか注文できないのにいらだっていたのかもしれない。

店のおばさんが焼酎のボトルを運んできて「えっと、どうしますか?」と先輩に割り方を尋ねた。

先輩は「何もいらない」と男らしく答えた。

それから中ジョッキにドボトボと焼酎をなみなみと注ぎ、うまそうにゴクリと飲みはじめた。周りの仲間たちの喉がゴクリと鳴るのが聞こえた。

もし、私が野球部のマネージャーだったら卒業式に制服の第二ボタンをもらう。放課後、下駄箱にそっと焼酎のボトルを差し込んでおく。思った通り、先輩にはウーロン茶も氷も必要なかったのだ。先輩が期待に応えてくれて嬉しい。感動した。

いかにもはじめて飲みにきたような若者が一人、カウンター席に座った。そわそわしながらメニューをみて、

「ホッピーのチュウ…」

と、か細い声でいったが間違っている。

中(チュウ)ではなく中(ナカ)でこれは追加の焼酎をさす。

店のおばさんに焼酎割のルール説明を受け、若者ははじめてのホッピーセットに挑んだ。

若者の隣の暇なおじさんがすることがないので氷入りの焼酎をマドラーでグルグルかき回し続けているのをみて若者も同じようにグルグルかき回し続けたが間違っている。間違っているのだが、あれはあれでよく冷えておいしい。(山田)

 

 

| editor | 01:01 |
遊びの先輩

 

とても大切な遊びの先輩の具合がよくない。今酔っ払うと誰かに電話しそうなので酒を飲まないようにしている。

起きている間はずっと大田さんのことを考えている。

大田さんと何度も銀座に飲みに行き、いつも朝まで飲む。

28歳の時、神保町の酒場で偶然出会ってからずっと憧れている。真似ばかりしている。

あんな酒の飲み方をする人は他にいないし、あんなお金の使い方をする人もいない。

人気者だから接待を受けることの多い大田さんだが、貧乏な私といる時は違った。おでん屋は私が出す。その後、銀座の高級クラブに行くと必ず大田さんが払った。

「銀座で一番高い鮨屋に行こうか?」「一番高いクラブに行こうか?」

私に遊びを伝授しようとしているのがわかり、私もそれに答えようとした。最高にかっこよく目標でもあり、いつかああいう飲み方を自力でできるようになりたいと目標にしている。大田さんに紹介してもらったたくさんの酒場に通い、いい思いをたくさんしている。

大田さんと飲むのはロックミュージシャンのショーをみるより華やかで楽しい。だからボーナスが入った時や、余裕があると彼に電話して飲みに行く。

何度も二人で飲み、全部覚えている。今年はまだ一緒に銀座に行っていないので競輪で勝ったら誘おうと思っている。

泥酔して眠ってしまう大田さんをタクシーに乗せ、運転手さんに住所を告げたり、取材道具がつまった重い荷物を持つのがいつもの私の役目だが全然嫌ではない。いつまでも一緒にいたいから開いている店がなくなるまで飲む。

大田さんからの誘いは断ったことがない。何か面白いことが起こりそうで電話があると急いで会いに行く。

特別な存在なのでどうしていいかわからない。

飲まなくていいし会わなくていい。心の支えなのでどうしても元気になってほしい。(山田)

 

| editor | 01:01 |