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傑作ドキュメンタリー作品

 

山に飛行機が落ちると、その周りに動物が集まることはなく、離れていく。動物は危険を感じると近寄らない。

人間だけが近づいていく。救助目的だけではなく、興味があって近づいてしまう。みたい。みたくてたまらない。

原一男監督『ゆきゆきて神軍』をユーチューブで少しみたら止まらなくなって最後までみてしまった。パソコン画面で映像をみるのは疲れるから長時間みることはない。映画は映画館か、部屋で寝っ転がってみたいが、『ゆきゆきて神軍』は続きがみたくて最後まで目が離せない。

はじめて原一男作品をみたのはなんとなくツタヤで借りた『全身小説家』で釘づけになった。こういう表現方法があるのをはじめて知ってショックを受けた。知らなかった本当の世界、隠された本当の世界というものに興味が芽生えた。続いて『ゆきゆきて神軍』『極私的エロス』にも釘付けになった。3本とも一瞬も目が離せない。映画をみながら、みてはいけない気分になる。『さようならCP』も興味深かった。

原一男の世界を満喫し、10年ぐらい経ち、内容を忘れかけるとまたみたくなり、『極私的エロス』(1974)『ゆきゆきて神軍』(1987年)『全身小説家』(1994年)をみるが、こういう瞬きもできないような面白い映画をもっとみたい。

原一男が尊敬する田原総一朗がテレビ東京のディレクター時代に撮ったドキュメンタリー番組が『田原総一朗の遺言』全7巻でDVDになっている。その中の「藤圭子」「山下洋輔」「白川和子」「高橋英二」の回が面白い。山下洋輔が学生運動家に囲まれてピアノを弾き、ピンク映画の女優白川和子が老人ホームを訪ねてスケベなおじいさんに乳首を吸わせてあげ、俳優高橋英二がガンになって死ぬ。田原総一朗のドキュメンタリー作品では、少年院から帰った不良少年の社会復帰を描いたものが有名で誰もがみたがるが、DVD化されることはない。この少年から田原は脅され、その一部始終は『小説テレビディレクター』に書かれ、かなり面白い名著となっている。

もう一人森達也監督の作品も釘付けになる。『A』と『A2』でオウム信者の真実を伝える。オウム信者が刑事に公務執行妨害で逮捕されるシーンは恐ろしい。テレビやマスコミの報道とは違うオウム信者と地域住民の友情のような関係に驚く。佐村河内守に密着した『FAKE』も瞬きできないほど面白い。『311』では震災直後の放射能の雨が降る福島県に突入し、宮城県では死体に遭遇し、撮影にきた森監督は遺族たちに怒鳴られる。

みるべきではないような、それでいてみたくて仕方がないから目が離せない。田原総一朗、原一男、森達也の3人にしか撮れない。高齢となった田原総一朗があのレベルのドキュメンタリー作品を撮ることは考えられない。原一男監督が新作ドキュメンタリー映画を発表するとは思えない。森達也監督に期待し、頼むからまた新作を撮って欲しい。

釘づけになるほど面白い作品にはなかな出会えない。3人のような作品に出会いたくてテレビのドキュメンタリー番組も海外のドキュメンタリー映画もチェックし続けている。(山田)

 

 

| chat-miaou | 03:01 |
好奇心の維持

 

1980年代、ラサール石井が雑誌ホットドッグプレスで受験コラムを連載していた。イラストはみうらじゅんで、そのイラストに「ラサール石井は日本で初めて受験をはやらせたすごい人」と書かれていた。みうらじゅんはその後、日本で初めて仏像をはやらせたり、ゆるキャラをはやらせ、マイブームという言葉をつくっていろんなものをはやらせてしまった。

自分で勝手につくったみうらじゅん賞は年々権威をもつようになっていき、受賞者の著書の帯には派手に受賞がうたわれるようになった。選考委員のみうらじゅんを前に軽々しく「僕にもみうらじゅん賞をくださいよ」などといおうものなら本気で怒る。ふざけているようにみえるが、ライフワークとして真剣にやっている。受賞者にはきちんとトロフィーを送る。

みうらじゅんの本を読もうと思ったが、本を買う前にポッドキャストとユーチューブで検索してみるとたくさん出てくる。話に勢いがあるから本を読むより楽しい。ケチらず、惜しげもなく面白い話を語るから本を読む必要がない。

「本当のこといったら、もうとっくに飽きている」という発言に驚いた。あんなに楽しそうに生き、みんなから尊敬されうらやましがられているみうらじゅんでさえ、実は物事に飽きている。

40歳を過ぎると色々なことに興味がなくなる。コンサートに行くのも面倒くさいし、芝居をみるのも面倒くさい。電車に乗るのも面倒くさいし、本を読むのもDVDをみるのも面倒くさい。実際、面白いと思えない。感受性が元気な若いうちに目立って面白い作品は一通りみている。既に面白そうなところにもいろいろ行って一通り経験してしまった。

そんなことはない! 面白いことはまだまだたくさんある! 次から次に誕生している! という人がいるが、そういう人はだいたい業界の人で、作品鑑賞も仕事の一部で、新商品を受け入れ、新しい世界を広げ続けなければ仕事にならない。本当のところはもう飽きていて、そういう人でも仕事を引退すると、とたんに新作には興味を示さなくなる。あらゆることは、すでに古典で語り尽くされていると知ってしまっている。

みうらじゅんによると興味を維持するためには大きな声を出すといい。大きな声で話していると、その気になってくるという。

面白い! といい続けなければ興味を維持できない。みんな努力している。

みうらじゅんが自身のエロスクラップを公開した時は衝撃だった。エロ本や雑誌の、気に入ったグラビア写真は捨てられない。多くの人がそんな写真を切り抜いて、大事にスクラップして隠し持っていたが、恥ずかしくて人にみせることは絶対になかった。みうらじゅんのおかげで写真を捨てられないでいるのは自分だけではないと知って安心し、コレクションを人にみせるようになった。持ち運ぶには重い雑誌から、人前で気に入ったグラビアページだけ破ってもって帰るようになった。アダルトビデオのベストシーンだけを自分で編集した作品をみせ合うようになった。どれも極端に性的嗜好が偏っていて、著作権が関係のない個人編集作品には情熱、信念、膨大な時間がつまっているから名作となる。

200巻を超えるみうらじゅんのエロスクラップは30巻を超えた時にパーティが開かれ、タモリ倶楽部で特集されテレビ放送された。

水着やヌードグラビアが並ぶみうらじゅんのエロスクラップだが、最近では自分の世界を広げるために女性だけでなく、ホモとスカトロも取り入れ始めたという。これまで自分の受け付けることのできなかった世界をスクラップすることによって徐々に体を慣れさせ、可能性を広げていく。(山田)

 

| chat-miaou | 02:04 |
『小保方晴子日記』

 

小保方さんが新刊を出したとテレビで知り、本屋に買いに行った。『婦人公論』の記事では篠山紀信が小保方さんの写真を撮っている。

人の日記なんて読む気がしない。新刊『小保方晴子日記』もちょっと読んでつまらなかったら捨ててしまおう、と思って買ったのだが、読み出したら止まらないほど面白い。本屋で買って図書館にもっていって読み始めると止まらず、早く次のページが読みたいほどだ。閉館時間になったので家に帰って風呂につかりながら続きを読み、それでも止まらず蒲団の中で最後まで読んだ。老眼がつらくなってから蒲団の中で寝転がって読書をしたのはこれが初めてだった。最後まで退屈することなく読み終え、もっと小保方さんの文章が読みたい。

巻末には話題になった瀬戸内寂聴との対談も収録されている。「頭が変になってしまいます」と語る寂聴に「十分、変になりました」と返す。小保方さんて本当に面白い魅力的な人だ。

前から思っていた通り、小保方さんは才能がある。ゴーストライターはつかわず、文章は全部自分で書いているそうだ。

これから先、研究者に戻りそうな気もするが、作家としても生きていける。作家になればこれまでの辛い出来事は全て芸の肥やしへと大転換する。通らなければならなかった試練となる。本が売れ続けると映画化され、さらに本が売れ、生活は潤い、人生の選択肢が増える。可能性の多い、バラ色の人生になる。そんな生き方ができる人はごくわずかしかいない。頭が変になるほどの思いをしなければ書けない文章がある。そういう思いをした、選ばれた人でないと日記なんて出版されない。ファンが多い深沢七郎や武田百合子の日記より面白かった。

デビュー作『あの日』は20万部以上売れた。

まだ小説は発表していないが、日記を読むとすでに小説も書いている。才能があるから1日で400字×50枚も書いてしまう。2日で125枚書いてもいる。

たぶん小説も面白いと思うが、もし、小説がつまらなかったとしても日記の出版はシリーズ化して欲しい。大手だけでなく、小保方さんの本を出版したい出版社はたくさんあるはずだ。今時、そんな作家は少ない。

涙ばかりの毎日を送り、将来に絶望し、誰も信じられなくなってしまった小保方さんのもとに瀬戸内寂聴があらわれ、小保方さんは感激し、復活がはじまる。精神を病んでしまい、薬に頼っていた小保方さんは薬を断つ決意をする。

あれだけ泣いたら顔も変わってしまう。しかし、どんどんいい顔になっていく。

よくぞ立ち直ってくれた。死ぬほどの経験をした人の書く文章は面白い。

割烹着とムーミンで人気者になった小保方さんが、亀のポンスケを抱えてマスコミから逃げ回る。電気を消した暗い部屋でじっと身をひそめている姿が悲しい。

文章がとてもうまい。太宰治に似たところがある。書こうと思って書ける文章ではない。悲しみの中にユーモアが潜んでいる。

●姉が目深にかぶれる麦わら帽子をプレゼントしてくれた。「似合っているよ」と言われて少し笑って、姉が帰った後、似合っていても誰にもみられるわけにはいかない、と思って一人で泣いた。

●「原稿を読んで小保方さんを見る目が180度変わりました。素敵な人だなと思って」と熱っぽい口調で意見をくれた。原稿を褒めてくれて嬉しいけれど、初対面の人に「素敵な人」の正反対の印象を持たれている現実に打ちのめされる。

●姪にサンタさんがきた。プレゼントのおもちゃで一日中遊んだ。私のもとには早稲田大学から、学位記の返還要求がきた。

●携帯を片手に、モニター画面に映らないように顔を背けた男に、インターホンを2回押されて、ドアをドンドン叩かれた。怖すぎる。

●「本は論文とは違います。間違えたら重版の時に直せるんで大丈夫です」とベロニカさん。そんな気楽にはなれない。私のミスは人のミスとは違うのだ。

●私より太った人に、ダイエットのアドバイスをされた。

●体重を増やすわけにはいかない。この体に刻みついたあの日々を忘れることは許されないから。

●この世に理不尽なことが起こる必要性はなんだろう。

 

新しい才能の誕生に、何度もうならされた。こんなに面白いとは思っていなかった。いい一日が過ごせた。(山田)

 

| chat-miaou | 02:03 |
『FAKE』

 

映画をみることはまずないが森達也監督の『FAKE』はどうしてもみたくなり、開映30分前に映画館に行き、整理券つきの入場券を買った。一番前の真ん中でみた。立ち見は1人で、整理券で満席になると、みな次の回のチケットを買うから混雑はなかった。

佐村河内守は耳が聞こえているのか、作曲能力はあるのか、観客は2時間近くスクリーンから一瞬も目が離せない。守さんが猫を抱き上げると「ニャーン」と嫌がり、守さんが「ゴメン、ゴメン」という。満席の観客全員が(聞こえているのではないか?)と心の中でつぶやく。被爆二世も嘘ではないのか、という疑問に守さんのお父さんが「だって私が被爆者なんだから仕方がない」といって、被爆者手帳をみせて怒る。守さんも怒って、お父さんの話をさえぎる。

森達也監督は守さんが聞こえているかどうかきっとわかっている。森監督と守さんが二人きりになって言葉をかわすと、ハラハラする。こちらもうすうすわかっているのだけれど、ばれそうで恐い。

奥さんの香さんも全てを知っていそうだが、ずっと手話をして守さんに相手の話を通訳している。テレビ報道では香さんのお母さんが「娘は守さんに洗脳された」といっていたが、映画で香さんは「守さんと一緒にいたかったから別れなかった」といって泣いてしまっている。

映画をみているうちに守さんと香さんのファンになってくる。守さんの敵たちに取材を申し込むと断られるから、守さんと香さんを応援したくなってくる。

1970年代ぐらいは有名人のプライベートはあまり詳しく知られていなかったから、守さんみたいに自分を演出する人が多かった。寺山修司は実はなまっていなかったし、ボクシングもそれほど好きではなかったなどという噂もあるほどで、そういう話は無数にあり、どれも本当か嘘かずっとわからない。

全てを知っているであろう香さんは、きっと芸能界はそういうもの、と思っているのではないだろうか。私もそう思っているし、テレビ関係や出版関係や広告関係の仕事をしている人もそう思っている。解釈を広げて演出をして面白くしなければ作品や商品にならず、仕事にならない。

守さんは「実は今は聞こえる」ということなく、聞こえないまま生きていく。もしも、それが演出ならば、私なら耳の奥に綿を入れてカメラが回っている間は常に全く聞こえない状態にする。これなら本当に聞こえないから疑われることもない。映画をみている間、そんなことばかり考えさせられ、ずっと面白くてあっという間に映画が終わってしまった。

ああいう映画なら一日に何本でもみられる。ずっとみていたい。

守さんをネットで調べていたら、みうらじゅん先生が守さんに間違えられた話をしていた。タクシーの運転手に「聞こえるんですね?」といわれた。「長髪にサングラスは俺の方が先だ」ともいっていて、聞き手の高田文夫先生が死ぬほど笑っている。

守さんをインターネットで検索すると、小保方晴子さんがセットのように出てくるが違う。小保方さんは「スタップ細胞はなかったようですが、私の担当した研究や実験では存在していたのです」といってしまえばいいような気がするが、そういわず、研究者の資格も仕事も失ってしまった。

作家の瀬戸内寂聴先生が小保方さんを応援して「またトップに戻ってくる」と断言している。小保方さんは寂聴先生の前で泣いてしまい、「先生、また必ず会ってください」といって寂聴先生とメールアドレスの交換をしている。小保方さんに会った人はみな彼女の魅力にひかれ、好きになってしまうらしい。私も会ったことないのにとっくに小保方さんを好きになってしまっている。小保方さんがかわいそうでならない。ふと気づくと小保方さんのためにしてあげられることはないか考えている。努力して立派に生きて夢をかなえた人が悲しむ姿はみたくない。ムーミンと割烹着とエリート研究者の組み合わせを実現できたのは小保方さんしかいない。

小保方さんは寂聴先生に「小説の書き方を教えてください」と頼み、寂聴先生は「見返してやれ」と応援している。

小保方さんの小説が読みたい。(山田)

 

 

| chat-miaou | 02:02 |
『漂流家族』

 
 

2009年に2週にわたって放送された『ザ・ノンフィクション』の「漂流家族 竹下家の9年」北海道編、埼玉編は傑作だった。

練馬のスナックで出会った二人が同棲、双子の出産をきっかけに結婚、その後、女ばかりの6人姉妹に恵まれる。8人家族は山村留学募集に応募し、北海道の極寒地域である浜頓別町に引っ越す。3年間月3万円の補助金が出て、家賃はただ、その3年の間に浜頓別町に家を建てるのが条件だった。

「よくいえば静かな所で暮らしたい。悪くいえば都会から逃げてきた」

竹下さんは30年ローンで2000万円の家を建てる。ローンの保証人は近所の酪農家である桜庭さんが「町のために」といって引き受けた。

「やっとここまで辿り着いた。俺一人だけだったら家は無理だったかもしれない」

家具も買い替え、桜庭さんが引越しを手伝ってくれた。夫婦で36万円の収入があるが、家と車のローンが18万円になった。

竹下さんは職場でのストレスをかかえるが、職場を混乱させているのは竹下さん自身だと職場に苦情の電話が入り辞職を決意、夫婦で桜庭さんに報告に行く。

「当然、俺が辞めるなということはわかってたよね?」「正直、全然頭になかった」「バカタレが!」

奥さんもとても魅力的で「もっと現実を見れ!」と怒鳴る桜庭さんに「見てます!」と対等に言い返している。

結局この時は辞職を思いとどまったが4年後に辞めた

北海道の家をそのままにして一家で埼玉へ、不動産屋を回ってその日のうちに家を借り、蒲団も冷蔵庫もテレビも電子レンジも一から買いそろえる。

生活に追われるお父さんは常にぶち切れ、お母さんも娘さんたちも、隣の家の人までぶち切れる。ぶち切れているお父さんのTシャツが頭に手ぬぐいをのっけて、茶碗に入浴している目玉おやじなのが非常によくできている。

バックミュージックに流れる美しい音楽が映像と合っていない。ナレーターの山本太郎と原日出子の声が怒りでふるえているように聞こえる。ナレーション原稿にも違和感がある。何もかもが奇跡的に素晴らしい仕上がりとなっている。

北海道の家のローンがそのままで、代わりに払っている保証人の桜庭さんが怒って電話をかけてくるが竹下さんは出ることができない。桜庭さんが北海道から埼玉まで竹下さんにゲンコツを食らわせにやってきて、結局桜庭さんがローンを払い続けて家を処分することになった。

番組はお母さんが失踪するところで終わってしまっている。

続きがみたい。皆さんがその後どうしているのか知りたい。

放送以来ずっと気になって『ザ・ノンフィクション』はすべてチェックしているが続きは放送されていない。「漂流家族」を超える作品もない。

一度『ザ・ノンフィクション』のスタッフに会う機会があり、「漂流家族」について興味津々になって聞くと、続きは撮影されていないらしく、がっかりした。

あんなに面白い作品はみたことがない。テレビでなくてもいい。映画でも、自主制作映画でも、DVDでも、竹下さんの発言をもっと聞きたい。竹下さんの書いた本が読みたい。自伝を出してほしい。作家になってほしい。竹下さんの大ファンになった。竹下さんの生き方をもっと知りたい。(山田)

 

| chat-miaou | 02:01 |
『貧乏心理学者の幸福論』

 

かたっぱしからドキュメント番組を自動録画しているが、ほとんど最初の少しを早送りでみて、消す。どうせ面白くない。

一つだけ、最後まで早送りして、消すことができず、面白そうな場面をみてみると面白くて最初からみはじめ、最後までみて感動し、繰り返し4度みてまだ飽きない。

2016119日放送のNONFIX『貧乏心理学者の幸福論』をみて感動した。

臨床心理士の矢幡洋先生の3人家族が素晴らしい。

とても仲のよい、矢幡先生と娘のエリさん、二人とも、何かに集中して、そのこと以外に目が向かない天才タイプで、二人の自由な生き方をやさしく見守り支え、疲れ果てているお母さんも学者タイプで、3人とも普通と違う。

名場面の連続で、3人それぞれの持ち味が50分という限られた時間の中に凝縮されているからあっという間に見終えてしまう。無駄がないのでもう一度み直したくなる。

矢幡先生は40冊以上の著書があるのに食っていけない。大きく見積もって、1500円の本を4000部発行するとして、印税は160万円、源泉徴収税を1割引かれて54万円。矢幡先生のような真面目な学者が本を書くのは簡単な作業ではない。時間も資料代もかかる。著述業で食べていくのは難しい。1年前に月37万円あったテレビ出演料も月6万円に下がっている。

この番組をきっかけに人気者になって欲しい。矢幡家にはそれほどの魅力がある。

京都大学を卒業し、現在は東大の大学院に通う矢幡先生ほどの有名人なら、大学教授になれそうな気がするのだが、もしも地方の大学に行ってしまうようなことになったら、奥さんや娘さんと離れ離れになりかねない。ファンとしては3人ずっと一緒にいて欲しい。

アイドルを目指している元自閉症のエリさんと矢幡先生の会話が楽しい。ヴォーカル教室の仙台の発表会に出たいが旅費がない。エリさんの希望を聞いた矢幡先生のエリさんに対する愛情に感動する。

「せ…仙台…」「仙台希望してんだよな、私は。卒業旅行も行ってないじゃん」「わかってる、ごめん」「どうなの? お父さん、それ」「じゃあ…」「どうなの?」「仙台の線で考えてみるか?」「考えてみよう!」「うん」

娘がかわいくて仕方がない。娘第一に生きている。娘の希望は全てかなえてやりたい。確かにエリさんは面白くてかわいい。矢幡先生の気持ちがわかる。矢幡先生はやさしい。応援したくなる。

矢幡先生の稼ぎが少なく、お母さんに負担がかかりぶち切れる。お父さんとお母さんがお金のことで延々といい合いをする横で、エリさんは黙々と焼きそばを食べ、きれいになった皿をテーブルに残して姿を消す。

この作品は会話が素晴らしい。お母さんが実家に帰ってしまった後、料理のできないお父さんがそうめんをつくる。

「ちょっとさー」「うん?」「家庭崩壊だよね?」「うん」「いえる? 家庭崩壊って?」「うん、いえると思うよ」

お父さんの目から涙があふれてくる。

「泣いてんの?」

エリさんがお父さんにティッシュを差し出す。

お母さんが帰ってきてハッピーエンドで作品は終わるので嬉しい。お父さんがお母さんを気づかってハヤシライスをつくる。カレーライスとか焼きそばとか、矢幡家の食卓には無駄がない。お皿3皿のみがテーブルに並び、余計なものがないから味だけに集中できる。炭水化物も肉も野菜も1皿にきちんとおさまっている。

復活した夫婦の会話がぎこちない。

「昨日のカレーと比べて少しは進歩がみられるかな? 次はシチューに挑戦かな」「シチューは簡単だよ、ルーを変えれば…」「ああ、そうなの、ふーん」

会話が途切れる。

「最後の晩餐とかいう言葉にしちゃ、ハヤシライスか…」

意味不明な場違いなお父さんの発言にお母さんは何も答えることができず、エリさんが答える。

「最後なわけないじゃん」「まー、そうだけどさ…」

こういう貴重な記録映像は続きを撮り続けて欲しい。(山田)

 

| chat-miaou | 01:01 |
『人知れず表現し続ける者たち』

 

テレビで芸能人がゲームで競い合っている。観覧者が「がんばれー」と応援する。大騒ぎで、みんな楽しそうに笑っていて、テレビを消す。

有名人がクイズ番組で頭のよさを競い合っている。仲間同士がふざけ合ったり褒めたたえ合っている。テレビに出ている人たちが年下ばかりになってしまうと、どうも彼らの話を聞く気にならない。名前も知らない芸能人たちが普段家で何をしているのか知りたくないからテレビを消す。

Eテレをみていると、障害をもった人の番組が多くなった。普通の人たちより障害をかかえている人たちの方が面白かったり、かっこよかったり、興味深い。身体障害者の番組をみていたら寝たきりで学校に通うことのできないとてもかわいらしい10歳の女の子が「寂しい?」と聞かれた。

「ううん、寂しくない。でも、いつもずっと一人でいるからもしかしたら寂しいということがわからないのかもしれない」

なかなかいえる言葉じゃない。あまりのかわいさに涙が止まらなくなった。

2017225日放送の『人知れず表現し続ける者たち』もとてもよかった。知的障害をもった人や、自閉症の芸術家たちがたくさん登場し、彼らの芸術活動を支える家族や周囲の人たちの姿が美しい。普通ではない人たちのよき理解者で、人の邪魔を決してしない心のきれいさが姿にあらわれている。話し方や話す内容や態度や服装がどれも上品にみえる。普通でない人たちも、それを理解する人たちもどちらも穏やかで静かに質素に暮らしている。

ひたすら糸を切って結んで芸術作品をつくってしまう男がいる。最初は施設の職員が糸をハサミで切らないように注意したが、どうしてもやめない。そのうちに職員は、それほど糸を切るのが面白いなら、糸をハサミで切っちゃいけないなんていうことはないのではないか、と根本からの疑問が湧き、男はひたすら糸を切って結ぶという芸術作品をつくるようになった。7年間、メシを食うのも忘れて糸を切っては結び続けているなんてかっこいい。

ある母親は自閉症の息子の作品を「かわいい息子のつくったものだからこの子(作品)たちもかわいい」という。

自閉症の心の中の苦しみをわかってあげられない苦しみを語る親の姿は感動的で、彼らの話を聞いていると、自閉症の人たちは実は何でもわかっていて、それでいてあえて黙っているのではないかと思ってしまう。あるお母さんは、息子が苦しみを語らない理由は親を悲しませたくないからかもしれないという。それほど登場する自閉症の人たちはみなやさしく周囲を気遣っている。言葉で表現できない分、芸術作品は精密さを増す。

言葉はないが相手を思いやりわかり合っている。自閉症の息子の話をするお父さんの目がうるでいく。特別に寒い夜、親子でウォーキングをしていると、息子がお父さんの帽子を後ろからひっぱる、寒いからこの帽子が欲しいんだな、と思って帽子を息子に貸そうとすると、息子が自分の帽子を脱いでお父さんにかぶせてくれた。お父さんは、息子が帽子を欲しがったなんて思ってしまって「ごめんね」あったかい帽子を貸してくれて「ありがとうね」と息子にいった。こういう人たちは信用できる。こんな話をできる人の子供は自閉症でも普通の人でもどちらにしろきちんと育つ。おじいさんももおばあさんも立派な人だったに違いない。いい子にしか育ちようがない。(山田)

 

| chat-miaou | 01:01 |
クロちゃん

 

テレビは面白くないものが多いが、それでもテレビをみないとすることがない。せめてみてしまって後悔しないように、あらかじめDVDレコーダーで面白そうな番組を録画してからみるようにしている。これなら、つまらなそうだ、と感じた瞬間に削除してしまえば余計なものをみないで済む。

DVDレコーダーにはキーワード自動予約録画機能がある。

「クロちゃん」を登録して、楽しみにしている。安田大サーカスのクロちゃんは初めてみた時から面白かった。スキンヘッド、口ヒゲ、スカジャンでどこからみてもヤクザのおっさんなのに声変わりしておらず少女のような声を出す。街でみかけたら目を合わせたくないし近づきたくないし、電車で隣の席が空いていても絶対に座らないほどの迫力ある見掛けなのに、いつもみんなからいじめられている。笑っていない時の目つきもかなり怖い。

クロちゃんはいつも楽しそうにいじめられている。楽しそうに仕事をしている。

漫画家の蛭子能収がテレビに頻繁に出るようになり熱湯風呂に入っていると、周囲から「みっともないことはやめてくれ」といわれたという。蛭子さんは「たしかにみっともないけれど、仕事はどんな仕事でもみっともない思いをするし、かっこ悪い思いをする。みんなはかっこ悪い思いを1か月して給料は30万ももらえないけど、俺は『スーパージョッキー』に出て熱湯風呂に入って1回の出演料で30万円もらっていた」と語る。みんなちゃんと計算して生きている。

みんなから「コイツ、ほんまに最低の奴っちゃな」とか「大っ嫌い!」「最っ低!」「ウソばかりつくなよ!」といつも怒られ、クロちゃんをみつめる客席からは「あー」とあきれたため息がもれるが、人気はどんどん上がっていきテレビ出演が途切れることがない。常にウソをつき、自分の身を守るために平気で若い女を裏切る姿が動物的でとても興味深く、学ぶところが多い。

あれはつくった声で、本当は太い声なのではないか、と誰もが思うが、しょっちゅうドッキリを仕掛けられ、夜中に寝ている時に横に知らない人が座っているのをみつけて悲鳴をあげた時も、それほど太い声ではなかった。謎が多いのもクロちゃんの魅力になっている。

クロちゃんの自宅にはしょっちゅうテレビカメラが仕掛けられていて、クロちゃんにプライベートな時間はない。部屋の中では裸でいることが多いので太った裸体もしっちゅう全国放送されている。普通の人ではあんな生活は耐えられないが、クロちゃんはいつも嬉しそうにニコニコしている。あの笑顔がいい。酒飲みで大食漢で常に何か食べていて痛風もちなのも親近感が湧く。健康番組に出演する度に医者からも冷たい目で嫌われて怒られている。本当はみんなクロちゃんが好きなのに。

クロちゃんの番組が自動録画されているのに気づくと期待がたかまる。この日は仙台ロケで、夜、キャバクラに行けなかったクロちゃんは納得できずに朝の6時に朝キャバに行こうとしたが、仙台に朝キャバはなかった。午前11からテレビ番組の撮影が始まるというのに午前6時に遊ぼうとしているのがすごい。今はこういう、少し無理をしてでも遊ぶ人が少なくなった。1990年代まではこういう遊び人たちが街にたくさんいた。クロちゃんはカメラに向かってかわいい声で仙台でも朝キャバをやってくれるようにお願いした。クロちゃんでなくカラちゃんとして100倍辛いラーメンを嬉しそうに食べさせられ、スキンヘッドが10秒でみるみる汗だくになっていき、唇が痛くてコップの水の氷で冷やしていた。(山田)

 

| chat-miaou | 01:01 |
ハル・ベリーのラジー賞

 

最高の映画を選ぶアカデミー賞の前の日に最低の映画を選ぶゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)がある。

最低だといわれた映画スターたちはもちろんこんなふざけた賞の受賞を無視するが、2010年にはサンドラ・ブロックが会場に登壇し、抗議のスピーチをして客席がわいた。最低主演女優賞をもらった『ウルトラ I LOVE YOU!』のDVDを大量にもち込み、みなにもう一度きちんとみて考えを改めるように訴えた。そしてサンドラ・ブロックはラジー賞翌日のアカデミー賞で『しあわせの隠れ場所』により主演女優賞を受賞した。サンドラ・ブロックの『ゼロ・グラビティ』の出演料は70億円、アメリカってすごい。

2005年の最低主演女優賞は『キャットウーマン』のハル・ベリーで、彼女も寒々しいラジー賞の会場に現れた。ハル・ベリーは2001年に『チョコレート』でアカデミー賞主演女優賞を受賞している。アカデミー賞の時に泣きじゃくった自分をパロディにして、ラジー賞の会場を爆笑の渦とさせた。『キャットウーマン』をこきおろし、マネージャーにちゃんと脚本を読むように念を押し、最低の映画をともにつくった仲間たちに感謝の言葉を捧げている。

さんざん会場をわかせ、そして「ジョークはここまで」として、突然まともなスピーチがはじまった。

「母から、負け犬となり批判から学ぶことができない者は勝者にはなれないと教わってきた。だからここにやってきたような気がする。ミスUSA大会で準優勝になった時、私は隣の女をはりたおしたかった。今もあの時と同じ気持ちだが、私はそうはしない。母に教わったように、こうして堂々とします。批判を受け止め教訓とします。そしてあなたたちには二度と会いたくない」

こんな感動的なスピーチはなかなかできない。心をわしづかみにされ、一気にハル・ベリーのファンになった。こんな時は決まって表情がいい。声がいい。色っぽくてかっこよくて優雅でかわいい。客席も大喜びで会場が一体となって盛り上がっている。全てがそろっている。彼女の映画を全部みたくなる。ラジー賞で一気に好感度を上げてしまうなんて誰も考えつかない。アカデミー賞の受賞スピーチよりも100倍よかった。(山田)

 

 

| chat-miaou | 03:01 |
前川清と藤圭子

 

子供の頃は気付かなかったが、内山田洋とクール・ファイブの

「そして、神戸」(1972

「長崎は今日も雨だった」(19692月)

はすごい。サビの部分だけでなく、一曲まるごと隙がなく名曲だ。ヴォーカルの前川清の歌声が歌詞の1字ごとに変化していくのが気持ちいい。外国のロックミュージシャンだってあんなすごい唄い方はできない。当時のレコーディングに立ち会ったスタッフたちの感動が想像できる。本当にすごい歌手だ。

同じく、藤圭子の

「新宿の女」(19699月)

「圭子の夢は夜ひらく」(1970

も歌詞の1字ごとに歌声が的確に変化していきすごい。あんな唄い方は真似できるものではないし、人に教わってできるものでもない。いくら努力してもできない。これほどの天才となると絶頂期は長く続かず、藤圭子は、のどの手術により、納得いく歌声が出せなくなってしまい、引退した。誰にも指摘されていないのに、自分一人だけで気付いてしまい、人を感動させる歌声が出せなくなったと判断して唄うことをやめた。天才の歌声は凡人を感動させ、何度でも聴き惚れる。

4曲続けて聴いていたら耳も頭の中もうっとりと気持ち良くなり、何日も4曲だけを繰り返し聴き続けた。

「長崎は今日も雨だった」は19692月の内山田洋とクール・ファイブのデビュー曲で、

「新宿の女」は19699月の藤圭子のデビュー曲で、

こんなにすごいデビュー曲って他にもあるのだろうか。

二人の天才のことを考えながら4曲に繰り返し聴き惚れていると、狼の化身である前川清が月に向かって唄い出し、月をみていた同じく狼の化身である藤圭子がそれに反応して、同じように唄いはじめた夢をみた。きっとそんな気持ちで二人の天才は互いの歌声を受けとめ合って、1971年に結婚し、1972年に離婚した。

天才少女・藤圭子は17歳の時、お母さんと作詞家・石坂まさを氏を訪ねてきた。娘を売り込むお母さんの隣で藤圭子は漫画を読んでいた。二十数年後、藤圭子は4歳の娘・宇多田ヒカルを連れて石坂まさを氏を訪ねてきた。娘を売り込むお母さんの隣で宇多田ヒカルも漫画を読んでいた。天才には凡人にはないドラマがある。それはもう生まれたその日からはじまっていて、生きているだけで全てがドラマになり人を引き付けていく。

100年後、誰かが必ずまた「そして、神戸」に衝撃を受けている。そういう人は「新宿の女」にも衝撃を受け、二人が夫婦だったことを知って衝撃を受ける。今の我々と同じように、天才・藤圭子から天才・宇多田ヒカルが生まれたことを知って衝撃を受け、ため息をもらす。(山田)

 

 

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