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『漂流家族』

 
 

2009年に2週にわたって放送された『ザ・ノンフィクション』の「漂流家族 竹下家の9年」北海道編、埼玉編は傑作だった。

練馬のスナックで出会った二人が同棲、双子の出産をきっかけに結婚、その後、女ばかりの6人姉妹に恵まれる。8人家族は山村留学募集に応募し、北海道の極寒地域である浜頓別町に引っ越す。3年間月3万円の補助金が出て、家賃はただ、その3年の間に浜頓別町に家を建てるのが条件だった。

「よくいえば静かな所で暮らしたい。悪くいえば都会から逃げてきた」

竹下さんは30年ローンで2000万円の家を建てる。ローンの保証人は近所の酪農家である桜庭さんが「町のために」といって引き受けた。

「やっとここまで辿り着いた。俺一人だけだったら家は無理だったかもしれない」

家具も買い替え、桜庭さんが引越しを手伝ってくれた。夫婦で36万円の収入があるが、家と車のローンが18万円になった。

竹下さんは職場でのストレスをかかえるが、職場を混乱させているのは竹下さん自身だと職場に苦情の電話が入り辞職を決意、夫婦で桜庭さんに報告に行く。

「当然、俺が辞めるなということはわかってたよね?」「正直、全然頭になかった」「バカタレが!」

奥さんもとても魅力的で「もっと現実を見れ!」と怒鳴る桜庭さんに「見てます!」と対等に言い返している。

結局この時は辞職を思いとどまったが4年後に辞めた

北海道の家をそのままにして一家で埼玉へ、不動産屋を回ってその日のうちに家を借り、蒲団も冷蔵庫もテレビも電子レンジも一から買いそろえる。

生活に追われるお父さんは常にぶち切れ、お母さんも娘さんたちも、隣の家の人までぶち切れる。ぶち切れているお父さんのTシャツが頭に手ぬぐいをのっけて、茶碗に入浴している目玉おやじなのが非常によくできている。

バックミュージックに流れる美しい音楽が映像と合っていない。ナレーターの山本太郎と原日出子の声が怒りでふるえているように聞こえる。ナレーション原稿にも違和感がある。何もかもが奇跡的に素晴らしい仕上がりとなっている。

北海道の家のローンがそのままで、代わりに払っている保証人の桜庭さんが怒って電話をかけてくるが竹下さんは出ることができない。桜庭さんが北海道から埼玉まで竹下さんにゲンコツを食らわせにやってきて、結局桜庭さんがローンを払い続けて家を処分することになった。

番組はお母さんが失踪するところで終わってしまっている。

続きがみたい。皆さんがその後どうしているのか知りたい。

放送以来ずっと気になって『ザ・ノンフィクション』はすべてチェックしているが続きは放送されていない。「漂流家族」を超える作品もない。

一度『ザ・ノンフィクション』のスタッフに会う機会があり、「漂流家族」について興味津々になって聞くと、続きは撮影されていないらしく、がっかりした。

あんなに面白い作品はみたことがない。テレビでなくてもいい。映画でも、自主制作映画でも、DVDでも、竹下さんの発言をもっと聞きたい。竹下さんの書いた本が読みたい。自伝を出してほしい。作家になってほしい。竹下さんの大ファンになった。竹下さんの生き方をもっと知りたい。(山田)

 

| chat-miaou | 02:01 |
『貧乏心理学者の幸福論』

 

かたっぱしからドキュメント番組を自動録画しているが、ほとんど最初の少しを早送りでみて、消す。どうせ面白くない。

一つだけ、最後まで早送りして、消すことができず、面白そうな場面をみてみると面白くて最初からみはじめ、最後までみて感動し、繰り返し4度みてまだ飽きない。

2016119日放送のNONFIX『貧乏心理学者の幸福論』をみて感動した。

臨床心理士の矢幡洋先生の3人家族が素晴らしい。

とても仲のよい、矢幡先生と娘のエリさん、二人とも、何かに集中して、そのこと以外に目が向かない天才タイプで、二人の自由な生き方をやさしく見守り支え、疲れ果てているお母さんも学者タイプで、3人とも普通と違う。

名場面の連続で、3人それぞれの持ち味が50分という限られた時間の中に凝縮されているからあっという間に見終えてしまう。無駄がないのでもう一度み直したくなる。

矢幡先生は40冊以上の著書があるのに食っていけない。大きく見積もって、1500円の本を4000部発行するとして、印税は160万円、源泉徴収税を1割引かれて54万円。矢幡先生のような真面目な学者が本を書くのは簡単な作業ではない。時間も資料代もかかる。著述業で食べていくのは難しい。1年前に月37万円あったテレビ出演料も月6万円に下がっている。

この番組をきっかけに人気者になって欲しい。矢幡家にはそれほどの魅力がある。

京都大学を卒業し、現在は東大の大学院に通う矢幡先生ほどの有名人なら、大学教授になれそうな気がするのだが、もしも地方の大学に行ってしまうようなことになったら、奥さんや娘さんと離れ離れになりかねない。ファンとしては3人ずっと一緒にいて欲しい。

アイドルを目指している元自閉症のエリさんと矢幡先生の会話が楽しい。ヴォーカル教室の仙台の発表会に出たいが旅費がない。エリさんの希望を聞いた矢幡先生のエリさんに対する愛情に感動する。

「せ…仙台…」「仙台希望してんだよな、私は。卒業旅行も行ってないじゃん」「わかってる、ごめん」「どうなの? お父さん、それ」「じゃあ…」「どうなの?」「仙台の線で考えてみるか?」「考えてみよう!」「うん」

娘がかわいくて仕方がない。娘第一に生きている。娘の希望は全てかなえてやりたい。確かにエリさんは面白くてかわいい。矢幡先生の気持ちがわかる。矢幡先生はやさしい。応援したくなる。

矢幡先生の稼ぎが少なく、お母さんに負担がかかりぶち切れる。お父さんとお母さんがお金のことで延々といい合いをする横で、エリさんは黙々と焼きそばを食べ、きれいになった皿をテーブルに残して姿を消す。

この作品は会話が素晴らしい。お母さんが実家に帰ってしまった後、料理のできないお父さんがそうめんをつくる。

「ちょっとさー」「うん?」「家庭崩壊だよね?」「うん」「いえる? 家庭崩壊って?」「うん、いえると思うよ」

お父さんの目から涙があふれてくる。

「泣いてんの?」

エリさんがお父さんにティッシュを差し出す。

お母さんが帰ってきてハッピーエンドで作品は終わるので嬉しい。お父さんがお母さんを気づかってハヤシライスをつくる。カレーライスとか焼きそばとか、矢幡家の食卓には無駄がない。お皿3皿のみがテーブルに並び、余計なものがないから味だけに集中できる。炭水化物も肉も野菜も1皿にきちんとおさまっている。

復活した夫婦の会話がぎこちない。

「昨日のカレーと比べて少しは進歩がみられるかな? 次はシチューに挑戦かな」「シチューは簡単だよ、ルーを変えれば…」「ああ、そうなの、ふーん」

会話が途切れる。

「最後の晩餐とかいう言葉にしちゃ、ハヤシライスか…」

意味不明な場違いなお父さんの発言にお母さんは何も答えることができず、エリさんが答える。

「最後なわけないじゃん」「まー、そうだけどさ…」

こういう貴重な記録映像は続きを撮り続けて欲しい。(山田)

 

| chat-miaou | 01:01 |
昔の味

 

新しくできた安い店に入ってみて失敗した。もう期待できないから新しい店には入らない。どうせいい店ではない。合わない。

店主がいちいち話し掛けてきた。名前を聞かれ、住所を聞かれ、名前をフルネームで聞かれたので「そこまで詳しくいろいろ聞かれたくない」と答えたら「では、なぜ、酒を飲みにくるのか?」聞かれた。

考え事をしたり、時間をつぶしたり、気分を変えたりリセットしたい。

「それなら、なぜ、カウンター席に座るのか?」

いちいちうるさい。話が止まらず、私だけが酒を飲んでいづらい雰囲気になり、仕方なく店主に一杯すすめた。

テーブル席を一人で占領するのは悪いし、はじめての居酒屋でテーブル席に一人で座るのは勇気がいる。酒を運ぶ距離も遠くなる。黙って飲めるカウンター席を探している私が悪いのかもしれないが、黙ってカウンター席で飲める店があってもいいはずだ。

「みんなで楽しくワイワイ飲む店」だという。

おやじの話とは裏腹にいつまでたっても客が入ってこない。

間がもたないので私の横にじっと立っているアルバイトの若者にも一杯すすめると、大ジョッキを飲むという。近所の大学のスポーツ選手で大ジョッキを一気飲みしてみせてくれたが、そんなことをされても、少しも嬉しくないし楽しくもない。早く店を出たいが、誰もいないから帰りづらい。嫌かっていることがわかってしまいそうで席を立つ勇気がない。若者は私の隣に腰掛けてしまい、私は私用のつまみを彼の前にずらし、食べるようにすすめた。早く帰りたい。

おやじと若者と三人で私の金でいつまでも酒を飲んだ。二時間してやっと次の客が入ってきたので入れ替わりで店を出た。もうあの店にはいかない。ワイワイ飲んだが、全然楽しくなかったし安くなかった。

 

昔は料理のうまいお母さんが多かった。人のうちでごちそうになり、「あー、おいしかった」と思うこともよくあった。最近はそういうのがない。出てくるのが昔馴染んだ味とかわった。私の母は料理ができなかったが、祖母のつくる酒のつまみはうまかった。刻んだ油揚げとにんじんを甘じょっぱく煮たのが一番おいしかった。

建物や内装が昔のままで、それでいて清潔そうな店をあたっていくと、ごくたまにそういう味を受け継いでいる女将さんに出会える。

あの味はテレビや料理教室で学んだのと違う。店で修業したのとも違う。きっと親から学んだり、誰かをみて空気で身に付いた。つくっている姿をみていると、丁寧で手抜きがない。包丁の音も、煮たり揚げたりする音も、漂う湯気もかおりも料理人と違う。商売の前に、相手を思いやるやさしい性格が伝わってくる。野菜のおひたしが、色、水切り、歯ごたえ、最高のコンディションで出される。たっぷりふりかけたかつお節に感動する。料理にのりが必需品の世代だからかおりのいいのりを選んで、使い方がうまい。料理が映える。

まな板の上が散らからない。水浸しにならない。ふきんでまな板と包丁を拭いて何度も一息入れる。いちいち整頓しているから狭いスペースでも散らからない。この人、本当に料理がうまい。数年で身につく動きではない。

他のお客さんと話しているのを聞いていたら、毎日スーパーではなく市場や八百屋や魚屋に電車に乗って買い物に回り、夜の開店に合わせて昼から漬け込んだり、煮込んだりしている。昔はみんな忙しくああしていた。よくみると、食材の入ったパックや箱が、近所のスーパーと違う。いろいろな店を買い回った食材も昔の味の秘密の一つかもしれない。

瓶ビールを頼むとお盆に、サッポロ黒ラベルの中瓶、コップ、鉄の昔の普通の栓抜きをのせて持ってきて、目の前で栓を抜き、栓をエプロンのポケットにしまう。ビールが新鮮で、うまみが増す。いつ飲んでも絶妙に冷えている。ああいうのは、お父さんか、お母さんか、先輩か、恋人か、きっと誰かの影響がある。昔の人は冷蔵庫で冷やしたサッポロ黒ラベルの栓を抜いたその瞬間がビールの一番うまい時だと信じ、それは間違っていない。

熱燗は電子レンジでいい。熱燗を湯につけるのにこだわる店もあるが、普通の人はそういった違いがわからない。お湯につけると時間がかかってなかなかおかわりが出てこない。

昔の味をつまみに、徳利とおちょこで熱燗を飲むと本当にうまい。うまいから満足して酒量も減る。無駄な酒を飲まずに家に帰って寝る。コップ酒ではダメで、そういうのを味わうことのできる店はやはり店のつくりからして違う。全体で雰囲気で飲む。

料理自慢のスナックや小料理屋のママは多いが、あの味は出せない。一目瞭然で手抜きしている。レタスがしおれ、十分に水切りしない。相手を思いやるよりも損得を考えている。

昔の味は今に受け継がれていない。もうすぐ食べられなくなる。もっと通わなければ店がなくなってしまう。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
カレーライス

 

カレーを嫌いな人はいない、とよく聞くが私は嫌いだ。若い頃は好きだったが、酒を飲むようになってから嫌いになった。

酒を飲んだ後にカレーを食って寝ると翌日、体ににおいが残って耐えられない。二日酔いにあのにおいは我慢できず、カレーを食べることが減っていった。

歳を取って消化力が落ちると昼食ったカレーのにおいが夜まで胃からこみあげてくる。胃がもたれる。胸焼けする。神保町のキッチン南海の熱くて黒いカレーが無性に食いたくなることがあるが、一日胃がもたれるのを覚悟して食べるから、やはりカレーが好きなのかもしれない。

カレーが食いたくなったが神保町まで上京する気にもなれず、まだ行ったことのない喫茶店でカレーを頼んだ。

とてもまずいカレーで一日が台無しになった。

セットのスープも電子レンジでチンしたもので、しかもぬるい。サラダもキャベツのみで普通の市販のドレッシングがかかっている。カレーは完全にレトルトで、もしかしたらこれも電子レンジであたためたのかもしれない。キッチンからはひっきりなしに電子レンジのチンッという音が聞こえてくる。

とにかく、どこからも湯気がない。神保町のキッチン南海の黒いカレーからは勢いよく湯気がたちのぼり、あれがうまさの秘密になっている。

こんなカレーだったら家で食った方が100倍うまい。家で電子レンジであたためた方がうまい。まったくやる気が感じられない。100円のレトルトカレーだって熱くして食えば十分うまい。

サラダも食べる気になれない。ぬるいスープにももう口をつけたくない。口にするほど体に悪い。カレーも一番安いレトルトカレーで、ぬるくて食べる気にならない。800円もする。

残して帰ろうかな、と思うが店の人に悪い。

獅子文六の『私の食べ歩き』を読んだ直後だったので、うまいものを食いたい気分になっていた。

こんなまずいカレーを残さず食べて一日胃がもたれるなんてバカらしい。こんなものを食う意味はなく、残して帰るべきではないのか、獅子文六先生ならきっとそうする、と考えて、ムカムカしていると、隣の席の4歳ぐらいの男の子がお母さんとカレーを食べていて、

「カレーライスおいしいね?」とお母さんに話し掛けた。

私は我にかえって反省し、スープもサラダも残すことなく、「ごちそうさまでした」と言って店を出た。(山田)

 

| chat-miaou | 01:01 |
おでんに熱燗

 

獅子文六の『私の食べ歩き』を読んでいたらおでんが食いたくなった。カラシをぬった豆腐が食いたい。獅子文六によると、豆腐のうまさを知らない奴は駄目だ。

名文は人を動かす。

久しぶりのおでんはうまかった。前回行った時は気付かなかったが、この店のおでんはかなりうまい。やはり、何事にもモチベーションが大事だ。やる気が高いと、それまでみていた世の中がバラ色にかわる。

熱燗、

五個セットのおでんは500円だが、熱いのをさめないまま食べたいし、おでんを前にモチベーションがさらに高まりアドレナリンが出てきたから、セットはやめて単品で、大根、豆腐、じゃがいもを頼む。思い描いていたままにカラシをたっぷり塗って食う。小さな夢がかなってかなりうまい。体がどんどんあったまっていく。

黒ラベル、水ナス、

この店、時間が止まっている。店の人も、店内も、メニューも1980年代とかわらない。

明日も来よう、と自然に思う。

冷酒、

やはりおでんには熱燗が合う。明日は熱燗一本でいく。チェイサー代わりにビールを飲もう。

はんぺんと生揚げで〆る。

お通しのつぶ貝も熱燗に合っている。どうしてこういう居酒屋が減っていってしまったのか。80年代まではこういう店がもっとあった。長く続く店では、毎晩カウンターを占領していた常連客たちが死んでいき、やっていけなくなるのだろう。

客が来なければ店は閉まる。こういう店にはつぶれてほしくない。だから私が明日も行く。

お会計は3250円。たまに満足したものを食うと、もう余計なものを食いたくないからまっすぐ帰りたくなり、一軒で済む。

例えば荒木町の寿司金のマグロを食うと、どこにも寄らずまっすぐ帰りたくなる。舌を汚したくない気になる。うまいカキフライやとんかつやてんぷらを腹いっぱい食った後もまっすぐ家に帰ってとっとと寝るのが気持ちいい。

帰り際、営業時間を聞くと5時から11時、日曜休み、忙しくなってきた。(山田)

 

 

| chat-miaou | 02:01 |
『私の食べ歩き』『食味歳時記』

 

これから自殺する100人の人が本屋に行けば、そのうちの何人かは自殺するのをやめる。

日本人は頭がいいから、本屋へ行けば、何かしらの情報が目に飛び込んでくる。無意識に救いの言葉を求めている自殺者の目に言葉や絵が飛び込んでくる。

それぞれの本が「買ってくれー」「読んでくれー」と主張している。本の表紙につかわれる絵も、中の文章とつながっている。担当編集者や著者のセンスに合うデザインになっているから実は表紙で本を選んでも当たることが多い。かっこいい音楽は必ずかっこいいデザインのCDになる。

もう、やり残したことはないなあ、と思うのはうつ病らしい。

もう、やり残したことはないなあ、と思いながら、本屋を隅から隅まで一周していると、獅子文六の『私の食べ歩き』が目に飛び込んできて、なんとなく手に取った。

「若い時は、相手なしに飲んでも意味はなかったが。今は誰もいない方がいい。もう、たくさんは飲めないのだからジャマされたくない」

一緒だ、と思ったが、老眼で本を読む気にもなれずそのまま家に帰り、しかし、やっぱりもっと読みたくなって買いに戻り一気に読んだ。

医者に肉食を止められ、年を取って、ひじきや油揚げや菜っ葉がおいしいのも一緒だ。

楽しく読み終え、いつものように破り捨てた。

そこからが大変で、おでんが止まらない。おでんが食いたくて食いたくてたまらない。まだやり残したことがあった。おでんを飽きるまで食いたい。腹いっぱいおでんを食いたい。

獅子文六のいう通り、カラシをたっぷり塗った焼き豆腐を食い、熱燗を飲む。

居酒屋から家に帰って『私の食べ歩き』を読み返して確認したいのだが、捨ててしまってないから、また買いに行く。読み終わって破り捨てた本をまた買うということは少ない。本当に読みたいかどうか、手元にあってはわからない。もう一度お金を出して読み終わったばかりの本を買うなんてもったいないのだが、それほど読みたい本かどうか、一度捨ててみないとわからない。

何度読み返してもおでんが食いたくなる。朝からおでんのことばかり考えて、早く夕方になっておでんが食いたい。

『食味歳時記』も面白い。

新刊本を買った方がいい。古本と違って文字組みが非常に読みやすく編集しなおされている。

他にも獅子文六の食べ物に関する本はあるが、それらを厳選したものが『私の食べ歩き』『食味歳時記』で読めるので、2冊でいい。

二本の熱燗で得る心の静まりを知ればまだまだ死ぬのは早い。おでんに飽きたらソラマメもある。

熱燗を飲む前にビールで口を冷やす。熱燗がうまくてたまらない。そば屋で一本つけさせても非常にうまい。

こんなに酒の飲み方が合う文章ははじめてだ。

酒の飲み方がかわってきた。

ふかしたての里芋を出す店をみつけた。塩をつけて湯気を吐き出しながら食い、よく冷えた生酒を飲む。生きててよかった。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
『熔ける』

 

面白い暴露本はないか、と思って読んでいたら、芸能人との交流よりも、会社法違反特別背任罪よりも、大王製紙会長・井川意高(1964年生まれ)のギャンブルが面白かった。

カジノで負けた1068000万円。スケールがでかい。ただ負けているのではない、毎週勝負に陶酔し、興奮し、至福の時を味わっている。

マカオでは1ゲーム2000万円が限度だがシンガポールなら1ゲーム3900万円賭けられると知れば、勝負場所をシンガポールに移す。

目の前に20億円手にしてもやめない。

150万円を4時間半で22億円にしたことだってあるじゃないか」

時間がなくなるまでメシも食わずに賭け続ける。

金がなくなると現地の質屋へ行く。金がなくなったから次回を待つなどということはしない。ブラックカードで300万円のロレックスを10個買い、1350万円借りて勝負する。その金で勝っても勝負が終われば面倒になり、質流ししようとする。いくらなんでももったいないので仲間が質出しに行ってくれたので、お礼に1つプレゼントした。

一度、顧問である父親に20億円の借金がばれて怒られたが、他の借金は内緒にし、ごまかして勝負を続けた。いきつくまでやる本物のギャンブラーで、『麻雀放浪記』のレベルに達している。しかも全てが実話だから面白い。

99パーセントがギャンブルで1パーセントが飲み食い」

勝っても負けても興奮している。

我々が知らないレベルのギャンブルの興奮を知っている。こんな思いを経験できる人はなかなかいない。井川さんの曽祖父は博奕と女で破滅したという。博奕打ちの血が流れている。

1つだけ残念なのは、井川さんは心のどこかでいつも「いつでも借金は返せる」と思っていた。その思いがなければギャンブルの戦績はかわっていたような気がする。実際、財産を処分して借金は全て返済している。

刑務所から出てきたら、今度は絶対負けられない勝負が待っている。(山田)

 

 

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丸かじりシリーズ

 

うつ病で病院にいく前に東海林さだおの丸かじりシリーズを読めばきっと薬を飲まずに済む。一度抗うつ剤を飲むとなかなか薬なしの生活には戻れないらしい。

気が滅入っていると本が読めない。読書が趣味だった人が本を読めなくなると時間が余ってつらい。

本が読めなくても本屋に通う。通っていればいつか必ず名文との出会いが待っている。

ブックオフに寄ると東海林さだおの本がたくさん108円で売っていた。もう20年ぐらい読んでいないが、久しぶりに読んでみる気になって全部買った。今でも餃子や冷やし中華を食べる時、自然に丸かじりシリーズの文章が頭に浮かんでいる。意識していなかったが、かなり東海林さだおに影響を受けていて、もう文章が脳にしみ込んでいる。何十年も文章が頭に残り、食べ方と飲み方に影響している。串カツにはビールと決めているが、考えてみるとそれも丸かじりシリーズの影響だったと気付く。

若い頃に夢中になった開高健や山口瞳の本を今読むと面白くない。その時代の空気に合った作家がいる。

いつ読んでも面白く、今読み返しても楽しく、100年後も読まれている作家がいる。丸かじりシリーズは100年後も必ず読まれている。必ず全集だって出る。

立ち食いそばの天ぷらそばについて書く作家は多いが、東海林さだおは1989年に「天ぷらそばのツライとこ」(『ワニの丸かじり』収録)を発表している。かき揚げとそばの位置を逆転させるようにしてかき揚げを最初に下へ沈めてしまい、かき揚げをモロモロにしてその食感と油が浮いたスープを楽しむ。これをみなが真似した。この文章が発表されると立ち食いそばブームがきて、天ぷらそばを語る人が多くなった。

影響を受けてパクってしまいそうで怖いから東海林さだおは読まないというプロの書き手もいるが、すでに影響が広過ぎて、誰もが間接的に影響されている。

『ワニのまるかじり』に名文が多い。

●カレーそば 「その手があったか」「ワイシャツを汚さないように気をつけろ」

●一人酒の作法 「することないからメニューを全部読む。支店名の電話番号まで読む。壁にある文字も全てはじから読んでいく。誰でもいいからそばにいて欲しい」

野坂昭如は「これだけ書けばうまくなる」と書いたが、才能がなければこれだけ書けない。言葉が簡単で、しかも面白く、本心からいっているから読者にとてもよく伝わる。文章を読んで笑うことは少ないのに笑える。『アンパンの丸かじり』を読んでいると商品コピーライターとしても必ず一流になるとうなる。

●八宝菜のうずらの卵、二個じゃダメだんですか?

●親子丼の合性はよく、それは親子であるから当然

●スパーの豆乳コーナーの前では声になるかならないかぐらいでコンチワっていう

●鍋焼きうどん、半狂乱ですわ

●「日本人ならほうれん草だろッ、野菜は青じゃなくて緑だろッ」いつか大変なことになる。このへんで正そうではないか

1987年、東海林先生が50歳の時にはじまったこの連載、普通はそのうちあきられる。時代に合わなくなる。歳を取って感覚が読者とずれる。しかし、2013年、76歳の時の『目玉焼きの丸かじり』を読むと、少しもボケていない。ずれていない。文章全体が隙なく面白い。ますます面白い。のどが鳴る。

●冷やし中華のつゆは飲んでもいいのか? 飲みなさい、テツヤ

●客の残したパセリを使い回していると噂になる。パセリは悪い噂を残して捨てられる

●我々日本人はゴハンに敏感で、常におかずとの配分を考えながら食事をする

●城跡、遺跡、古代ローマの劇場跡、跡地は文化遺産であり、弁当のごはん上の昆布の跡地、あの味のしみこんだ跡地はたまりませんわ

●汚れちまったスキヤキに、きょうもカレー粉の降りかかる

●たまーに昆布の佃煮でゴハンを食べたくなる

●誰もが知っていることだが白いゴハンはザーサイに合う

丸かじりシリーズを読むと、その後の食生活がかわる。東海林さだおの言葉が頭の中にしみついて死ぬまでついてまわる。ラーメン屋の前を歩くとかんすいのにおいがしてきて、それがいい匂いなのだとしみじみ気付くようになる。同じラーメンのスープでも、器から直に飲むのとレンゲで飲むのとでは味がまったく違う。スープを飲む度に迫ってくるネギを意識する。ペンネの穴に入ったひき肉が愛しい。

「白菜の漬物は、白いところが好きだったが最近は緑色のところが好きになってきた。少し醤油をつけてごはんを巻いて食べる」「ホー、ポテサラに玉ネギ入っとったか。ホー」「お、タコぶつあるな、あとでたのもう」「手羽とつくねと…と焼き鳥を注文していると、誰かが必ずおしぼりで顔を拭きながら『レバーもね』という」「レバニラ炒め定食は強力にして滋養満点、味最高。傑作中の傑作。食べている人の表情は明るく希望に満ちている」「うな丼を食べる。ウナギにつぐウナギ。合間合間のキュウリのぬか漬けが口の中を洗い流してくれる」「鰻重の途中の奈良漬のサクサクがおいしい」「お通しのちくわの煮たので口の中をしょっぱくしたら冷たい生ビール」「カツ丼の上と下で別盛りで食べてみたいとかねがね思っていた」「みな、気付いていないが実は生卵はうまい。ウニやいくらレベルでうまい。1個300円になっても買うほどうまい」「カニカマをほめると自分の舌を馬鹿にされそうな気がしてみな口に出さないが、実はカニカマはカニと同レベルでうまい」「はなまるうどんの店内を見まわした限りでは、うどん、小、100円の客はぼく以外に一人もいない」「桃を食べると汁がひじまでたれてくる。桃は流しで食べる。風呂で全裸で食べる。シャワーを浴びながら食べるといい」

丸かじりシリーズを読むと自炊をはじめる。外食もしたくなる。読んだものを食べたくなる。

『トンカツのまるかじり』を読んでいると外食に出掛けたくなった。

●熱い餃子をかじると人は上へ上へと立ち上がってしまう。餃子は一口で口に放り込んではいけない。半分かじったところを愛情をこめてうっとりとみつめる

●梅干し一個だけの日の丸弁当に挑戦

●人間ドックを終えて何を食うか? とんかつにビールだ

丸かじりシリーズを読み進めていけば必ず食べたいものが登場する。一切難しいことが書いていないから面白いテレビ番組をみるぐらいの感覚で読める。丸かじりシリーズより楽に読める本は漫画か児童書となる。

ありがたいことに東海林さだおの著作は多く、しかもどれもよく売れているので、ブックオフで108円でたくさんみつかる。数軒ハシゴすれば軽く10冊以上はそろう。丸かじりシリーズだけで39冊ある。

東海林先生は志ん生の落語を繰り返し聴き、太宰治全集を繰り返し読む。それらが教養のベースとなっているから読みやすくて楽しい。日々取材をしているから新しい発見が多く学ぶことも多い。毎日スーパーにいき最新の食べ物を選び、自炊し、外食もする。値段の高いものを嫌うので誰でもすぐに真似できる。どこにでもある食べ物ばかりで誰もが同じ経験をできるのにあんなに楽しい文章を書ける人はいない。

牛丼の松屋、天丼てんや、富士そばに通い、男一人で堂々と西荻窪の西友に毎日買い物にいき、楽しそうに多い時は二度も買い物かごにうまそうなものを仕入れていく。そんなことを書き、しかもその姿がかっこいい。ケチなのではない。せこいのでもない。ケチな人、せこい人はみている人を本当に嫌な気分にさせる。

無駄づかいが愚かでみっともないことだとわかる。独身男性読者は真似して堂々とスーパーに食材を買いに出掛ける。

●「冷やし中華はじめました」の貼り紙をみて、「そうか、はじめたのか」と思う人もいれば「はじめたきゃ勝手にはじめればいいだろ!」と機嫌の悪い人もいる(『タコの丸かじり』)

東海林先生は漫画家だから人間観察も面白い。文章が頭の中に映像となって残り、外食先で登場人物たちの姿がよみがえる。

●バイキングにくる家族連れはみな興奮している。席に着くと武者震いをはじめ足がガクガクいいはじめる。戦闘態勢に入り相撲の高見盛のように顔や体をパンパン叩いている(『コロッケの丸かじり』)

気が滅入って何もできない時は丸かじりシリーズを読む。次から次に読み進めていくうちに何日か経ち、気付くとうつ状態から脱出している。(山田)

 

●丸かじりシリーズ

1『タコの丸かじり』

2『キャベツの丸かじり』

3『トンカツの丸かじり』

4『ワニの丸かじり』

5『ナマズの丸かじり』

6『タクアンの丸かじり』

7『鯛ヤキの丸かじり』

8『伊勢エビの丸かじり』

9『駅弁の丸かじり』

10『ブタの丸かじり』

11『マツタケの丸かじり』

12『スイカの丸かじり』

13『ダンゴの丸かじり』

14『親子丼の丸かじり』

15『タケノコの丸かじり』

16『ケーキの丸かじり』

17『タヌキの丸かじり』

18『猫めしの丸かじり』

19『昼メシの丸かじり』

20『ゴハンの丸かじり』

21『どぜうの丸かじり』

22『パンの耳の丸かじり』

23『ホットドッグの丸かじり』

24『おでんの丸かじり』

25『うなぎの丸かじり』

26『パイナップルの丸かじり』

27『コロッケの丸かじり』

28『おにぎりの丸かじり』

29『メロンの丸かじり』

30『どら焼きの丸かじり』

31『ホルモン焼きの丸かじり』

32『いかめしの丸かじり』

33『ゆで卵の丸かじり』

34『アンパンの丸かじり』

35『レバ刺しの丸かじり』

36『サンマの丸かじり』

37『目玉焼きの丸かじり』

38『メンチカツの丸かじり』

39『シウマイの丸かじり』

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
『堕落論』

 

テレビで坂口安吾の「堕落論」を解説していて出演者たちがうなずいていたが、安吾は恐ろしい。

「堕落論」と「続堕落論」が収録されている文庫『堕落論』には友人・小林秀雄にかみついた「教祖の文学」、友人・太宰治を絶賛した「不良少年とキリスト」「太宰治情死考」なども入っていて、文学入門書になっていて、『堕落論』をきっかけに無頼派になる若者がたくさんいる。

安吾の文学は難しいから読みにくい。『堕落論』は難しくなくて面白い短い文章ばかりが並ぶ。

安吾の行動はアナーキーで好感がもてる。作品よりも行動に影響を受ける。ストリップ小屋の二階から一階にダイブする。カレーライスを100人前注文して公園の芝生に並べてみる。覚醒剤中毒になる。日本語で考えるという思考の枠を取り払うために日本語からもっとも離れた外国語を学ぶ。友人・檀一雄が安吾の伝説をたくさん書き残している。

若いうちに安吾を読むと自分も殻を打ち破りたくなり、ワインとウイスキーのストレートを一気飲みして、どこか違う世界にトリップしてみたくなる。突然二階から飛び降りたくなる。ドラッグを試してみたくなる。堕落したくなる。文学がわかったような気がして興奮し、話したいことや伝えたいことがたくさんで一晩中酒を飲んでも話が尽きないが、周囲の大人にとっては迷惑でしかない。

安吾が『堕落論』ですすめる孤独はこれまでのどの孤独論よりも名文で、若い読者の心を確実にとらえ、影響を及ぼす。誰もがたった一人で荒野を歩きはじめるが、ほとんどは安吾のように偉大にはなれず、ただ世間から相手にされない文学崩れになり、まともな社会人にならない。『堕落論』をきっかけに作家や何者かになれた人はいるが、それよりもずっと多くが警察、刑務所、病院に行く。

「戦争を起こしたのは誰か? 東條英機か? 東條でもあるが、東條でもない。決して逆らえない歴史のうねりのようなものが起こしている」

私は編集者になり、何人か政治家にインタビューした時、いつも『堕落論』のこの言葉を思い出して政治家に質問した。

「学校で一番志の高かったであろうみなさんがどうして政治家に当選すると、みな同じような普通の政治家になってしまうのですか?」

答えをまとめるとこういうことらしい。

「個人の意見を完全に貫き通すと、政治団体に所属できない。はみ出し、追い出されてしまう。結局政治家としても生きていけなくなる。世界史に名前を残した政治家たちも、今のように管理のゆき届いた世の中で同じような実績が残せるかどうかわからない」

歴史や団体のうねりを感じる。マイナンバーで一人残らず管理できる世の中で、はみ出し者は許されない。みなと同じように生きなければならない。

安吾や太宰が今の世の中で同じようなことをしていたら刑務所から出られない。

『堕落論』は有害で親が子供にもっとも読ませたくない本だといえる。一度読んだら戻れない。私も『堕落論』に感動し、影響され、安吾の全集を揃え、アル中になった。

安吾と太宰と織田作之助の無頼派鼎談が二度行われ、3人のファンはどうしても読みたくなる。この座談会の帰りにあの有名な銀座ルパンでの写真が撮影された。今では文庫にも収録されていて簡単に読めるようになったが、この鼎談は不思議なことに全然面白くない。絶対面白いはずの夢の3人が揃って話をしているのに全然面白くない。私はこの本を3度買って読んだが、面白くないので今だに内容を何一つ覚えていない。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
『猫料理』



編集部にいた頃、本の企画会議で『自慢のペット料理レシピ集』という企画を出し、自分のペットがいらなくなったら料理して食べよう、という企画趣旨を真面目に説明していたら、編集長に「ふざけんな! いい加減にしろ、そんな本、出せるわけねーだろ!」と怒られた。その頃の私は、取材で朝から自殺現場を見学に走り回っていたので社内の一部で「変な本ばかりつくる人」と噂が立った。

変な本をつくりたかったのではなく、動物好きの獣医がテレビで涙目になりながら、「ペットを捨てるくらいなら、責任をもって自分で食べてください、ペットにはなんの罪もない」と訴えていたのに心を動かされて、そんな気持ちを本にしてみたかった。実現したら話題になった自信はある。自殺現場をみて回ったのも、死者の無言の訴えのような空気を感じて本にしたかった。無言どころか自殺者の残す無言の空気は夜中について回り、うるさくて不眠症になり、軽いノイローゼになった。

作家の北條民雄(1914-1937)は猫の料理法を書いている。

北條民雄はハンセン病の施設に入院し、施設で執筆活動を続けながら施設で死んだ。芥川賞候補にもなった。ドストエフスキーの大ファンだった北條は『死の家の記録』のように、普通ではないハンセン病の重症患者たちの生態を記録した。手や足や目や鼻がなくなってしまう人たちをまのあたりにし、「現実に地獄をみてみたいのならハンセン病の末期病棟にきてみればいい」と書いた。神経が完全に麻痺した患者たちが自分の足首を直火であぶる、そうすると毒が抜けて楽になるように思える。

治療法がわからぬハンセン病患者たちはなんでも試してみる。死んでもいいから治れるものなら治りたい。トカゲを生きたまま丸飲みにするとあらゆる病気が治るという噂を聞けば、食ってみる。

ひょっとして猫も、食ってみる。

鳥小屋を荒らす太った猫がいて仕掛けをつくって捕らえた。ぶ厚い板の下敷きになった猫が平になった。猫のにおいはきついので3日土に埋めるとにおいは完全に消える。目をみないようにして皮をはがし、砂糖と醤油で煮る。脂が少なく、歯切れがよくてうまい、とお年寄りにもすすめている。

ドストエフスキーを熟読していた北條の目に、ドストエフスキーがのりうつった。悲しさだけの世界に、ユーモアと滑稽をみる。

ここにも才能がある。題材だけで勝負しているのではない。

施設から外出許可を取り、編集部を訪ねた北條に会う人はなかった。病気のせいだと自覚した北條は悲しみに暮れる。「もう文学はあきらめよう。自分のような病気の人間に文学なんて生意気かもしれない。でも、文学を失ったら自分には何が残るのだろう」

23歳で死んだ北條民雄が残した数少ない文学を読み終え、続けて他のハンセン病文学を読んでいく、北條民雄の面白さが際立った。(山田)

 

| chat-miaou | 01:43 |