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『自己発見』

 

いつか学校の教科書で読んだ湯川秀樹の文章が読みたいが、ネットで調べてもわからなかった。

湯川秀樹が、学校の先生から友達と二人一組になるよういわれ、他の友達は次々一組になっていくのに湯川秀樹だけは誰からも誘われず、一組になれなかった。

どうしても読みたくなりアマゾンで探し、自伝『旅人 ある物理学者の回想』を買って読んでみたがそんな話は出ていない。

『自己発見』を買ってみるとあった。「自己発見」というタイトルの6ページの文章だった。「その時の何ともいえない悲しい気持ちが、今日まで消えずに、私の心の奥に残っている」「この小さな出来事が、あとになって考えてみると、その後の私の考え方、生き方に、相当な影響を及ぼし続けているように思われる」と書いている。

私にもそういう出来事があった。

たしか小学校3年生の時だった。学校で大便をもらした。

朝からずっと耐えていたのだが、帰り際にもれた。

普段私に「一緒に帰ろう」なんて声をかけてくれる友達はいなかったので、一人で急いで帰ろうと思ったら、そんな時にかぎって次から次に「一緒に帰ろう」と誘われた。

クラスメートと一緒に帰りながら私は無口だった。少量でない大便のにおいがばれるのが怖くて、友達と距離を置くようにして歩いた。

「なんか臭いな」

と友達はいったが原因は私だった。

奇跡的にばれずに家に着き、固形物をトイレに流した。

汚れたパンツを兄弟にみつかったら大変なので、とりあえずビニール袋に入れてから臭いを消し、悩みに悩み、パニックに陥って家の窓から隣の畑に向かって思いっきり投げ捨てた。

不幸は続いた。

ビニール袋入りのパンツが木の枝にひっかかってしまった。小学3年生の私の手の届く高さではなかった。

葉っぱがたくさん繁っていたのでパンツの姿は隠れた。衝動的行動を後悔して取りに行ってみたがみえなかった。

兄弟のパンツと区別するためにパンツには油性マジックで私の名前が書いてある。いずれ落ち葉の季節がきたらばれてしまう。

その季節、私は生きた心地がしなかった。毎朝、ごはんがのどを通らなかった。

落ち葉の季節になり、禿げあがった木の枝に私のパンツはなかった。植木屋さんが片付けてくれたのかもしれないし、カラスがどこか遠くへもち去ったかもしれない。

あの時の何ともいえない悲しい気持ちが、今日まで消えずに、私の心の奥に残っている。あの小さな出来事が、その後の私の考え方、生き方に、相当な影響を及ぼし続けているように思われる。(山田)

 

| editor | 02:01 |
孤独病


信じてもらえないが、一人でいるのが好きな人がいる。淋しいと感じることができない人がいる。

「ウサギだって淋しいと死んじゃうんだよ」というテレビドラマのセリフがあったが、そんなこといわれたってこちらは全然淋しくないのだから、「ウサギだって耳が長いんだよ!」といいながら不良に耳を引っ張られているような気がした。

みんなと盛り上がるのに耐えられない。気の合う人と2人で会うのは楽しいが、3人以上だと話したいことも話せず、それなら会わない方がいい。

断れないパーティに出席することがあるが、受付を済ませて数分でそっと帰る。知り合いをみつけても、自分に自信がないから話し掛けることができない。話し掛けられた相手は、ひょっとしたら私と一緒にいたくないかもしれない。他の人と比べて、自分がどれほど親しい関係にあるのかわからない。そんなことを気にするのが面倒なので、すぐに帰ってしまえばいい。

ロックコンサートは好きだが、途中で帰ることが多い。

ポール・マッカートニーのライブで、ポールと観客の「ヘイ・ジュード」の合唱が始まると、耐えられなくなり満員の東京ドームを後にした。

Zepp東京で若者たちが集まっているのをみると帰りたくなる。楽しみにしていたランシドは15分で帰ったし、アンドリューWKとマンドゥ・ディアオは入り口で帰った。武道館ではデュラン・デュラン、REM、ジェームス・ブラウンを30分で帰った。

エルビス・コステロもデヴィット・リー・ロスも、メタリカもオアシスも途中で帰った。

ガンズ・アンド・ローゼスの「パラダイス・シティ」が聴きたくて、ルー・リードの「ワイルドサイドを歩け」が聴きたくて、そういうのを楽しみに待っている自分が嫌になり、演奏する前に帰った。

ニューヨーク・ドールズ、マイケル・ジャクソン、ディー・ライト、ローリング・ストーンズ、ハノイ・ロックス、マリリン・マンソン、チャック・ベリー、AC/DCU2は最後までみた。

ロック・フェスにもけっこう行った。プロディージーやDEVO、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ダレン・エマーソンがよかった。ビースティ・ボーイズはみないで帰ったがみておけばよかった。ヘッドライナーだったレディオヘッドは3分で帰ったが、後でテレビでそのライブをみて感動し、単独公演に行き、10分で帰った。

フジロックに行ってみたいが敷居が高い。

サマソニには今でも行きたい。千葉マリンスタジアムの一番後ろのスタンド席から眺めるヘッドライナーと数万人の観客の盛り上がりがすごい。

サマソニに行く前の日、ホームページの掲示板をチェックしていたら、ハイタッチの目標人数がたくさん書き込まれていた。よくわからないが、知らない人にハイタッチを求められたら、私には自信がなかった。どんな顔をして応じていいのかわからない。

当日、サマソニの会場で、一人で昼間からビールを飲んでいると、かわいくておしゃれなカップルが私に向かって歩いてきた。

(ひょっとして、私とハイタッチがしたいのかな?)とドキドキしながらも手の平をズボンでこすって心の準備をしていると、

「券ありますか?」

とダフ屋に間違えられた。

深く傷つき、悲しみに暮れ、そのまま電車で家に帰った。以来サマソニはテレビで楽しんでいる。(山田)

 

| chat-miaou | 01:01 |
孤独への道

 
 

孤独に暮らすのはなかなか難しく、人は一人では生きていけない社会の仕組みになっている。だから、なるべく孤独になれるような環境づくりに日々、研究が必要になる。

サラリーマン時代、ランチに誘われるのが嫌だった。同じ職場にいる人と、休憩時間も昼飯も一緒にいるなんてできない。昼時、誰かの視線を感じると、誘われる前にトイレに逃げた。

日本人なら、幼稚園から中学生までで、完全に団体行動が身についている。

小学生の時も、中学生の時も、遠足の弁当が面倒だった。仲良しグループが集まって食べるが、私はグループに入っていけない。いたたまれず、そっと少し離れた森の中に入っていき、一人で食べるのだが、小学校2年の時から自分で弁当をつくっていたので楽しみではなく、ただ義務として弁当を食べた。

孤独への道は携帯の登録を削除することからはじまる。しばらく連絡を取っていない人は削除する。自分からは連絡しない。登録すると名前が表示されて気になるが、登録しなければ誰からかわからないから普通に無視できる。登録していない人からの電話には出ない。

留守番電話が入っていればできるだけかけ直すが、留守電を入れる人は少ない。メールにも、署名がないので誰からかわからず返信できない。

今では月に数回しか携帯が鳴らず、特定できるのは登録している数人で、他は誰だかわからない。

どうしても消すことができない登録が100件を超える人には孤独への道は難しい。

削除してみるとわかるが、ほぼ100パーセントの人がこちらがあちらの名前を携帯に登録していると思い込んでいる。

留守電を入れない電話は緊急ではない。数回かかってきた後、突然「電話に出ろよ!」と怒りのショートメールがくるが、名前を署名していないから誰が怒っているのかわからない。気になるから、着信直後にメールも履歴も削除する。携帯の使い方がよくわからない、携帯が壊れている、を理由にすべて解決できる。

私も社会の一員として、やはり携帯とパソコンは手離すことができない。

携帯をもって15年、緊急の電話は1度しかない。登録していない病院からで、母危篤の知らせが留守番電話に残っていた。(山田)

 

| chat-miaou | 01:01 |
年末の予定



連日、行きつけのバーで飲んでいたら、「忘年会は?」と聞かれてしまった。

「友達いないから」

と正直に答えると、マスターが悲しそうな顔をして、私から目をそらした。

私が悲しくないのに、マスターが悲しそうな顔で私をみているので、

「行こうと思えば行くところはあるんですよ。会おうと思えば会う人だっている」

と言ってしまうと、マスターがさらに悲しそうに泣きそうな顔で私をみた。強がりを言っていると思われたらしい。

決して強がりを言っているのではないのだが、こういう時は言えば言うほど墓穴を深める。

今年は忘年会に誘われなかった。いや、そうじゃない。言い方が悪い。今年だけでなく、もう何年も忘年会に誘われたことはない。

会社勤めをしていた頃も、忘年会は会社の忘年会1つしか誘われなかった。

人気がないのは確実だが、特別嫌われたり憎まれたりしているわけでもないと思う。忘年会をするような人付き合いを避けてきた。誘われても絶対に行かない。

基本的に個人的連絡は無視して生きてきた。電話には出ない。メールも返信しない。集まりやイベントに誘われても絶対行かない。3人以上の集まりは時間の無駄だと信じている。仕事以外でこちらから誰かに連絡することはまずない。私だけの都合で誰かに連絡したことはここ10年記憶にない。連絡しないから名刺も1枚も持っていない。葬式の知らせは日程だけ聞いて行かない。ずっとそうしてきたので結婚式も忘年会も誘われなくなった。

周りからはかわいそうな人にみられるが、本人は達成感を覚えている。人からの連絡を無視するのは勇気がいる。そうしなければまた連絡がきてしまう。正直な気持ち、葬式や結婚式に興味がなく、苦手で行きたくないから声を掛けられないように逃げている。普段から大切な人に後悔しない付き合いを心掛けている。

少子高齢化で、これだけ葬式が増えると、みなこれまでの対応を変えざるをえない。

クリスマスイブはいつも一人で飲みに行き、女性が働いている飲み屋をハシゴする。クリスマスイブはどこもガラガラでおかしい。ラブホテル街が超満員で、入りきらないカップルが流浪しているもおかしい。

「イブの夜に、予定ないの?」

と聞かれるが、それを確認するために一人でハシゴする。(山田)



| chat-miaou | 05:56 |
汚い手紙

 

久しぶりに手紙が届いた。

差出人をみて面倒くさいな、と思ったが、手紙を開くととても汚い字で読む気がしない。

精神状態がよくない時に、こういう手紙がくる。

読まないわけにはいかないからざっと目を通すと10年ぐらい前、7回ぐらい一緒に酒を飲んだことのある知人が亡くなった、という悲しみの手紙で、久しぶりに酒を飲もうということだ。

私は差出人の連絡先も死んだ人の連絡先も知らず、そんなことわざわざ手紙に書いてよこされても困る。

10年前、7回の付き合い。

小学生や中学生の同級生はほぼ毎日同じ時間を過したが、死んだ知らせはこない。

30年前1000回以上の付き合い。

そんなことより問題は手紙の字だ。汚い字とヘタな字は違う。ヘタな字は、ゆっくり書けば綺麗な手紙になる。こんな汚い手紙では悲しみなんて伝わってこない。自分の感情を相手に押し付けているだけで、私は全然悲しくない。

本当に汚い字で、面倒くさそうで、面倒くさいなら書いてよこさないでほしい。不愉快で、突然ハナクソを送りつけられたのと同じ気持ちになった。それほど汚い。

気持ちは伝わる。アマゾンで買い物をしても段ボールのガムテープがはがしやすいように、テープの端を少し折り曲げておいてくれる人がいる。綺麗な切手をみつけるとたくさん買っておき、手紙の切手にこだわっている人がいる。不愉快を送り付けるのは頼むからやめてほしい。

会いたくないし酒などおごってほしくない。決めつけないでほしい。

酔っ払ってメールしてくる人の字は間違いだらけで頭にくる。

ガムテープをグルグル巻きにして、梱包をとくのにカッターやハサミをつかって時間がかかる。

まるでわざとのようにグチャグチャに書いてある手紙。こういう人は、自分では気づかず、日々周囲に不愉快をふりまいているに違いないのでただちに縁を切る。

書き間違えたところは黒く、これもグチャグチャに塗りつぶし、紙がめりこんで破れそうになっている。バカにされているような気分になってきた。

本当に迷惑だ、とはっきり言いたいが、なかな言えない。いや、勇気をふりしぼって言わなければならない。出会いは無数にあるが、時間と体力はかぎられている。もっと時間を共有すべき大切な人がいる。

字を書き間違えたからといって最初から書き直すことはない。修正液をつかわなくてもいい。せめて、二本横線を引いて書き直せばいい。

パソコンを覚えればいい。

こんな手紙はゆっくり書いたって5分もかからない。相手が私でなければこんな汚い手紙は送らない。最後まで読まずに破り捨てた。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
そこに山があるからだ
 

妊娠してつわりに苦しむ女性に「俺の二日酔いとどっちがつらいかな?」というと怒られた。そんなのと一緒にしないでほしい、といわれた。妊娠するとイライラするというから、何もいい返さなかったが、たぶん私の二日酔いの方がつらい。

つわりで血を吐いた人の話は聞かないが、私は何度か血を吐いている。気持ち悪くて嘔吐がとまらず、吐くものがなくなり黄色くて苦い胃液の後に血を吐く。今では学習し、黄色い胃液が出たらたくさん水を飲み、ポンプのように飲んでは吐きを繰り返すと、血を吐くことはない。吐くものがなくなると血を吐く。ウイスキーをストレートで1本あけると、そのような二日酔いになる。

居酒屋で知らない人に話し掛けられた。

山登りの帰りで、山登りは孤独だというので「酒と一緒ですね」というと「全然違う」と鼻で笑われた。

たぶん私の方が孤独だ。その人には一緒に山を登る相手もいるだろうし、酒を飲む友達がいるだろう。私にはいない。1週間、居酒屋の注文以外声を出さない孤独を彼は知らない。携帯がひと月に2回しか鳴らない孤独も知らない。そのうちの1つがNTTドコモからの料金請求メールだということも知らない。

「山は死と隣り合わせで、死ぬかもしれない」

私の飲み友達は何人も酒で死んでいる。私も医者に酒を止められている。

「好きで飲んでるんでしょ?」「好きで登ってるんでしょ?」「 飲まなければいいじゃないですか」「登らなければいいじゃないですか」

「だって、あなたは楽しくて飲んでるんでしょ?」「楽しくて登ってるんじゃないんですか?」「違いますよ!」

違う理由は答えなかった。彼は孤独と闘っているが、私は淋しさを全然感じない人間なので孤独と闘っていない。お互い、全く共感することなく、彼は私に話し掛けたのを後悔して黙った。

自分の立場でものをいう。自分の立場しかわからない。

正社員が失業者に嫌味をいう。失業者は傷つき追い込まれていくが、嫌味をいう正社員は近い将来自分も失業者になることにまだ気づいていない。これは間違いない。(山田)

| chat-miaou | 12:32 |
スナックの恋
 


変な店に行くと変な人がいる。

そういう人たちと話をすると嫌な気分になるのでできるだけ話し掛けられないようにする。

人と話す度にいつも嫌な思いをするのは、ひょっとしたら私が変なのかもしれない。

飲みに行かなければ解決するのだが、それではすることがなくなってしまう。ここが生きる難しさでもある。

近所に朝までやっているスナックがある。夜中に酒が飲みたい時にたまに行く。

夜中の3時だというのに、かわいらしい若い女性が一人で飲んでいたので、一緒にカラオケを唄った。かなりの美人だが、真夜中の町のスナックでおしゃれをしている変な人だった。

彼女は本が好きだといった。新宿に飲みに行ってみたいといった。

「今度、飲みに行こうか?」

酔った勢いで誘ってみると、なんと携帯番号を教えてくれたので恋の予感がした。

「新宿二丁目に行ってみたい」

二丁目ならいくつか知っている店がある。

「いつ誘ったらいい?」

勇気を出して誘ってみると、「私、土日が休みなんですけど、土曜は一人で過ごすことに決めてるんですよ。日曜は彼氏と会う日なんですけど、彼氏と会えるかどうかは彼が土曜の夜に決めるんで電話かかってくるまでわからないんですよ。だから土曜の夜十一時過ぎに電話してみてくれますか?」
(山田)


| editor | 07:56 |
共同生活

 

 

ファミリーレストランに勤めていた時、住居は二階建ての一軒家だった。会社が借りていたもので、社員が二人で一緒に住む。1階が12畳のキッチンで2階が二部屋の住居だった。

同居の桑田さんが2階の奥の部屋にいた。私の前に住んでいた社員は桑田さんの先輩だったので、桑田さんは元は手前の部屋だった。奥の部屋へは手前の部屋を通るから、何度も睡眠中に起こされるのだという。

桑田さんは嬉しそうに奥の部屋に移ったが、私は2階の手前の部屋を拒否した。トイレも風呂も1階にあるのだから、1階に住めばいい、何度も起こされるのは手前の部屋でも1階でも同じことだった。

私が越してきた時、1階はゴミ置き場になっていてゴミ袋が50個以上あった。キッチンは全く使われていない。

私は1階をきれいに掃除し、片隅に蒲団を敷いて暮らしはじめた。

なぜか桑田さんが「申し訳ないから、お前が二階の奥の部屋でいい」といってきた。

全然申し訳なくない。すぐ隣に他人が暮らしている方が落ち着かない。物をもたない私には12畳のキッチンの片隅でさえ広すぎた。

桑田さんと一度ももめることなく数か月暮らした。2階に上がったことは一度もない。物をもたず、物音も出さない私は共同生活に向いているかもしれない。ファミリーレストランを辞める時、電気のヒモに桑田さんからの「快適で暮らしやすかった。ありがとう」という心のこもったメモが残されていた。荷物が少ないので引っ越しは宅急便で済ませた。

付き合っていた女性と数か月暮らした部屋は61間だったが仲良く暮らした。物をもたない私はプラスチックの衣装ケースを1つ買ってきて、すべての荷物はそこに収まり、「小さなお部屋ね」と彼女が笑った。

そんな暮らしを私は気に入っていたが彼女との暮らしは長くは続かなかった。喧嘩をすることはなかったが、私が朝まで酒を飲んでしょっちゅう家に帰ってこないので、「帰ってこないんなら一緒に住んでもしょうがない」といって実家に帰ってしまい、私も仕方なく衣装ケースを宅急便で実家に送った。(山田)

 

 

| chat-miaou | 03:21 |
朝起きて夜寝る

 

 

編集の仕事は楽だが、上司次第ともいえる。パソコンのできない高齢の上司の手伝いをされると大変なことになる。高齢の編集者は夜型の人が多く、出社時間が遅く真夜中に仕事をしたり、時には朝まで仕事をする。こちらは朝10時に遅刻せずに会社に行っているのだから24時間会社から出られなかったりする。要領が悪く、人のペースで行動するのはストレスがたまる。しかも高齢者は普通に威張る。命令する。逆らうと倍返しで怒る。いちいち面倒くさい。

仕事を任されると楽になる。朝、会社に行き、メールをチェックしたら後は編集会議以外は自由になる。本屋に行ったり、人に会ったり、図書館や大宅文庫で調べものをしたりして企画を出して本をつくるのが仕事なので、好きな人にとっては遊んでいるのとかわらない。監視する人がいないので、二日酔いの日は、サウナや喫茶店で休んでも許される。朝10時に会社に行けば夕方には仕事は終わる。私は始発で会社に行くことが多かったのでいつも昼には仕事を終え、主に電話番をした。給料も普通にもらえたし、あんないい仕事はなかった。

22歳の時、初めて正社員として勤めたファミリーレストランの仕事は辛かった。アル中だった私を父が心配し、ファミリーレストランの仕事をみつけてきて、実家から追い出された。

朝7時から朝4時までの営業時間で新入りの私はいつも夜番で、夕方5時から翌朝の4時半までの勤務だった。

25歳だった店長が新婚で子供が生まれたばかりだった。奥さんが育児ノイローゼになり、店に何度も電話をかけてきて本当に迷惑だった。

社員は5人で、奥さんが病院に行く日はいつも朝晩の店長は休みで、代わりに私が朝番になる。4時半まで働いて2時間半後の7時からまた出勤するなんて地獄のようで、店長の都合で私の勤務時間が変わった。

客の少ない開店から2時間は調理場もホールも社員一人でこなすことも多かった。接客して注文を取り、調理をしたりコーヒーを運ぶ。

店長は朝7時から夕方5時の朝番ばかりだった。ある日、私がアルバイトの女の子と話しながら仕事をしていると店長に事務室に呼び出され、書類を投げつけられ「仕事中に女としゃべってんじゃねえ! 仕事なめてんのか!」と怒鳴ったが(それはお前だ)と思った。今振り返ってもゴミのような人間だった。

数か月で金を貯めてファミリーレストランをやめたが、ひどい会社だった。タイムカードはないし、会社の仕事のノルマとしてお中元のハムを5個も買わされたし、私の給料は手取り15万円で、5人の社員のうち3人が仕事中に倒れ、救急車で病院に運ばれた。不眠症になりむくみがひどくイボイボのついた健康サンダルを痛くてはけないほどだった。

当然、失踪した人も多い。給料未払い問題も多発した。研修を一緒に受けた同期入社のほとんどが1年以内にやめた。

ファミリーレストランをやめる時、本社から営業部長がやってきた。

「編集者になりたい」

というと、「なれないよ、俺はたくさんの人に会ってきたけれど、お前はそんなタイプじゃないよ」と40歳の営業部長はいったが数年後に私は編集者になった。今振り返っても本当にゴミのような人間だった。私もたくさんの人に会ってきたけれど、あの営業部長は大手では部長になれるタイプではないゴミのようなタイプだった。

自分が45歳を過ぎて振り返るとよくわかるが、ゴミのような人間は無責任で、スケールが小さく、振り返ると、いてもいなくてもどちらでもいいゴミのような人間で、未来のある若者は少しでも彼らと時間をともにしないように避けて通るしかない。

そのファミリーレストランはつぶれた。(山田)

 

 

| chat-miaou | 02:59 |
ファミレスの恋



若い頃、正社員として勤めたファミリーレストランの仕事はつまらなかったが、他の社員は楽しそうだった。

社員の人と飲みに行くと、いつもアルバイトの女の子との恋愛話がうらやましかった。店長の奥さんもアルバイトの女の子だったし、他の社員の恋人もアルバイトの女の子だった。

指導する立場である正社員の男と指導される立場の若い女、必然的に恋愛感情が生まれる。

二十代の社員は「誰とやった」「誰ともやった」「誰と別れた」「誰と付き合っていた」と、そんな話ばかりしていた。

二十代の主婦で、夫と仲が悪く子供がいない女の人が何人かよく飲み会にいて酔った目で社員の人をみつめていた。私もよく飲みに誘われたがおごらされるのが嫌だったし、人妻なんて怖かったのであまり行かなかった。

私は他にやりたいことがあり転職を考えていたのでファミリーレストランの仕事を楽しめなかったが、女好きにはいい職場かもしれない。私が勤めていたような郊外のファミリーレストランがいいかもしれない。

アルバイトの女性はいろいろな人がいた。女子高生、高校中退の茶髪の女の子、入学したばかりの女子大生、飲んだくれの主婦、はじめてアルバイトをする真面目な子や、海が近かったからサーファーもいた。

アルバイトをするたくさんの若い女性に囲まれ、こちらは給料生活者で、一人暮らしでお金に余裕があるし、郊外だから車がないと不便だし、どうしても恋愛が多発する。

私は4か月しかいなかったので何も起こらなかったが、もう少しいたらたぶんいろいろあった。

22歳だった私は17歳のサーファーに恋心を抱き、彼女と二人で砂浜を走る姿を夢想した。

子犬のような人だった。真っ黒に日焼けして、それなのに汚らしくないかわいらしい美少女であった。
彼女用の従業員食は特に気合を入れてつくったが、「山田さんがつくると、なんかまずい」と真夏の太陽のようにまぶしい笑顔でいわれ、恋の予感がした。ウエイトレス姿がよく似合う彼女と目が合う度に笑顔を交わし、彼女とのふれあいが唯一の救いで、学校帰りの彼女の出勤時間が待ち遠しかった。
「ママがきた!」
ある日、彼女が言った。
こんなにかわいい人のママとはどんなに美しい人だろうか、私が厨房を飛び出しホールをのぞくと真っ黒な顔を真っ赤にした彼女が私の手を引っ張って、
「やーめーてーよー」「だーめーだーよー」「はーずーかーしーよーと大騒ぎし、高校中退の私は遅れてきた青春の味を知った。ホールでは彼女を成犬にしたような洗練されたドーベルマンが足を組んでコーヒーを飲んでおり、遺伝子の素晴らしさに感動した。
彼女のためなら神奈川県に永住し、海をみて暮らすのも悪くはなかった。

ファミリーレストランを辞める時、ちょうど休憩室で彼女と二人きりになったので、思いきって告白すると断られた。(山田)





 

| editor | 01:59 |