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『自己発見』

 

いつか学校の教科書で読んだ湯川秀樹の文章が読みたいが、ネットで調べてもわからなかった。

湯川秀樹が、学校の先生から友達と二人一組になるよういわれ、他の友達は次々一組になっていくのに湯川秀樹だけは誰からも誘われず、一組になれなかった。

どうしても読みたくなりアマゾンで探し、自伝『旅人 ある物理学者の回想』を買って読んでみたがそんな話は出ていない。

『自己発見』を買ってみるとあった。「自己発見」というタイトルの6ページの文章だった。「その時の何ともいえない悲しい気持ちが、今日まで消えずに、私の心の奥に残っている」「この小さな出来事が、あとになって考えてみると、その後の私の考え方、生き方に、相当な影響を及ぼし続けているように思われる」と書いている。

私にもそういう出来事があった。

たしか小学校3年生の時だった。学校で大便をもらした。

朝からずっと耐えていたのだが、帰り際にもれた。

普段私に「一緒に帰ろう」なんて声をかけてくれる友達はいなかったので、一人で急いで帰ろうと思ったら、そんな時にかぎって次から次に「一緒に帰ろう」と誘われた。

クラスメートと一緒に帰りながら私は無口だった。少量でない大便のにおいがばれるのが怖くて、友達と距離を置くようにして歩いた。

「なんか臭いな」

と友達はいったが原因は私だった。

奇跡的にばれずに家に着き、固形物をトイレに流した。

汚れたパンツを兄弟にみつかったら大変なので、とりあえずビニール袋に入れてから臭いを消し、悩みに悩み、パニックに陥って家の窓から隣の畑に向かって思いっきり投げ捨てた。

不幸は続いた。

ビニール袋入りのパンツが木の枝にひっかかってしまった。小学3年生の私の手の届く高さではなかった。

葉っぱがたくさん繁っていたのでパンツの姿は隠れた。衝動的行動を後悔して取りに行ってみたがみえなかった。

兄弟のパンツと区別するためにパンツには油性マジックで私の名前が書いてある。いずれ落ち葉の季節がきたらばれてしまう。

その季節、私は生きた心地がしなかった。毎朝、ごはんがのどを通らなかった。

落ち葉の季節になり、禿げあがった木の枝に私のパンツはなかった。植木屋さんが片付けてくれたのかもしれないし、カラスがどこか遠くへもち去ったかもしれない。

あの時の何ともいえない悲しい気持ちが、今日まで消えずに、私の心の奥に残っている。あの小さな出来事が、その後の私の考え方、生き方に、相当な影響を及ぼし続けているように思われる。(山田)

 

| editor | 02:01 |
孤独病


信じてもらえないが、一人でいるのが好きな人がいる。淋しいと感じることができない人がいる。

「ウサギだって淋しいと死んじゃうんだよ」というテレビドラマのセリフがあったが、そんなこといわれたってこちらは全然淋しくないのだから、「ウサギだって耳が長いんだよ!」といいながら不良に耳を引っ張られているような気がした。

みんなと盛り上がるのに耐えられない。気の合う人と2人で会うのは楽しいが、3人以上だと話したいことも話せず、それなら会わない方がいい。

断れないパーティに出席することがあるが、受付を済ませて数分でそっと帰る。知り合いをみつけても、自分に自信がないから話し掛けることができない。話し掛けられた相手は、ひょっとしたら私と一緒にいたくないかもしれない。他の人と比べて、自分がどれほど親しい関係にあるのかわからない。そんなことを気にするのが面倒なので、すぐに帰ってしまえばいい。

ロックコンサートは好きだが、途中で帰ることが多い。

ポール・マッカートニーのライブで、ポールと観客の「ヘイ・ジュード」の合唱が始まると、耐えられなくなり満員の東京ドームを後にした。

Zepp東京で若者たちが集まっているのをみると帰りたくなる。楽しみにしていたランシドは15分で帰ったし、アンドリューWKとマンドゥ・ディアオは入り口で帰った。武道館ではデュラン・デュラン、REM、ジェームス・ブラウンを30分で帰った。

エルビス・コステロもデヴィット・リー・ロスも、メタリカもオアシスも途中で帰った。

ガンズ・アンド・ローゼスの「パラダイス・シティ」が聴きたくて、ルー・リードの「ワイルドサイドを歩け」が聴きたくて、そういうのを楽しみに待っている自分が嫌になり、演奏する前に帰った。

ニューヨーク・ドールズ、マイケル・ジャクソン、ディー・ライト、ローリング・ストーンズ、ハノイ・ロックス、マリリン・マンソン、チャック・ベリー、AC/DCU2は最後までみた。

ロック・フェスにもけっこう行った。プロディージーやDEVO、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ダレン・エマーソンがよかった。ビースティ・ボーイズはみないで帰ったがみておけばよかった。ヘッドライナーだったレディオヘッドは3分で帰ったが、後でテレビでそのライブをみて感動し、単独公演に行き、10分で帰った。

フジロックに行ってみたいが敷居が高い。

サマソニには今でも行きたい。千葉マリンスタジアムの一番後ろのスタンド席から眺めるヘッドライナーと数万人の観客の盛り上がりがすごい。

サマソニに行く前の日、ホームページの掲示板をチェックしていたら、ハイタッチの目標人数がたくさん書き込まれていた。よくわからないが、知らない人にハイタッチを求められたら、私には自信がなかった。どんな顔をして応じていいのかわからない。

当日、サマソニの会場で、一人で昼間からビールを飲んでいると、かわいくておしゃれなカップルが私に向かって歩いてきた。

(ひょっとして、私とハイタッチがしたいのかな?)とドキドキしながらも手の平をズボンでこすって心の準備をしていると、

「券ありますか?」

とダフ屋に間違えられた。

深く傷つき、悲しみに暮れ、そのまま電車で家に帰った。以来サマソニはテレビで楽しんでいる。(山田)

 

| chat-miaou | 01:01 |
孤独への道
 

孤独に暮らすのはなかなか難しく、人は一人では生きていけない社会の仕組みになっている。だから、なるべく孤独になれるような環境づくりに日々、研究が必要になる。

サラリーマン時代、ランチに誘われるのが嫌だった。同じ職場にいる人と、休憩時間も昼飯も一緒にいるなんてできない。昼時、誰かの視線を感じると、誘われる前にトイレに逃げた。

日本人なら、幼稚園から中学生までで、完全に団体行動が身についている。

小学生の時も、中学生の時も、遠足の弁当が面倒だった。仲良しグループが集まって食べるが、私はグループに入っていけない。いたたまれず、そっと少し離れた森の中に入っていき、一人で食べるのだが、小学校2年の時から自分で弁当をつくっていたので楽しみではなく、ただ義務として弁当を食べた。

孤独への道は携帯の登録を削除することからはじまる。しばらく連絡を取っていない人は削除する。自分からは連絡しない。登録すると名前が表示されて気になるが、登録しなければ誰からかわからない。登録していない人からの電話には出ない。

留守番電話が入っていればできるだけかけ直すが、留守電を入れる人は少ない。メールにも、署名がないので誰からかわからず返信できない。

今では月に数回しか携帯が鳴らず、特定できるのは登録している数人で、他は誰かわからない。

どうしても消すことができない登録が100件を超える人には孤独への道は難しい。

削除してみるとわかるが、ほぼ100パーセントの人がこちらがあちらの名前を携帯に登録していると思い込んでいる。

留守電を入れない電話は緊急ではない。数回かかってきた後、突然「電話に出ろよ!」と怒りのショートメールがくるが、名前を署名していないから誰が怒っているのかわからない。気になるから、着信直後にメールも履歴も削除する。携帯の使い方がよくわからない、携帯が壊れている、を理由にすべて解決できる。

私も社会の一員として、やはり携帯とパソコンは手離すことができない。

携帯をもって15年、緊急の電話は1度しかない。登録していない病院からで、母危篤の知らせが留守番電話に残っていた。(山田)


| chat-miaou | 10:58 |
悲しみは癒える

 

友達の自殺を発見した時はショックだった。10年電気を消して眠ることができなかったし、しばらくはずっと口を閉じることができなかった。今でもぶら下がっているものをみると小暮を思い出す。

とはいえ、今は何とも思っていない。今、同じ状況になったら、冷静に死体を直視する。

向こうを向いてぶら下がっている友達に私は二度呼び掛けた。足元に靴下が脱いであり、足の裏が死んだ色をしていた。買っていった冷やし中華の入ったコンビニのふくろを落とし、そのままドアを開け放したまま逃げた。

階段を転がり落ちて会った1階の住人に電話を借りて警察に電話をしていると、2階から私と同じようにおばあさんが階段を転がり落ちてきた。おばあさんも首吊り死体をみて腰を抜かした。

アパートの前にある自動販売機で缶チューハイを買い、警察がくるのを待った。何度も同じことを聞かれ、事件性がないことを確認された。刑事も消防隊員も世間話をしながらたんたんと仕事をこなした。聞いてみると自殺処理はしょっちゅうで、彼らにとっては何ともないことなのだとわかった。

小暮の死体は銀色のビニールをかぶせた担架で運ばれていった。私は口を開けたまま家に帰った。歩くのが面倒で遠くてなかなか家に辿り着かなかった。

あれから20年以上経った。

今でも小暮の両親と3人で会うことがある。

「俺、こんなに落ちぶれて、もし、健二君が生きていたら大変だったんじゃないかと思います。似た者どうしだったから」

「山田さんには悪いけど、山田さんみてて俺もそう思うんだよ。今、仕事なんてないでしょう。健二はそういうのがダメだったから」

死んだ方がよかったとまではいわないが、あれでよかったんだ、と考えることはできる。

時間が経てば、悲しみは必ず癒える。

3人で会っても小暮の話をすることは減った。

「山田さん、老けたね。太ったし、すっかりハゲちまったね、体の具合はどうだい?」

生きているだけで次から次に悲しみがやってくる。小暮は21歳で死んだ。老けることも、太ることも、ハゲることもなく、みなから忘れられつつある。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
虫の知らせ

 

 

2代目タイガーマスクが死んだ時、前の晩にタイガーマスクが死んだ夢をみた。朝、電車の中でスポーツ新聞で2代目タイガーマスクの試合中の事故を知り、ゾッとした。友達に話すと、「前の晩に酒を飲んで、どこかでタイガーの死を聞いたのに、酔っ払って覚えていないんじゃないか?」と言われると、そんな気もする。私は2代目タイガーマスクのファンではないし、試合もみたことがない。虫の知らせには原因がありそうだ。

尊敬する先輩が死んだ夢をみた次の日、知り合いに「松田さんの具合が悪いらしいよ」と聞き、ゾッとした。松田さんのことを考えながら一人居酒屋のカウンター席でホッピーを飲んでいると、私の頭上にあった赤ちょうちんの電球が突然ボッと火をふいてショートし、ゾッとし、松田さんに電話してみると、松田さんはガンだった。もっとも、人が死ぬ夢はよくみる。

意識的にせよ、無意識にせよ、そのことばかりを考えていると、何に対しても過敏に反応し、心配している相手と結び付けて考えるのではないか。虫の知らせを感じると、そのことばかりが強烈に印象深く頭に残り、他の無数の当たらない予言めいたことや夢は印象に残らずに忘れ去られるので、虫の知らせはさらに輝きを増し、面白がられる。

私の父の話によれば、私の母方の祖父が死んだ時、母がトイレから「誰か電話に出て!」と叫んだが、電話は鳴っていなかった。しばらくすると電話が鳴り、父が電話に出ると祖父の死の知らせだった。

若い頃、私の友人が首を吊り、私が第一発見者になった。葬式が済み、私が自分の部屋で昼寝しているとその友達が夢に出た。

「ごめん。こんなにみんなが悲しむとは思わなかった。親父が山田君に10万円あげるっていうんだけどいる?」「くれよ」

目が覚めると電話鳴り、友達のお父さんに呼び出され、封筒をくれたが、中身は10万円だとわかっていた。

神経過敏が原因で、10万円に関しては、卑しい私が潜在意識の中で遺族からのお礼を期待し、さらに潜在意識の中で10万円と予想した。

母が死んで数週間経った頃、朝目覚めるとすぐ、なぜか母の洋服タンスの2番目の引き出しを開けたくなり、トイレに行くより先にまっすぐと向かい、たたんであった服を広げると400万円の定期預金通帳が出てきた。

私は母の死後の相続整理に追われてクタクタだったので、睡眠中に潜在意識が2番目のタンスも怪しいから調べておいた方がいい、と推理した。

一度だけ、限りなく完全に近い虫の知らせがあった。

私はその時、編集部に所属し、パソコンに向かって仕事をしていた。経験したことのない変な頭痛が一瞬だけして、祖母が死んだとわかった。理由はないがわかった。祖母は2年以上病院にいて、私は何か月も見舞いに行っていなかった。

せっかくの虫の知らせだったので、記念に向かいの席の同僚に報告しておいた。

「今、虫の知らせでおばあさんが死んで、病院に一人でいるから行ってくる」「なんでわかるの?」「なんでかわからないけど虫の知らせでわかる」

編集長にも報告して会社を早退し、神保町から大手町で丸の内線に乗り換え、茗荷谷駅で姉から電話があり、車内だから電話に出られなかったが、用件はわかった。

あの時、編集部にいた人たちはみな不気味がっていた。本当はメールで連絡を受けたのだろう、と言う人もいた。ただし、祖母が死んだのは虫の知らせの数時間前のことだった。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:02 |
不思議な話



スナックで話を聞いていたら、店員の女の子の彼氏が交通事故で死に、その時、店のテレビのカラオケ画面の上でその彼氏が小人となってあらわれ、笑って手を振ってくれたというのでゾッとした。

いい話を聞けた、とその子を見直したが、数か月後に、家で鳥かごで小人の彼氏が手を振ったと話している。

前は店のテレビといっていたのに、とがっかりしていると、他のお客さんが「前は店のテレビの上っていってたじゃんか!」と指摘してしまい、女の子は慌てて「2回見た!」と弁解した。1回と2回では話の価値が大きく違う。せっかくのいい話が台無しになってしまった。

死者の不思議な話は詳しく聞いてしまうとどれもつじつまが合わなくなって面白くなくなる。死んだ友達の写真が勝手に携帯の待ち受けになっていた、なんていう話をする人もいる。

私にもいくつかある。

私の親友は21歳で首吊り自殺したのだが、彼の話をしながら酒を飲んでいると、そこにいる私以外の誰かに彼がのりうつる。小暮はウーロンハイのグラスにふたをするように手のひらをのせる変な癖があった。そんな変なことをする奴は小暮以外にみたことがないのだが、小暮の話をしているとそのことを絶対知らない誰かがそれをやる。これまで4回も見た。最初は小暮の葬式の帰りに居酒屋で飲んでいると、そんなことを知らない人がずっと手のひらをグラスにのせていてゾッとした。その人は左手で煙草を吸いながらずっとそんなポーズをしているのでとても不自然で目立ち、その癖を知っている仲間たちは怯え、その人に悪いから口に出さないでいた。

解散した後「さっきのあれ、小暮がのりうつってたよね」というとみなひきつって笑いながらうなづいた。

今でも小暮の話をしていると突然誰かが自然にそれをやっていて、目ん玉が飛び出る。いうとみんな恐がるので、私は心の中で(久しぶり)といって笑いをこらえている。

スーパーで買い物をしていると近所のおばさんが神妙な顔で話し掛けてきた。

「あなたのお父さんが夢に挨拶にきてくれた。いつも会う度にお話していたから嬉しかった」という。

派手に救急車とレスキュー隊がやってきて父を病院に運んでいったから、町で噂になったのだろう。それでいて、私は近所付き合いがなく、誰とも話をすることがないので、時が過ぎて「死んだ」という噂にかわっていったのだろう。父はまだ生きている。(山田)

 

| chat-miaou | 09:59 |
お通夜

 

通夜の後、小暮のお父さんが「変な事を聞くけど、健二は童貞だったんですか?」と聞いた。

童貞ではなかった。

競輪で勝った時、小暮と池袋のソープランドに行った。

客引きのおじさんに詳しく聞くと、25000円で平均年齢が23歳というので、小暮の背中を押して入店させた。

1時間後、近くの焼き鳥屋で待っていると小暮が帰ってきた。複雑な顔をしていた。

「初体験、どうだった?」「あのさ、あれ、絶対23歳じゃねーよ、あの人、俺のおふくろより年いってるよ」

不満をいいながらも嬉しそうだった。

悲しみの多い人だった。床屋に行って坊主頭にした時は、床屋のおじさんにいたずらされて前髪だけ子犬の尻尾のように残されてみんなに笑われた。

「あのおやじ、何考えてこんなことするのかわかんねーんだよ」と怒っていたがとても面白く、私はそんな小暮が好きで、笑ってばかりだった。

小暮のアパートに泊めてもらった時、夜中に目をさますと、暗闇の中で小暮がセンズリをしていた。ビデオデッキのデジタル時計をみると4時で、小暮は私に気付くと壁を指さした。隣に住む若いカップルが明け方のセックスに励み、その声を聞きながらセンズリをしていた。

ソープランドをきっかけに風俗遊びが好きになり、性感マッサージで働く女の子に初恋をし、その子の話ばかりした。毎週店に通い、プレゼントを贈った。

初デートが決まり、小暮は嬉しそうだった。池袋の三越の前で待ち合わせ、映画をみに行くという。一応、避妊具も用意した。

デートの日の夜、小暮のアパートを訪ねた。小暮は淋しそうな顔をして酒を飲みながらテレビをみていた。

4時間待ったが彼女はこなかった。店に行ってみると辞めていた。携帯電話がない頃だから、もう連絡も取れないし会うこともない。

彼女にあげようとしたおそろいのマフラーがテーブルの上にあった。私に一つくれるというが、いらない。

小暮のお父さんに変な話ばかりした。涙をためながらお父さんは飲めない酒をゴクリ、ゴクリと飲み込んでいた。(山田)

 

 

| chat-miaou | 03:01 |
カセットテープ

 

23歳の頃、私も小暮も失業していた。

毎日することが何もなく、昼から池袋で酒を飲んだり、図書館に行って時間を潰し、二日酔いの日々だった。

二人ともクーラーをもっていなかったのでクーラーのきいている場所を探しもとめてさまよった。

ある日は映画をみに行った。映画がみたいわけでもないので、通りかかった映画館に入った。犬が主人公で、その犬がドタバタ走り回るだけの全く面白くない映画だった。あまり込んでいなかったが、観衆は暗闇の中シーンと静まりかえり、あまりのつまらなさにあきれているのがよくわかった。

ドタバタの連続で、一番のドタバタシーンがはじまった。テーブルをひっくり返したり悲鳴をあげたり、スクリーンの中は大盛り上がりだが、観客はあまりのつまらなさに呆然としていた。

二日酔いでムカムカしていると、隣の小暮が思わず、

「つまんねえ……」
とつぶやき、そのいい方がとてもよかったので私がポップコーンを噴き出して笑うと、小暮も笑い、ひどい二日酔いなので頭も正常でないから笑いが止まらない。

腹をかかえながら大笑いしていると、前の席にいた女の子の二人連れが私たちを振り返りながら一緒に笑い出し、他の客たちも笑い出し、はじめてスクリーンの盛り上がりと客席の盛り上がりが一体化したのだが、映画が面白かったのではない。

映画館を出ると、小暮が「楽しかったなあ、俺、映画であんなに笑ったのは初めてだよ」と興奮したようにいった。

小暮はそれから数か月後に首をつって死んだ。

小暮とよく行く居酒屋があった。とても込んでいて、いくら店員を呼んでもきてくれない。

「あいつら『すいません』っていっても無視するのに慣れちゃってるんだよ、いくら『すいません』っていったって無駄なんだよ。だからいい方をかえる」

それから大きな声で「すいませし!」と呼ぶと、見事に一発で店員が振り返った。

店員たちは何やら「あの人、『すいませし』っていってるよな?」という風にヒソヒソ笑いながら耳打ちし合い、小暮は店員たちの気になる存在になり、すぐに注文が通るようになった。

その時、ラジカセをもっていたので小暮の声を録音した。

小暮が死んだ時、小暮のお母さんから手紙をいただいた。

「今でも帰ってくるような気がします」

お母さんはかなり憔悴していた。カセットテープを思い出し、少し迷ってからお母さんに電話すると送って欲しいという。バカみたいに二人で笑っている声が録音されているから恥ずかしかったが送った。

テープを聞いたお母さんからお礼の電話があった。

「すいませしって何ですか?」

お母さんはどんな気持ちで死んだ息子の声を聞いたのだろう。私は自分の存在が情けなかった。(山田)

 

 

| chat-miaou | 02:01 |
小暮の死

 

 

 

病院で「酒がやめられない」と白状すると、先生から栄養士の指導をすすめられたが、過去に二度栄養士の指導を受け、プレッシャーに耐えられずアル中がさらにひどくなった経験があるので断った。

60歳ぐらいのやさしそうな先生だった。私は暗い人間でいつも誰とも話さず一人で黙って飲んでいる。

「君は本当はそんな人間ではないんじゃないのか。仲間たちと楽しいお酒を飲める人なんじゃないのか。僕は君の顔をみていると、もっと君と話をしてみたいと思うよ。お酒じゃなく、山登りとかスポーツのサークルに入ってみたら」

なぐさめられると悲しくなる。死んだ母も同じことを言っていた。

仲間がいないことはないが、深く付き合う人はいない。面倒くさくて会う気になれない。

やはり私はいつも言い訳として小暮の死を思い出す。小暮の死は私にとってはトップ5に入る重大事件だった。なぜか、今でも数年に一度は中板橋に行ってしまう。

小暮とは、先生のいう普通の友達として付き合った。小暮は21歳で首を吊り、私が発見者となった。

私は小暮と週に5日酒を飲んでいた。合鍵を持っていて、連絡の取れなくなった小暮の部屋を訪ねると死んでいた。

変な奴だった。私と一緒で暗かった。

街で風俗嬢に声を掛けられると私を残してついていってしまう。そんなところが普通と違い面白い。暗いのに恐れを知らない冒険心があった。酔っ払っていつ2階から飛び降りるかわからないような危なさがあり、爆笑しながら駅の長い階段を転げ落ちた。

街で声を掛けられた女についていき、変な映像をみせられ、新興宗教に入信した。

「素晴らしい世界を知ってしまった。とてつもない目標を持つことができた。山田も目標に向かってがんばってよ」

豹変した小暮に私はぶったまげた。小暮は仲間たちと理想の結婚を語り、私にも入信をすすめた。

テレビのニュースでも評判の悪いキリスト教系の宗教で、私は心配して町の普通の教会に相談し、小暮を連れていった。

私も小暮も中板橋の風呂なしアパートに住み、フリーターだった。バイト代が残っている方が飲み代を出し、金がない時は冷蔵庫のある小暮の部屋で飲んだ。夜11時に、小暮のアパートの1階にあるラーメン屋で酒を飲みながらニュース23をみてから自分のアパートに帰る毎日だった。

週刊誌に載った新興宗教の広告塔だったタレントの脱会手記を読むと、小暮もあっさりと新興宗教を脱会した。「あの時は洗脳されていた」と過去を振り返った。

普通のキリスト教会の青年部の飲み会に参加した小暮は「いつも山田と飲んでいるから気付かなかったけど、俺って酒強いんだね。ウーロンハイ10杯飲んだらみんなびっくりしてた。みんな中生2杯ぐらいしか飲まないんだよ」

普通の教会にもすぐに飽きて通うのをやめた。

小暮は焼き鳥のネギマ(タレ)とウーロンハイしか口にしないと決めていた。

私と同じラッキーストライクを吸っていたが、「なんでも山田君と一緒だね」と女の子にからかわれてからセブンスターに変えた。

変な奴だったので職場でいじめられた。おとなしくてボーッとしているのでどこにでもいる性格の悪い上司に嫌味をいわれ、2か月ごとに仕事をかえ、最後はなかなか仕事がみつからなくなり、「よく眠れる」といって風邪薬をたくさん飲んで長時間眠って時間をつぶした。

アメリカ留学のために貯めていた100万円の貯金を風俗店で使い果たしてから死んだ。

今はなんとも思っていないが、私は小暮の死を引きずり、しばらく口を閉じることができなかった。酒を飲む度に人にからむので、誰にも相手にされなくなった。恐くて、10年間は電気を消して眠ることができなかった。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
年末の予定



連日、行きつけのバーで飲んでいたら、「忘年会は?」と聞かれてしまった。

「友達いないから」

と正直に答えると、マスターが悲しそうな顔をして、私から目をそらした。

私が悲しくないのに、マスターが悲しそうな顔で私をみているので、

「行こうと思えば行くところはあるんですよ。会おうと思えば会う人だっている」

と言ってしまうと、マスターがさらに悲しそうに泣きそうな顔で私をみた。強がりを言っていると思われたらしい。

決して強がりを言っているのではないのだが、こういう時は言えば言うほど墓穴を深める。

今年は忘年会に誘われなかった。いや、そうじゃない。言い方が悪い。今年だけでなく、もう何年も忘年会に誘われたことはない。

会社勤めをしていた頃も、忘年会は会社の忘年会1つしか誘われなかった。

人気がないのは確実だが、特別嫌われたり憎まれたりしているわけでもないと思う。忘年会をするような人付き合いを避けてきた。誘われても絶対に行かない。

基本的に個人的連絡は無視して生きてきた。電話には出ない。メールも返信しない。集まりやイベントに誘われても絶対行かない。3人以上の集まりは時間の無駄だと信じている。仕事以外でこちらから誰かに連絡することはまずない。私だけの都合で誰かに連絡したことはここ10年記憶にない。連絡しないから名刺も1枚も持っていない。葬式の知らせは日程だけ聞いて行かない。ずっとそうしてきたので結婚式も忘年会も誘われなくなった。

周りからはかわいそうな人にみられるが、本人は達成感を覚えている。人からの連絡を無視するのは勇気がいる。そうしなければまた連絡がきてしまう。正直な気持ち、葬式や結婚式に興味がなく、苦手で行きたくないから声を掛けられないように逃げている。普段から大切な人に後悔しない付き合いを心掛けている。

少子高齢化で、これだけ葬式が増えると、みなこれまでの対応を変えざるをえない。

クリスマスイブはいつも一人で飲みに行き、女性が働いている飲み屋をハシゴする。クリスマスイブはどこもガラガラでおかしい。ラブホテル街が超満員で、入りきらないカップルが流浪しているもおかしい。

「イブの夜に、予定ないの?」

と聞かれるが、それを確認するために一人でハシゴする。(山田)



| chat-miaou | 05:56 |

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