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あなたの知らない世界 2

 

鈴木先生は今は作家だが、昔は定時制高校の先生だった。

鈴木先生と酒を飲んでいて、いろんな話をしていて、私も定時制高校に通ったことがある、というと、鈴木先生の目つきがかわった。

「え! 暴力ふるわないでね」

鈴木先生は定時制高校の教師だった頃、何度か生徒に殴られた。とても真面目で勉強熱心で博学な鈴木先生の授業を受けられる価値がわかる学生はいなかった。

私が定時制高校に通ったのは1980年代、鈴木先生が勤めていたのは1990年代、定時制高校のレベルは低かった。

私の通った定時制高校に真面目な勤労学生は少なかった。40人近いクラスで、正社員として就職していた学生は1人しかおらず、それも自分の親の会社に勤めていた。昼間することがないからアルバイトをしたが、ほとんどは普通高校の入試に受からないから定時制高校に通っていた。

鈴木先生が勤めた定時制高校にも真面目な勤労学生は少なかった。少ないというよりほとんどいない。ほとんどがただの不良で、その中にほんの少しだけ真面目な勤労学生や、遅れて学校に入りなおした人、貧しくて昼の学校に通えない学生がいる。

定時制高校というと世間には苦労人のイメージがあり、それが映画になっていたりするが、山田洋次監督の映画で描かれたような世界はみたことがないし、きっと存在しない。

半分以上は普通の高校生だったが、先生をにらみつけ、酒と煙草とシンナーを持ち込み、暴力団の話をしてクラスメートを脅し、トイレで大便を流さず、勉強する気などいっさいない人たちがいた。私は年下の不良に蹴りを入れられ、やり返すこともできずに屈辱だった。普通の高校に行けなかっただけで、それでも人並みに学歴が欲しくて、一人で社会に出て行くのが嫌で、定時制高校にきて誰かと関わっていたい人たちがいた。クラスメート全員と話したことがあるが貧しい家庭の子は一人しかいなかった。今は貧しい家庭が増えたから真面目な勤労学生も増えているかもしれない。

警察に補導されたり、シンナーを吸って歯が溶けていたり、強姦で逮捕されたり、義務教育を終えて高校生になってもあいかわらずいじめる相手を求め、話に辻褄の合わないウソばかり、一刻も早くこういう人たちと別れたかった。こういう人たちが定時制高校を卒業することはなく、レベルの低い順に学校を去っていく。私も卒業できず2年で去った。各教科のたくさんの先生がぶち切れ、やる気のない我々生徒のレベルの低さを嘆くことが多かった。「学校にくる意味があんのかよ?」とブチ切れて怒鳴っていた。

鈴木先生がラジオ出演したので聴いた。作家になる前の定時制高校の教師時代の話になると、突然穏やかだった口調が変わり、当時の恨みを語りはじめた。(山田)

 

 

| chat-miaou | 06:01 |
あなたの知らない世界 1


 

偏差値42の私立高校出身なので、勉強のできない人の実態をよく知っている。ほぼ全ての学生が勉強しないのだが、偏差値42の原因はそれだけではない。

偏差値42の高校に入学して驚いた。偏差値が42なのにガリベンがいた。休み時間も、帰りの電車の中でも寸暇を惜しんでずっと勉強をしているのに偏差値42なのだからもうたくさんだ。勉強には向いていないのだから早く他の道に進んだ方がいい。参考書を読みながら昼飯を食っていた。偏差値が42しかないのにクラスメイトに勉強を教えていた。

偏差値が42なのに数学部があり、面白そうなので入部した。放課後、はじめての部室を小窓からのぞくと、絶対友達になれない人たちばかりが数人いたので、そのまま引き返して家に帰った。

数学部に顔を出さない私を、放課後、先輩たちが迎えにきてしまい、隠れるようにして逃げ帰った。

「一緒に数学を勉強しよう」

と手紙がきたが、偏差値42では、一緒に勉強することはできない。
才能の取りこぼしがないようにするのが学校教育の目的の一つである。絵を描く才能、文章を書く才能、運動能力、語学的能力、資料を読み込む能力、あらゆる才能を発見できるようにカリキュラムされている。
数学が好きで、数学を勉強している若者が偏差値42
では、これはもうどうしようもない。ほんの少し得点があれば偏差値42などというスコアは出ない。早く他の道を歩んでいって欲しい。

私はこんな高校に単願受験で入学し、学年500人中、400位の成績だった。

不良が多く、いつも1万円札を持っている私に「金貸してくんない?」といい寄ってくる不良が続出したので高校をやめることにした。私の出身中学が気に入らないといって怒り出す不良もいて本当に迷惑だった。私の席は窓際のいい席だったのだが、いつも不良に座られ、不良は私の席で弁当を食ったり気持ちよさそうに寝てばかりいて本当に頭にきた。私のような思いをしないために殴り合って不良に抵抗するクラスメートが2人いたが、2人ともリンチにあってボコボコに殴られ、ざくろのような血だらけの顔にされた。

下駄箱に入れた新品のリーガルの革靴を盗まれた。高い学費を払ってこんな思いをするなんて生き地獄だ。こんな最低の人間たちと少しでも一緒にいたくない。

もう一度、もっとレベルの高い高校に入りたくなり、生まれてはじめて勉強をはじめると、2か月後、偏差値42の高校で学年1番の成績になり、先生もクラスメイトも私の親もざわめいた。

決して私の頭がいいのではない。偏差値42が悪い。

数学部に一度も顔を出さないまま高校をやめ、翌年、偏差値55以上の高校を5つ受けたが1つも受からなかった。大検を取得し、4流大学をいくつも受験したが1つも受からなかった。(山田)
 

| chat-miaou | 05:01 |
遥かなる甲子園


キャッチボールをしたいが相手がいない。

壁を相手にするか真剣に悩むが40歳を過ぎたのでやめておく。

基本的に何でも捨てたくなるが、グローブとボール、キャッチャーミットは捨てることができない。いつ友達ができ、キャッチボールができるかわからない。

急に2人以上も友達ができるとは思えないので、バットは捨てた。

最後にキャッチボールをしたのは5年以上前だから、本当はもう捨てていいのかもしれない。

野球をはじめたのは小学校4年生の時だった。近所の友達と町の少年野球チームに入部した。毎週日曜日に練習をし、5年生になりレギュラー登録されると引退した。レギュラーになると練習を休むことができない。公式の試合もある。人に迷惑をかけたくなかった。

それでも野球への思いが失われることはなく、中学3年になると毎朝早起きしてトレーニングを開始した。
すべては甲子園のためだった。甲子園の夢だけは捨てることができなかった。甲子園を目指しておかなければ、その後の残りの人生を後悔とともに生きるのがわかっていた。
絶対に甲子園に行きたい、と思っていたわけではないので、野球の強い高校にこだわることはなかった。甲子園に行けたかもしれない、という思いをひきずって人生を送るのだけは避けたかった。

中学では野球部に入らなかったから、高校で再び野球をはじめてもレギュラーになれないかもしれない。それでもかまわなかった。
代打出場でもいい、公式戦に一試合でも出ることができれば後悔はない。甲子園を目指した、という自己確認が必要だった。それさえあれば、これから先、どんなに辛いことだって乗り越えていくことができる。
再び野球をはじめる決意をかため、野球部の友人たちと毎朝5時に起きてトレーニングに励み、ポカリスエットを飲みながら甲子園への夢を語り合った。

かなり走り込み体型がかわり、ランディ・バースより重いバットを買って毎朝素振りを繰り返したのでバッティングには自信がついた。バッティングセンターに毎晩通い、140キロの最速球も余裕をもってバットの芯でとらえることができるようになり、バッティングだけなら野球部の友人にも負けなかった。
全ての野球少年と同じく、我々には野球しかなかった。朝から晩まで野球のことで頭が一杯だった。

練習に明け暮れ、高校に入学する頃には飽きてしまい、数学部に入部した。(山田)

| editor | 04:01 |
もてない男

 

どうしても女にもてない男というのがいる。酒を飲んでいてもグラスを倒したり、グラスを持ち上げる度にコースターがグラスの底にくっついてきて、しかもそれが床に落ちて、その度にカウンター席を立って床に落ちたコースターをひろっている。そんな男と酒を飲んでいても恋愛しようという気にはなれないし、付き合っているなら別れたくなってくる。

20代の時、モデルの女の子と六本木でデートした。私はTシャツにジーンズで、おしゃれな彼女とつり合いがとれていないのを会った瞬間自分でも痛感し、それ以来Tシャツにジーンズをやめた。

彼女と映画をみて、バーに入った。

何杯か飲んで酔っ払ってくると、きれいな大きな目をした彼女が私の横顔をじっとみている。何度もみている。

「鼻クソかと思ったら、塩だ、鼻に塩がついてるよ」

私は飲んだことのないソルティードッグを飲み、グラスのふちの塩が鼻の頭にたっぷりとついているのに気付かないでいた。(こりゃ駄目だ)と思った。美しい彼女といるのが面倒くさくなってしまい、何もかもあきらめ、気付くとなぜか和光市にいた。びっくりして、泥酔して記憶がないので急いで彼女に電話すると、

「山田君、やばいよ」

と言って、それ以来、二度と会ってくれることはなかった。

今思うと最初から無理があり、また会えたって緊張して同じことの繰り返しで、しょせんレベルが違った。 

小学5年生の時に初めて少年野球の試合に出た。ライトだったが、外野はフライを捕る練習をしていればボールが飛んでくるのが楽しみだが、私はまだ練習をあまりしていなかったので、フライを捕れない自信があった。ボールが後ろに流れてしまえばランナーはぐんぐん塁を重ねてしまうから、深めに守ってバウンドしたボールを内野に送球した。

ランナーが2塁の時にボールが飛んできた。バックホームしなければならないからバウンドしたボールを思い切り投げると屁が出た。

我ながらすごい音だった。屁というよりも電車にひかれた赤ん坊の叫びのようだった。

チームメートも相手チームも、みなが絶句して私を見た。

「なんだ! 今のは! 屁か!」

監督が私に叫んだが、私は答えられなかった。みなに注目され動揺した。早く時間が経ってほしかったが、平穏な時間が訪れることは二度となかった。

それから試合終了まで、球場にいる全ての人の注目が私一人に集まった。スカウトマンたちに見守られる天才野球少年の気持ちがよくわかった。ライトにボールが飛んでくる度、打席に立つ度、みながでかい一発を私に期待していた。

もう野球どころではなかった。

私は野球がうまくなりたかった。だから友達を誘って少年野球チームに入団した。練習をして強打者になり、イレギュラーなバウンドも軽くさばける選手になりたかった。

以来、ずっとみんなから腹をかかえて笑いながら屁のことばかりいわれたので、野球の練習などする気がなくなり引退することになった。(山田)

 

| chat-miaou | 03:01 |
もてる男

 

もてる男なんて会ったことがない。もてるといわれる男はたくさんいるが、相手の女性に会うと、誰でもいいのではないか、と思ってしまう。

普通のおばさんで世話好きな相手が多い。地味な人が多い。若くて美しい女性たちがもてる男をとりあっているなんていうのはみたことがない。不倫相手の女性は地味で世話好きな人が多い。

誰でもいいのだったら私も、アル中のおばさんにいきなり後ろから抱きつかれてハゲ頭に噛みつかれたことがあるし、スナックで酔い潰れている間に頭のおかしいアル中の女に腹のぜい肉にじかに食いつかれた。おかまのおじいさんに睡眠薬を飲まされ、ペニスをしゃぶられたこともある。いずれも、私次第で恋愛に発展させることのできたであろう相手だったが、そんなことまでして、はたしてもてる男といえるろうか。

誰でもいいだけでなく、暇だから複数の人と恋愛しているのではないのか。人生は飽き飽きするほどに長いから色々やらないと退屈する。酒を飲んだり、テレビをみたり、本を読んだり、仕事をしたり、子供を育てたり、野球を応援したり、サッカーを応援してもまだ時間があまる。威張ったり、うぬぼれたりするのが気持ちいい。一人でいられない、というのもある。

新宿のバーでそんな持論を話しいると、マスターが「いや、もてる男はいる」という。

「誰でもいいんじゃなくて?」「いや、そいつは、いつもいい女ばかり連れてるんだよ」

噂のもてる男が店にやってきて、彼女の一人が後からやってくるというので私は興味深く彼女の登場を待ったが、やってきたのはやっぱり普通のおばさんだった。もてる男は、おばさんに煙草を出させたり、水割りをつくらせたり、彼女に身の周りの世話をさせた。私はマスターの話を信用しなくなった。

おばさんが悪いのではない。もてる男の話を聞いて、私の頭の中にできあがった相手のイメージは美しくて悲しげで絵になるのだが、実際に会ってみると必ず地味な普通のおばさんなのがおかしい。悪いのはもてる男たちの話し方で、相手が普通のおばさんなのに「あの子が」とか「あいつは」などといっている。

自分に酔っている。自分に酔っているから、自分を好きになる女性はみな美しくみえる。おそろしいほどの自己肯定本能といえる。彼らがもてない私にアドバイスするように語るのも頭にくる。

女の場合はわかりやすい。男が1人、きれいだな、と思えば、その女性は、10人の男からいい寄られたことがある。これはもてる女といえる。

きれいではない女性が「もて期が来た」などといっている場合があるが、これも誰でもいい話なので、関わらない。男も女も自分から語るのが怪しい。

ジャニーズ事務所の歌手たちが東京ドームでライブをすると、水道橋と後楽園は精一杯のおしゃれをした若くてかわいい女の子たちであふれかえる。ああいう人たちはもてる男といえる。

若い人気俳優を酒場で見掛けたことがある。ひんぱんに携帯が鳴るが、彼は出ない。何度番号を変えても、ファンの人たちが調べ出して電話してくるのだという。探偵のような人に頼んで番号を調べるらしい。本当にもてる男は大変だ。

十代の時好きだったロックバンドが20年ぶりに再結成したのでライブに行った。テレビではステージでシャウトする若々しい彼らの姿が放送されたが、観客もあれから20年経ち、昔のように総立ちする体力はなく、最初以外はみな座った。加齢臭が漂う中、私は複雑な気持ちでいた。(山田)

 

| chat-miaou | 02:01 |
才能の問題 3

 

昔の人は本をたくさん読んだ。向上心が高く、自分の価値を高めるために情報にお金を出してまでして読んだ。

テレビやインターネットがないから本や新聞を読んだ。

今はお金を出す必要がなく、インターネットで検索すれば読み切れないほどの情報がある。本は重くて場所をとり荷物になる。週刊誌の情報は発売日にはもう古くなり、ネットで検索すれば内容を誰かがすぐに書き込んでくれる。雑誌も新聞も売れなくなるからライターは仕事がなくなる。

勉強したり、研究しようとしても、もうどの分野も研究されつくされている。そういう能力のある人はすでに学者としてあらゆる分野の研究を進めている。売れている本を書く人は古文書や外国語で書かれた資料を読む能力のある人が多い。いくら勉強したって普通の人にそんな能力はない。

ナンシー関をみればよくわかる。ナンシー関はテレビをみまくり、有名人を批評し、大人気で本が売れた。好感度調査に疑問を投げかけ、翌年の順位に影響が出た。仕事が激減したタレントもいる。テレビ局が一方的に伝える面白さを認めず、書かれた芸能人がナンシー関に面会を求めたが決して会わなかった。ナンシー関の連載を読むのが楽しみで週刊誌を買う人がいた。普通はテレビばかりみていると自分を見失ない頭が悪くなるといわれている。ナンシー関はくだらない番組もよくみた。普通の人が生きている時間すべてテレビをみてもナンシー関のような面白い文章は書けないし、テレビ批評を書いても読んでもらえない。ナンシー関が読書家だったという話は聞かない。

行動力のある人に可能性がある。行動力(取材)で文章(実体験)を書く。その人しか書けない貴重な資料になる。人付き合いが大事で、真に行動力があり、まだ誰も知らない面白い情報をたくさんもっている人が新宿ゴールデン街に通って人付き合いを広げていけば本を出せ評価されていくようになる。誰でも通える新宿ゴールデン街には業界人がたくさんいて常に新しい才能を探している。

出版界では仕事がなくなった人ばかりだが、生き残っている人には共通点がある。人付き合いがうまくはばが広い。仕事がなくなるとすぐにたくさんの知り合いに相談し仕事を得る。相談されて無視する人はいない。考えざるをない。遠慮して相談できない人は去っていく。

孤独を語る作家は多いが、エッセイを読むと交友記が多い。一人でいるのが孤独ではないらしい。孤独では絶対に仕事はできない。山田風太郎は「一人でいた時の孤独より、家族をもってからの孤独がつらい」といったが、もう少し詳しく説明してくれないと家族をもったことのない人には理解できない。孤独の意味は奥深いようだ。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:02 |
才能の問題 2

 

池袋西武デパートの地下の酒屋に試飲のようなバーがある。以前からあるが形態は年々変わっているようで、今は酒を扱う会社が出張して有料試飲販売をしているような感じなのだろうか。営業日もよくわからない。私が寄った時は土日だけの営業で、ワイン輸入会社の営業部の人がカウンターに立っていた。

ワインを数種類飲める。量は少ないが、1本何千円もするワインを500円程度で味みできる。赤ワイン、白ワイン、シャンペン、計6種類あった。

つまみもなく、こういう飲み方がしたかった。いろいろなワインを経験したい。あまりたくさん飲みたいわけでもない。

他のお客さんたちはじっくり味わっていたが、3口の量なのですぐになくなる。6種類を20分で飲み、店を後にした。

いろいろ味わえてよかったが私には酒の才能がないとよくわかった。どれも普通で、1000円程度のワインと違いがわからない。たくさん飲んでいけばそのうち、これは、と思うものに出会えるのかもしれないが、もうやめた。これまでいろいろな酒をたくさん飲んてきたが、どれも覚えていない。ただ、好きな人と飲んだ酒がうまかった。

日本酒もワインも、うまいものはうまいが、高いものがうまいとは思わない。酒を味わう能力がない。

居酒屋でウイスキーの水割りを頼んだつもりだったが、それは焼酎の水割りだったことがある。しかも10杯飲んだ後に、人にいわれて気付いた。比べればわかるが、意識しなければ私にはわからない。ひどい話では日本酒を焼酎だと思って水で割って何杯も飲んだ。しかも相手もかなりの酒飲みだった。能力の問題もあるが、酒に酔うのが目的なら、味に意識がまったく向かない。酔った後なら水を出されても気づかない。

テレビに出るような料理評論家や研究者と何度も飲んだことがあるが、彼らも最初以外は味に意識が向いていない。最初だけ色々解説してくれた。

酔っ払った後にうまいものを食べ、私が「これはうまいですね」というと酔っ払って話に夢中のか相手は「あ? お前、まだそんなこといってんの?」と味になどもう興味がない。普通は4杯目には味に集中できなくなり、解説などいっさいしなくなる。

緊張感と集中力があるとメシはうまい。腹を空かせて一口目が一番うまい。二口目が二番目にうまい。腹が一杯になると何を食べてもうまくない。

評論家や研究者は頭がいい。知識をストックできる、知識を整理できる、読者や視聴者や相手が喜ぶように表現する才能がある。どこまでも面倒くさがらずにうまいものを食いに出掛ける。場所を調べ、予約の電話を入れる気力がある。そしてやはりどの業界でもそうだが、人付き合いがうまい。

一度プロになるとチャンスが増え、プロでないと味わえない経験を積むことができるようになり、素人はもう追いつけない。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
才能の問題 1

 

今村昌平は若い頃、黒澤明の『酔いどれ天使』に感動し何度もみた。晩年の『うなぎ』にも『カンゾー先生』にも『酔いどれ天使』の影響がよくあらわれている。黒澤明の才能が今村昌平の才能を刺激し、繰り返しみないではいられず、作品構成が脳に刷り込まれた。新しい作品をつくり出す時、自然に『酔いどれ天使』が手本になった。 

もっとも『酔いどれ天使』を何度もみた人は無数にいる。私も何度もみた。

ビートルズの影響を語るミュージシャンは多いが、ミュージシャンでなくても無数の人がビートルズを繰り返し聞いている。私も繰り返し聞いている。なにしろ近所の図書館でも全アルバムが借りられる。いくらビートルズを繰り返し聞いてもミュージシャンにはなれない。バンドを組まずにはいられないほどの刺激、ギターを覚え、思わず曲を書き始めるほどの熱意がなければミュージシャンを目指すこともできない。カラオケで練習したり、歌詩だけ書き始めるのはどこの町の中学生もやっている。私もやった。それぐらいならしばらくすると熱が冷め飽きる。

キース・リチャーズはギターを弾きまくり、学校をさぼってトイレに隠れてギターを練習した。かといって学校をさぼってトイレに隠れてギターを練習しても10人中10人はプロミュージシァンにはなれない。100人がトイレに隠れるほどの練習をすれば1人ぐらいはプロになれるかもしれないが、キースほどの世界的なミュージシァンにはなれない。1万人に1人ぐらいがキースを目指すことができ、そういう人はトイレに隠れて練習しなくてもいい。

何より才能が肝心で、普通、才能は20代で開花する。早い人は10代で天才と呼ばれ、遅くても35歳までには開花する。

35歳までに開花しなければ経験不足になってしまう。発揮する場所を与えられた才能は輝きを増し、さらに成長する。35歳を過ぎてから新しい仕事に挑戦しても、25歳からその仕事をしている人にかなわない。それまでの環境と経験と慣れが違う。吸収力のある10年であちらは環境をフルに活用し、才能と技術を伸ばせるだけ伸ばし、すでに結果を出している。

編集者は一日中文章を読んでいるが、作家になる日は最後までやってこない。学校の先生は学問の基礎がしっかりと身につき、毎日音読し、読み書きの反復学習を繰り返し、定年まで何十年も鍛錬し続けているのに、教師以上に学問的才能が爆発する日は最後までやってこない。

努力していない人などみたことがない。

振り返ってみれば、中学校までの義務教育カリキュラムでさえ、身体的、頭脳的、芸術的才能はあらわれる。各業界も金になる新しい才能を常に探している。街を歩いているだけでスカウトされるほど光る才能を持つ人もいる。才能は発見されやすい。埋もれた才能も隠れた才能もみたことない。光る才能が放っておかれることはない。凡人が持つことがない生まれ持った才能は自然に輝きはじめる。(山田)

| chat-miaou | 01:01 |
努力は無駄か?

 

本を読むのは楽しいことだけれど、みんながいうほど大切かどうかはわからない。本は重いし、高いし、くだらないものを読んでしまった時の後悔はやり切れない。読むのに時間がかかるし、読む必要のないものの方が圧倒的に多い。昔の人はもっと本を読んだというのは、それはテレビがなかったからで、情報とは本を読むことだった。新聞の存在意味だって今と昔では大きく違う。インターネット時代に普通の人が月に3000円も出して新聞を取るほどの価値はなくなった。

テレビをボーッとみていてもドキッとする発言がある。面白い本を読んだのと同じ衝撃がある。

テレビに出て発言できるような人は1000人程度だろうから、日本人なら10万人に1人程度しかいない。他の9999万人は一生テレビに出て自分の意見を発言することがないのだから、テレビに出ている人はエリートといえる。

東大出身の学者の言葉がよかった。

「テストに出るのって授業で習ったことなのに、なんでみんな答えを書けないのか不思議だった」

東大出身の経営者の話もよかった。

「中学から東大にいけるようにするべきですよ。時間の無駄ですよ」

慶応出身の経営者の話もよかった。

「有名になりたい、金持ちになりたいっていったってなれないですよ。それは天の配剤によって生まれながらにして決まっている」

努力して彼らのようになれるとは思えない。夢も希望もない。

1億人のうち1000人にはなれないが、努力すれば1億人のうちの10万人ぐらいまでのエリートにはなれそうな気がする。それだって9990万人はなれない。1億人のうち100万人ぐらいならもう少し実現可能な気がする。1億人のうち5000万人ぐらいなら2人に1人だから、車の運転免許を取るぐらいの努力でいいのかもしれない。目標がある人生は実際楽しい。目標をかなえた人たちの話を聞いてみると、目標を達成した後よりも目標に向かっている時の方がずっと楽しかったと悲しそうに過去を振り返って語る人が多い。まだ挫折や敗北に直面せず、目標にむかって努力している若いうちは絶対に楽しい。あの頃に戻りたい。

努力は気持ちいい。将来を想像するだけで燃えてくるし、目的と意味のある行動は生きるに値する。

目標のない人生はむなしくつまらない。

頭だけでなく体も同じなのではないか。

野球場でプロ野球選手がキャッチボールをしている姿をみれば、いくら努力したってあんな球を投げられる肩にはならないとわかる。どんなに身体的能力にめぐまれた天才ががんばったって100メートルを8秒で走ることはできない。

中学生の頃、同級生がペニスにお湯と冷水を交互にかけて鍛錬していたが、そんな努力をしたってペニスが大きくなることは絶対にない。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
持ち込み原稿

 


人の原稿を読むのはしんどい。

出版社に勤めている頃、たまに持ち込み原稿を読まされることがあった。持ち込まれた原稿を細かく全部読んでいたら自分の仕事ができないし、自分の時間もなくなるので、感想をいえるぐらいに原稿に目を通してからアドバイスするが、社長のコネのない持ち込み原稿が本になったのをみたことはない。

どんな原稿にも応募できる賞があり、輝く才能が放っておかれるなどということはない。小説の原稿ならいくらでも新人賞があるのだから、そちらに応募した方がいい。新人賞の2次予選に通らない原稿は破り捨ててしまってかまわない。

仕事以外でも、知り合いに小説の原稿をみてもらいたい、と頼まれることがある。もちろん読みたくないが、お世話になった人の紹介だと断ることができない。あちらは私を通して、作家か編集者を紹介してもらい、作家デビューしたいらしい。自分の読みたい本を我慢して読みたくもない原稿を読むのは本当に迷惑だ。

初歩的な間違いを教え、実在する個人名や批判、家族や恋人への過剰な気持ちや性描写は読者に不快感を与えるので控えめにするようにメールでアドバイスを送った。恋人のことがいかに好きか、恋人が自分と結婚したがっているが今の自分には彼女を幸せにする力がない、などということを読まされる人は知りたくもない。

すぐに長い返事のメールがきて、書き変えることはできないという。初歩的な間違いも彼が考えに考えぬいて書き、個人名や批判、過剰な愛情表現も削れない。その理由が一つ一つ長々と解説されているが、私はどっちでもいいので読まずにすぐ返事を返した。

「メールありがとうございました。メールを読んでからあらためて小説を読ませていただくと、欠点がみつからず、なるほど、と気づかされることばかりでした。前回の私のアドバイスは全て間違っていましたのて撤回します。あんなアドバイスをしてしまい、申し訳ありませんでした。この小説は本当にすごいです。力になれませんが、がんばってください」(山田)
 

| chat-miaou | 01:01 |