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『愛、アムール』

 

映画『愛、アムール』は仲のいい老夫婦の奥さんが病気になり、半身麻痺となり、夫が介護するが、どうしようもなくなった妻をもうみていられなくなり、顔に枕を押し付けて殺す。

みていて娘の存在が嫌だった。お見舞いにきて、お母さんの悲惨な状態をみて、「このままにしておけない」といって泣く。それを聞いたお父さんが嫌な顔をして「いい加減にしてくれ」という。

介護を経験した人ならわかる。要介護者と一緒に暮らした人でないとわからない。ただでさえ面倒くさいことばかりでうんざりしているのに、誰かにアドバイスされると頭にくる。

手伝ってくれなくていい。車椅子を二人で押したって押しにくいだけだから任せて放っておいてくれるのが一番いい。手伝って欲しい時は頼む。手伝って欲しくないから頼まない。

介護とはクソの始末でもある。親のクソが手につく時がよくある。あのにおいは頭に残り、しばらく不快な気分が残る。ムカムカしている時に「ああした方がいい」「こうするといい」「他の医者にもみせた方がいい」などといわれるとさらにムカムカして、結局心を落ち着かせて時間を早送りするために酒を飲んでしまう。当然悪酔いして二日酔いになるが、飲まなければ爆発して事件を起こしてしまう。

やるべきことをやらない人なんていない。一つの病院に行き、さらに高度な医療技術を必要とする場合、紹介状を書いてもらい、他の大学病院へ行く。誰だって嫌な病院なら行くのをやめて他の病院に行く。これまでにクタクタになりながら色々な病院や施設を回ってきて、自分の納得した、自分の好きな病院にかかっているのに「他の医者にもみてもらった方がいい」などとアドバイスしてくる人が必ず現われる。本当にもう、頼むからいい加減にしてもらいたい。そんなことばかりいうから何も頼みたくないし、話したくない。

今で十分面倒くさい。病院に行くには付き添いが必要で、病院の待ち時間は長く、車イスごと乗れる介護タクシーは何度電話をしてもなかなかつかまらず、お金がかかる。

老衰がよくなることなどない。認知症が進んでいる老人にリハビリをさせるのは考えものだ。

『愛、アムール』の奥さんのように、誰だってオムツをしてボケた自分の姿を人にみられたくない。他の病院になんてもう行きたくない。

要介護者と暮らす人は、自分と要介護者の二人分の暮らしをしている。自分の時間と要介護者の時間をうまくつかい分けるなどということはできない。要介護者が気分が悪くなればすぐに病院に付き添わなければならない。

要介護者だって本当は付き添ってもらいたくない。自分の足で歩いて生活したい。

要介護になったら老人ホームに入るのが一番いい。料金は高いが、仕事と割り切って介護をしてくれる人がたくさんいる。どうしても老人ホームに入るのが嫌なら誰かが犠牲になるしかない。家族みんなで仲良く時間を決めて介護ができればいいが、そんな家族はみたことがない。みんな自分のことだけで精一杯で生きている。

介護をしている人に会ったら何もいわず黙って愚痴を聞いてやるのが一番いいが、愚痴など聞くのは嫌だから、介護をしている人に会ったら黙ってその場を去る。スナックに行くと介護に疲れた人たちがヤケ酒を飲んでいる。酒に酔い、「もう、早く死んでほしい」と愚痴が出る。

要介護4の私の父もオムツ姿を誰にもみられたくない。「早くあの世に行きたい」ともう何年もいい続けている。(山田)

 

| chat-miaou | 19:05 |
老人ホームの選び方

 

父の入る老人ホームを探しに5か所みて回ったがどうも選べない。システムがよくわからないし、入ってみなければどんなところかわからない。

どこも入り口近くの食堂には認知症の老人がいて、父はああいうところに行きたがらない。

いくら考えてもわからないから、駅に近い、明るい雰囲気の老人ホームを選んだ。

考えることはみな一緒で、駅に近い分だけ値段は高く、人気もある。5か所みた中では入所者たちの雰囲気も一番明るい。食堂に入りやすい気がする。

駅から遠いところに比べて値段は2万円以上高いが、私は車をもっていないから駅から離れているとタクシー代がかかる。

建物がとてもきれいな新築の老人ホームもあったが、駅からタクシーで20分かかり、タクシー代は3000円かかる。これでは父の眼医者に通うだけで、

●私が老人ホームへ行くのに3000

●そこから眼医者に行くのに3000

●老人ホームに帰るのに3000

●私が老人ホームから駅に帰るのに3000

タクシー代だけで一回12000円かかる。

車をもっていないと引っ越しやちょっとした買い物をすることも簡単にできない。

老人ホームの職員に頼めば病院への付き添いをしてくれるが、1時間3000円だという。眼医者は精密検査があると8時間かかることもある。タクシー代を入れたら1回で36000円もかかる。そんなバイト代をもらえる仕事などないので、私が自分で付き添う。

都心から1時間半程度離れた関東近辺の老人ホームの基本は、

●三食付きで家賃15万円

●介護保険5万円

●病気の人は医療費が最高で5万円ぐらい

だと思う。需要と供給から月に25万円、年300万円をめどに料金設定されている。

父の厚生年金は月18万円、足りない分は貯金で払う。

資産家の人はもっと高級な介護サービス付きマンションに住んだりする。高いところはどこまでも高く、それは場所と建物の高さなのだと思う。1000万円の契約金で長期契約するところもあるし、数百万円を保証金として前払いするところもある。300万円の契約金無料キャンペーン中のところもある。都心は高い。都心から離れれば安い。遠くへ行けば全部で12万円程度のところもあるという。

認知症で完全に寝たきりならば流動食を食べさせ、オムツを交換するのが介護の中心で、時間もかからず、流れ作業が可能なので安くなる。大部屋でそういう患者を集める病院もある。

入れる介護施設がみつからない、という話を聞くことがあるが、実際に探すとそんなことはない。施設は過剰にあるのだが、実は働く人が足りない。離職率が高い。部屋はあるのだが、働き手が足りずに受け入れられない実情がある。

単純な感想は、

●便利なところにある施設は料金が高い

●車で行く、街から離れた土地にある施設は料金が安い

●介護の手がかかる老人は料金が高い

●介護の手がかからない老人は料金が安い

●受け入れ先はみつかるので悩む必要はない。悩む前に地域包括センターに相談すれば、涙を流しながら相談に乗ってくれる人がたくさんいる

お金がない人でも、生活保護などでなんとかなるのかもしれない。ネットで調べたり悩んだりするより専門家に相談すると答えはすぐにみつかる。知らなかった対処法をすぐに教えてくれびっくりする。無駄なお金や労力をつかっていたことに気づく。

施設を紹介する不動産業者のような団体がある。病院の窓口でも紹介してくれる。

無料で施設見学に案内してくれる団体もある。

介護認定を申請すると、市の職員が面接にきて、資料をくれる。資料にはいろいろな相談窓口の連絡先が載っていて、怪しくない相談場所はたくさんある。市の職員も全てに詳しく、すぐに色々教えてくれる。面接が済んだらすぐに老人ホームを探してかまわない。介護認定決定に合わせて施設の人も少しでも早く施設に入れるように協力してくれる。私は地域包括センターに電話で相談して、施設を紹介してくれる団体を紹介してもらい、その団体の担当者が無料で5か所の老人ホームを車で案内してくれた。担当者が推薦してくれる施設もあったし、私がインターネットでみつけてきた施設も、担当者が全ての段取りを取って車で案内してくれた。団体から私に1円も請求されることなく、団体は施設から紹介料をもらっているらしい。嫌な思いを一度もしなかったし、怪しいと感じたこともいっさいなかった。不安なら全て最初に料金を問い合わせておけばいい。

孤独死防止のために自分から老人ホームに入る人も何人かいる。介護も医者も必要なく、下宿のように老人ホームで暮らしている。朝食を食べ終わると散歩に出掛け、昼食に戻ってくる。昼食を食べると花見に出掛け、夕食までに戻ってきて、あとはのんびりテレビをみて自分の部屋で過ごす。外食もOKだし、報告すれば部屋で酒を飲めるし、喫煙所で煙草も吸える。

父はずっと老人ホームに入ることを拒否し続けた。長く付き合いのある知り合いの病院に頼んで入院させてもらっていたが、歩くことができなくなり、排便も自分でできなくなると看護師さんたちの負担が増えた。

ある日、眼医者で白内障の手術を受けるために3日間だけ退院し、手術を終えて元の病院に戻ろうとするとすんなりとは受け入れてもらえなかった。無理に頼むと、あまりにも手がかかるので、11万円の一番高い病室に移されてしまい、そんな高額な入院費を払い続けることはできず、父も老人ホームに移ることに納得するしかなかった。

病院は介護施設ではないので風呂に入れない。オムツ交換を頻繁にしてもらうのも申し訳なく、ひと月に一度、看護師さんたちにデパートで買った甘いお菓子を差し入れした。

はじめて老人ホームに入所した日、父は食堂に行くことを渋ったが、無事確認のためにも3食入所者が顔をそろえて食事する決まりになっている。私は職員の方に父を引き渡し、すぐに家に帰った。父はうらめしそうな顔で私を見送った。

病院のように自分の部屋に食事を運んでくれ、ずっと一人でいられる施設もあるらしいが、私にはもう探す気力がない。5か所みて回るだけでも疲れてしまった。

老人ホームの職員の人たちは自分たちのやり方に自信をもっている。ずっと一人でいたい暗い性格の父を説明したが、みな自信をもって「きっとすぐになれて、ここの方がよくなりますよ。みなさんそうで、ずーっとここにいますから。そのうち快適になりますよ」

経験豊富な職員のみなさんにはプロの自信と余裕があふれていた。任すしかない。

老人ホームを嫌がり続けた父に対してうしろめたさがあった。心配はしたが、入所して1週間父に会いに行かなかった。

1週間ぶりに会った父は「ここは気をつかって疲れる」と言った。病院のようにずっとベッドに寝ていて、誰にも会いたくないと言った。

なれるしかない。私が父と暮らすことはもうない。ウンコまみれの生活にはもう戻れない。

気にしつつ、2週間老人ホームに会いに行かなかった。父の夢を何度もみたが行かなかった。

2週間ぶりに会った父は明るい顔で私を迎えた。お菓子をたくさんもって行くとすぐにボリボリ食べはじめてよくしゃべる。

「ここは病院とは比べることができないほど食事がうまいんだよ。食後の饅頭もかなりいいものだと思うよ。体のかゆみもすっかりとれた」

「こっちにきて、いいこともあるね」

「ううん、いいことだけしかないよ、みんな親切ですぐに助けてくれるし、信用して何でも頼める。部屋はあったかいし、どんどん調子がよくなってくる。やはり専門家だから、いろいろ考えられているんだよな。立つのも楽になったし、車椅子も自分で動かせるようになると思うよ。そのうち歩けるようになるかもしれない。もう十分だよ」

父は完全に老人ホームになれていた。顔つきが晴れやかになっている。

今、ウンコがもれているという父を私が笑うと、父も笑った。私と父が笑い合うなどということは小学生の時以来一度もなかった。

大震災以来7年、父がきちんと風呂に入ったことは一度もなかった。今の父の顔も、服も、髪も、清潔感がある。変なにおいもしない。風呂に入り、月に一度は床屋さんもきてくれている。

老人ホームでは毎日人と接するから、デパートでタケオキクチの帽子とジョセフアブードの服を買った。病人でなくなった父は食堂で隣のおじいさんとテレビをみながら話をしていて、父が一番いい服を着ている。(山田)

 

| chat-miaou | 05:01 |
介護日記 14

 

バイクに乗っていてちっともスピードが出ない夢をよくみる。歩いていて、右足も左足も重くて、手すりにつかまって体をひっぱり、足を前に交互に投げ出すようにして前へ進む夢を何度もみる。自分の潜在意識と関係しているのかもしれない。

頭がかゆくて頭皮がカサブタだらけになってしまい、皮膚科でみてもらうとストレスが原因で「なかなか治らない病気」といわれた。カサブタだけでなく、皮がずるむけで水っぽくなってずっとかゆい。フケが多いから人前ではずっと帽子をかぶっている。

父の認知症がひどくなってきた。自分がどこにいるのかもわからないし、少し前のことは何も覚えていない。自分の片目がみえないことも、手術を受けたことすら覚えていない。大切な自分の財産がいくら残っているのかさえもわからない。

自分でもおかしくなっているのはわかっている。

食べること以外には興味がない。

興味がないし、面倒くさくて何を聞いてもすぐには返事をしない。

夢と現実の記憶がごちゃまぜになっている。

昨日は天皇陛下に会ってきたといった。

「お前にも会わせてやりたかった」

いつの時代の陛下かわからない。聞いたことはないが父は天皇陛下を尊敬している。1936年生まれだから、その世代は戦争時代に少年で、みな特攻隊に憧れた。昭和天皇の雑誌の特集号が出ると買ってきた。

父が天皇陛下に会った記念に久しぶりに介護認定を申請した。

もう病院では限界だ。施設に行って介護士さんに助けてもらう。

数年前の介護認定は2だった。まったく動けなくなり、レスキュー隊に病院に運んでもらい、元気になった時に市の職員に面接して介護認定2だった。

介護認定されても、父が介護を受けるのをかたく拒んだので、これまで介護施設でのサービスを受けたことはない。

先日、どうしても車椅子が必要で、貸してくれるところがみつからず、急いで3万円の車椅子を買った。介護認定の期間は1年間で、更新手続きをしないでいると認定期限が切れる。3万円の車椅子も介護認定期間中なら1割負担の3000円で買えるらしい。レンタルならメンテナンスも安心で月々500円で借りられる。

車椅子を買って父を乗せると車椅子のタイヤに空気が入っておらず、誰に頼んでもどこを探しても空気入れを貸してもらえず、そのままタクシーで1000円かけて自転車屋へ行くと自転車屋は休みで、さらに1000円かけて遠くの自転車屋まで行き、50円払って空気を入れてもらい、また1000円かけて帰ってきた。こんな無駄なことばかりしている。なかなか前へ進まず、頭がかゆくて仕方がなく、猛烈に頭を爪でかきむしりたい。

病院は介護施設ではないから父を風呂に入れることはできない。父は体中がかゆくてかきむしりカサブタだらけの体になった。父を風呂に入れなければならないが、私の補助をかたくなに断る。怒鳴って拒否する。もう他人の助けなしではやっていけない。

介護認定を受ければ色々な機関に相談できる。しかし、介護認定が決定されるまでには時間がかかる。なかなか前に進まない。頭がかゆい。(山田)

 

| chat-miaou | 04:01 |
介護日記 13

 

月に何度か入院先の病院から別の病院に父を通院させている。

ベッドから車椅子に父を移し、手足を拭き、靴下を履かせ、ジャンパーを着せ帽子をかぶせると、

「やめてくれよ! 自分でやるから余計なことしないでくれよ! 触んじゃねーよ!」

と突然怒鳴りはじめた。

たまに突然怒り出す。

介護をする人は例外なく必ずこれを経験する。

自分で着替えをやらせていたらいつまでも終わらないから、病院の予約時間に間に合わなくなる。だから待っていることはできず手を貸すのだが、それをあらっぽく感じて頭にくるらしい。しばらくお互い沈黙する。暴言に傷つき、それが強いストレスとなり、しばらく落ち込んでそれをやわらげるために酒を飲むようになり、アルコール依存症になる人が多い。相談する人が誰もいないから酒を飲んで時間を早送りして乗り越えていく。

1度父を病院に連れていくと7時間かかる。どこの病院も混んでいて2時間待ちは普通だ。元の病院のベットに戻す頃にはかなり疲れてストレスが溜まっている。朝から車椅子を押してずっと隣に付き添い、ちょうど夕方に終わって飲みに行く。うまい酒ではない。しかし飲むしかない。今日は怒鳴られたから飲みに行く。なんでもいいわけにして飲みに行く。酔って時間を早送りさせれば明日がくるのが早くなり、翌朝目覚めて気分がよくなっていることだってある。

私の場合、父に深い愛情はない。他にすることがないし、仕方なく介護している。怒られるなんて嫌に決まっているが、父の暴言は無視している。暴言を吐いた後の父は必ず反省している。帰りの別れ際には必ず「どうもありがとう」とお礼をいわれる。

暴言に意味はない。暴言の内容に深い意味はない。自分のことができず、トイレにも行けないイライラが募っていき、ちょっとしたことで爆発する。細かい手作業に疲れ、道具を投げ出す行為とかわらない。ただのため息みたいなものだから気にするだけ体に悪い。これからだってまた突然怒鳴られるが、深い意味などない。できるだけかかわらないように離れて暮らすように心掛けないと、依存は増す。世話をすればするほど怒鳴られる。放っておき過ぎると病院から注意される。病院は介護施設ではないので体を拭いたり、洗濯をしたり、お菓子屋やお茶を買いに行ったりはしてくれない。週に2回までにしないと危ない。週に3回行くようになるとこちらもやられる。

酒場のマスターは愚痴を聞いてくれる。

「俺ももう60歳だからそうならないようにしよう」

「簡単だよ、病院ではなくて介護施設に入ればいいんだ、そうすれば誰も介護に苦しむことはない」

「そんな金ないよ」

「安いところをみつければいい」

「でも、俺、介護施設なんて入りたくないな」

マスターも父も一緒だ。介護が必要になった時に介護施設に入らないのなら、身内の誰かが犠牲になって介護をする他ない。1人で犠牲になる場合、仕事なんてできない。手続きや介護でしょっちゅう呼び出されるから、そんなことを許される会社なんてない。自営業なら可能だが、自営業に失敗したら介護する金まで失ってしまう。周囲をみると自営業に失敗している人しかいない。どうにも身動きが取れない。

みんなどこかで自分だけは違うと思っているが、みんな最後は要介護になると思っていて間違いはない。

どうしても他人事を自分事として考えられない。スマホで老人ホームを検索する。

「ほら、こんなにたくさんあるよ、早く施設に移した方がいいよ」

と教えてくれるが、そんな簡単なことではない。場所、料金、空き、引っ越し、車の手配、車椅子の手配、転院手続き、保証人、薬、着替え、父の意志、父の説得、他の病院への通院、介護認定審査、すぐにしなければならないことがたくさんあり、次から次にやることができ、いつまでも終わらない。全て自分のことではない、人のことばかりを、書類を読むことさえできなくなった父の代わりに手続きしていく。父が死ぬまで終わらない。頭が回らない。先のことを考えると何もできなくなる。運命に押し潰されそうで検索するのも煩わしい。

インターネットに答えはない。その場その場で1つ1つに対応し、乗り越えていくしかない。父の介護は8年目になる。母の介護と合わせると14年目になる。いつも突然呼び出されるから14年遠出できず外泊できない。その日のうちに帰ることのできる距離までへしか出掛けられない。こんなに長くなるなんて思ってなかった。楽になったと思ったらまた問題がやってくる。体がもつ自信はない。(山田)

 

| chat-miaou | 03:00 |
介護日記 12

 

父の目の眼圧が上がり、また出血した。

立つこともできないので車椅子のまま乗れるタクシーを探す。

介護タクシーは個人でやっている人が多く、介護サービス料が高い。時間制のタクシーもかなり高い。

普通のタクシー会社で車椅子がそのまま乗れるタクシーをみつけ、予約すると、予約料が410円かかるだけで、乗車料金は普通のタクシーと同じでこれは安い。普通のタクシーに乗る場合は、車椅子をトランクに積み、父を乗り降りさせるのにいつも5分はかかる。運転手に気をつかいあせって疲れる。

眼科に行くと、思ったより悪く、緊急手術をすることになった。大学病院に移ってまずは緊急入院することになったので、タクシー会社に電話すると車椅子ごと乗れるタクシーに空きがない。どこのタクシー会社に電話しても空車がない。1時間以上は待つという。行きは早めに予約して病院に行き、帰りは診察の終わり時間がわからないから予約できず、タクシーがつかまらないパターンが多いという。5つの会社に電話したがつかまらないので普通のタクシーに父を抱きかかえて押し込み、車椅子をトランクに積んだ。

家に診察券を取りに戻り、今まで入院していた病院に戻って退院手続きを取り、それから大学病院の眼科の外来受診を受け、入院許可された。

入院申込書に連帯保証人欄がある。父が患者で私が保証人ではダメだという。住所が違う別世帯の人でないとダメだという。思い当たる人がいない。頼める人がいない。電話できる親戚が一人もいない。

飲み仲間の顔が浮かんだが、彼らのことを詳しく知らない。行きつけの店のマスターの顔が浮かんだが、彼の名前も知らない。入院の保証人になってもらい、その後、彼らの人生に危機がやってきた時にサラ金の連帯保証人を頼まれたら断れなくなるから頼めない。

一人だけ頼める人がいる。23歳の時、友人の首吊り現場を発見し、20年以上経った今でも彼のお母さんが私に米を送ってくれる。ずいぶん悩んだが頼めるのは彼女しかいない。電話をするとすぐに引き受けてくれた。私は彼女に米を送ってこないようにいい、年賀状もいらない、私に恩を感じる必要はないと強くいい続けてきたのに、こちらから彼女に電話して連帯保証人を頼んだ。今の世の中は一人では生きていくことができない。連帯保証人制度はなんとかしてほしい。入院保証金を高くすればそれで済む。

前の病院と違って看護師さんが父に手を貸してくれない。できるだけ自分でやらせる。態度がきつい。そうしないと患者は看護師を頼り甘えるようになる。だから本当はやさしい人たちが不愛想に厳しい態度を取る。病院は介護サービス企業ではない。

車椅子の乗れるタクシーを探したのが朝の9時で大学病院の入院手続きが済んだのが夜の8時でずっと立ちっぱなしだったからクタクタに疲れていると、前の病院から電話がかかってきて荷物をすぐに引き取りにくるようにいわれた。

二年もいた病室なので荷物が多い。車をもっていないからタクシーで運ばなければならない。疲れて体が動かない。明日にしてくれるように頼むと、明日の午前中まで待ってくれた。嫌がらせをしているのではない。厳しく不愛想にして、前例をつくらないようにしなければ患者はどんどんルーズになる。いつまでも荷物を引き取らない人もいる。

結局父の手術と入院はそれから1週間かかった。

大学病院を退院し、また前の病院に電話した。

受け入れてくれなかったらどうしよう。ベッドが空いていなかったら、受け入れ先がみつかるまで父と二人でホテル暮らしをするしかない。不安で眠れず、診察開始時間の朝9時を待って前の病院に電話した。

「すいません、また受け入れていただけますか?」

しばらく待ってからOKをもらい、ホッとしたら涙が出た。

前の病院に辿り着き、父をベッドに移すと看護師さんたちが手を振りながら父に会いに来てくれた。看護師さんはみな美しい、みんなやさしい、とても嬉しい、また涙が出た。(山田)

 

| chat-miaou | 01:01 |
介護日記 11

 

病院を訪ねると父の顔色がいい。ここ数年で一番顔色がよく、おだやかな顔をしている。気持ちよさそうに眠っている。病室を掃除しながら(あと10年は大丈夫だな)と思った。

(あと10年……あと10年というと今俺は47歳だから57!)

57歳なんて、あと3年でおじいさんになる。

人生は60歳からなんていうけれど、それはおじいさんが自己肯定するためにいっているだけのことで、60歳になったら全力で走ることもできない。誰だって若き日々に戻りたい。

母の介護は6年で終わった。父の介護は7年目になる。計13年も遠出することのできない生活をしている。主婦だってみんなそうだ、という考え方もあるが、大好きな子供や夫のため、自分が好きで選んだ道とは違う。介護や奴隷は自分の意志とは関係なくやらなければならないことが多く肩がこる。どうせ数十年後にはみんなこの世にはいないのだから親なんて捨てて逃げればいいが、親子感情というのはそう簡単なものではない。恩義と幼い頃にやさしくしてもらった思い出がある。性格的に親を捨てて逃げる勇気や決意や気力もない。

57歳、実際にはそこまで長くは続かないとは思うが、何もかもあきらめた。

母の介護をしている時、まだ30代だった。狭心症の母は冬の夜、血管が縮んで胸の痛みに苦しむので石油ストーブをつけっぱなしにし、何度か蒲団を燃やした。火の番をしながら、もう就職なんてできないな、と考えていたが、母が死んで数か月後に、新雑誌創刊に誘われた。周囲から「よくそんないいところに就職できたね。やっぱり神様はみているんだなあ」と羨ましがられた。36歳でまた熱狂の青春時代が訪れた。

また編集者に戻れて嬉しくて楽しくて、会社に行きたくて朝が待ち遠しく始発で出社した。取材して記事をつくって本を出版できるなんて、遊んでいるのと全くかわらない。しかも取材費も給料ももらえる。人の嫌がる仕事を上司から押し付けられると燃えてきた。会社の電話が鳴ったら全部出た。元旦も出社し、他の社員の年賀状を仕分けし、机の上に配って回った。取材で遠出し、毎晩夜遊びし、きれいな女の子とデートし、眠らずに出社した。「シャブやってんの?」と友人に聞かれ、15キロ以上痩せた。痩せているから体が軽く、洋服が似合うから買い物も楽しく、もっと働きたくてアルバイトもして年収が600万円を超えた。

同じ環境はいつまでも続かない。全てに必ず終わりがくる。植木等のようなハイテンションでバラ色の生活は4年で終わった。会社をクビになって3か月後に大地震が起こった。父が被災し、津波で全てを流され、また介護生活がはじまった。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
介護日記 10

 

院から電話があり父の病室に行くと、真っ赤な目をして涙が流れている。

かなり痛いらしく、目が少し飛び出ている。急いで眼医者を探し、タクシーで連れていった。

先生に私一人が呼ばれ、じっとみつめられる。強い眼圧で出血しているが、思い当たる節はあるか聞かれた。

父は思い当たらないと答えた。

先生は私を疑っているのかもしれない。医者の役目で事件性があるか確かめているのだろう。

全く思い当たらないが、風呂で転んだのかもしれない。(病院の誰かが父を殴ったのだろうか?)という気持ちになってくる。かなりひどい。テレビでは施設での老人虐待が多く報道されている。(寝ている間に誰かが目に何かを突き刺したのかもしれない)という気になってくる。

治療費がかなりかかる可能性があり、父の年齢を考えて、どこまで詳しく調べるか聞かれた。最悪は右目を摘出しなければならない。

できるだけ詳しく調べてもらうことになり、紹介状を書いてもらい、大学病院を予約し、それまでの間は毎日応急処置に近くの眼医者に通った。

大学病院で詳しく調べてみると、目元の血管に血栓ができ、血液が目にゆき届かず、そのため新しい血管がのびてきて、それが原因で眼圧が上がっていた。かなり前から目はみえなかくなっていたはずだが父は気付かなかった。

外からの眼圧ではなかった。寝ている間に誰かに殴られたのではなかった。お世話になっている人たちを一瞬疑ってしまい申し訳なくなる。

2日かけてレーザー手術で血管を焼き切った。視力は失ったが眼球摘出はなくなった。

「目のみえないおじいさんはたくさんいるから」

父に声をかけると、悲しそうにしていた。

片目の視力を失い、バランスがくずれたのか、その後しばらくして父は転倒し腰を強打し、そのまま寝たきりになった。立ち上がることができないから尿管に管を通しオムツをした。テレビをみなくなった。食事を残す量が増えた。さらに老衰が進む。

完全に寝たきりになると私の仕事はほとんどない。病院の人がみなやってくれる。動かないからどこも汚さない。オムツをしているから服やスリッパを取り換えに行く必要はなくなり、トイレを掃除する必要がなくなった。部屋の悪臭も全くなくなった。寝たきりになると、みんなが一気に楽になる。私の役目はなくなり病院に行く必要がない。ガムテープでシーツについた髪の毛を貼り取るぐらいしかすることがない。今まで何をやってきたのだろうと思う。過去のことは終わってみるとみんな現実感がなくなる。自分の存在意味がなくなる。(山田)

 

| chat-miaou | 01:01 |
介護日記 9

 

週に二度、病院にいる父のスリッパを取り換えに行く。

無理に頼んで入院させてもらっている。

父は病院でもオムツを拒否している。

私は朝早く父のところにいく。

たまにトイレがクソまみれになっている。

私が掃除しなくても掃除のおばさんがやってくれるのだが、申し訳ない。

毎朝8時に掃除のおばさんがくるからその前に行く。

それでも、私が行く週二度以外はおばさんが父のクソを掃除している。

掃除するのは時間がかかる。自分につかないようにたくさんのトイレットペーパーをつかって時間をかけて慎重に便器をみがいていく。少し時間が経つとなかなかふきとれず、その日一日は食欲が失せる。

便器だけでなく、床もスリッパも汚れ、少量でもかなりの悪臭を放つ。

ごくたまに看護師さんの所にお菓子をもってお礼をいいに行く。掃除のおばさんに頭を下げて冷えたお茶を手渡す。

病院で嫌がられて追い出されたら、また私が自宅で父の世話をすることになる。私にはもう父の世話をすることができない。

父も看護師さんや掃除のおばさんに迷惑を掛けてはいけないとわかっている。だから気合が入ってクソや小便をもらすのは2週に1度程度だし、看護師さんに強く注意されれば風呂に入って体を洗い流す。父が拒否しても聞かず、危ないからといって爪を切ってくれる。父もよそ様には怒鳴らない。

私ではそうはいかない。もらしたまま着替えない。手を貸そうとすると怒鳴って拒否する。風呂には1年以上平気で入らず、やっと入っても体を洗うことなどできない。ヒゲはそらない。鼻毛があふれ出る。爪も異常なくらいのび、手を洗わないから野生動物より汚い。体からも部屋からも悪臭を放ち、すぐに虫が湧く。何度掃除しても後から後からクソがもれてくる。着替えないからふいて回っても切りがない。毎日洗濯に3時間かかった。

とても簡単なことだ。父以外は誰もがわかっている。オムツをすればいい。これがどうしてもできない。

本人はプライドが高いからオムツなんてつけられないというが、もう50回はクソをもらし、その度、誰かがその後始末をしている。その事実を認めない。人間は自己肯定しないと生きていけない。少しボケているからもらした事実を認めず、その事実を忘れ、自分に都合よくなかったことにして、もう二度ともらさないと決意している。ウソをつくのと違い本心からオムツは必要ないと思っている。

私と父の場合、できるだけ離れていた方がいい。私を怒鳴って無理矢理従わせることができても、病院ではそうはいかない。

車椅子にもなかなか乗らなかった。他の病院に検査に行かなければならず、私が付き添うのだが車椅子など必要ないと怒鳴る。

しかし、歩けない。

すぐに転んで危ないから後ろから支えようとすると嫌がり、車椅子を支えにするという。父が車椅子を支えにして無人の車椅子を押して歩き、その後ろを私がついて歩く。誰がみても認知症の老人だった。父の後ろをついて歩く私をみて「ご兄弟ですか?」という人がいた。

なかなか前に進まないので手を貸そうとすると怒鳴るが、診察時間に間に合わなくなるので少しきつくいって車椅子に座らせた。

病院の人たちはやさしい。いうことを聞かない父がベッドに縛られた。ベッドに体を縛り付けるには家族の同意書がいるので、私は許可書にサインをするためだけに至急病院から呼び出された。

数年前なら無理矢理病院を出てしまった父だが今はトイレに行くのがやっとで、それ以外はずっと寝ている。

全て父が悪い。看護師さんや掃除のおばさんのストレスも限界に達しているかもしれない。病室のにおいもひどい。

オムツをするだけで解決する。

80歳を超えた老人がよくなることなどない。よくなってもらっても困る。長く生き過ぎている。死ねなくて困っている。絶対にあんなに長く生きたくない。もっと早く時が過ぎ、老化して完全な寝たきりになって欲しい、もっと早く歳を取って自意識がなくなって欲しい。私も、おそらく看護師さんも掃除のおばさんもそう願っている。(山田)

 

 

| chat-miaou | 01:01 |
介護日記 8

 

父の検査に付き添わなければならず、朝が早いから早く寝なくてはならないのだが、そのプレッシャーで眠れない。遅刻することはできない検査なので、酒を飲みにいく前に目覚ましをセットした。寝酒のつもりで近所のバーにいくと止まらなくなってしまい、少ししか眠れず、ひどい二日酔いになってしまった。

父を車椅子からタクシーに移して大学病院に連れていき、タクシーからまた車椅子に移し、数か所検査して回る。

午前中だけでは終わらず午後になり、数年ぶりに父と二人で昼食をとった。二人でカツカレーを食べながら会話はなかった。

子供の頃は父と二人で映画や野球をみにいった帰りに向かい合って外食した。父はいつも私の食べたいものを聞き、食べはじめる私に「うまいか?」と聞いた。

これが二人で向かい合ってとる最後の食事になるような気がした。

このところ、歩けない父の付き添いが続いている。長い時間父と二人でいる。

「こんなに長い間お父さんといるなんて生涯ではじめてだね」「そうだな」

仕事好きで友達が多かった父はいつも忙しく、家にいることが少なかった。

ずっと車椅子を押していると座ることができず目まいがした。

先生から説明を受けている時、目がみえなくなってきたので倒れるのがわかった。その場にしゃがみ込んで、騒ぎになると悪いから先生にめまいがすることを伝え、しばらく床に座らせてもらったのだが、診察の邪魔になる。

少し休めば元に戻ると伝えたが近くのベットに運ばれた。目がみえないから5分だけ寝た。父のトイレの付き添いを看護士さんにお願いした。

血圧を測られそうになったが、今は病院にかかるわけにはいかないので拒否した。

「顔が真っ青だ。尋常ではない冷や汗をかいている」と先生が心配してくれたが、寝不足で通した。酒を飲まなければこんなことになることはない。

ベットで横になり目をつむっている私の横で車椅子の父が「こういうのはやめてくれよ」とつぶやいた。父のいう通り、人に迷惑をかけてはいけない。

この日以来、私は用がある前の日は酒を飲まなくなった。誘いもきっぱり断ることができるようになった。

20歳から酒を飲んで27年、やっと酒にも飽きてきた。もう未来はないのはわかっているがまだまだ本を読んで勉強したい。勉強には希望がある。駄目だとわかっていても希望がなければ生きていけない。目が悪くなって文庫本を読めなくなったのがつらい。(山田)

 

 

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ダイエット禁止

 

ダイエットをしている人をみると、すぐにやめるようにいう。

痩せるかもしれないが、必ず元に戻る。周りの人も芸能人もみんなダイエットに成功しているが、その後必ず元に戻っている。モデルと女優以外は太っていようが痩せていようが何もかわらない。健康にいいといったって、食べたい物も食べられないようでは健康ではない。楽しくない。楽しみがない人生はつらいことばかりの人生になる。

私の母の糖尿病が悪化した時、私は母の食事から肉、魚、油を奪った。親孝行のつもりで大変な親不孝をしてしまった。

甘い物が好きだった母があずきの缶詰を買ってきて食べているのをみて取り上げ、水をかけて流しに捨てた。

揚げ物が好きだった母が私のつくる食事では満足できず、コロッケを買ってきて私はそれを握りつぶしてゴミ箱に捨て、母はゴミ箱からそれを手づかみで拾って食った。地獄のような光景で、悪いのは全て私だった。

母が死ぬと医師にいわれ、母に食べたい物を聞いた。

「みたらし団子に熱い紅茶」

もう口を開けることもできない母は私の指先から一かけらのみたらし団子と一口の熱い紅茶を飲み、「おいしい」といった。それが母の最後の食事となった。

私のつくる食事で母の病気がよくなったことなど一度もない。痩せることもなかった。今でも毎日後悔している。食べたい物ばかりを買ってきたら、どんなに精神的に楽だったろう。人生は一度きりなので、私にはまだそういうことがわからないでいた。現実をみず、自分の考えで突き進んだ。食べたい物は食べるべきで、食べたい物などそのうちなくなっていく。

母が死ぬと医師にいわれた時、フラフラになって母の病室に向かった。もうすぐ死ぬことは母にいわないように医師からいわれた。大変なショックで、生涯で一番暗い日だった。

口を開けると顔がゆるんで泣いてしまうから、歯をくいしばって母の肩をもんだ。5分ももんでいると「もういいよ」と母がいったが、他には何もできないからもみ続けているうちに立っていられなくなり、ひざを床について声をあげて泣いてしまった。

「順番だから仕方がないよ、もういいから飲みに行ってらっしゃい」

これまでのことを母に謝り、母は目を閉じたまま黙って頷いていた。(山田)

 

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