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ドストエフスキーの読み方
 

ドストエフスキーの小説は長い。言い回しも長い。一文一文じっくり読んでいくと読み終わらない。

はじめに小説のあらすじを調べ、内容を知ってから、散歩をするように読んでいく。音楽を聴くように読んでいく。そうすると、後から後からドストエフスキーの言葉が日常生活によみがえる。

『地下室の手記』は40歳無職男による手記で、だらだらと男の持論が語られる。誰とも仲良くできない男は、たった一人自分のことを理解してくれる娼婦リーザさえ拒絶してしまう。この男は人の話を聞かない。わかり合おうなどと思わず、ただ一人、持論を手記にぶつけていく。

あまり面白くないな、と思いながら『地下室の手記』を読み、本を放り出して街に出ると政治家が街頭演説をしていた。

「国民一人一人の利益」「国民一人一人の幸福」

政治家の話が耳に入ると、さっきまで読んでいた『地下室の手記』のフレーズがよみがえり、家に帰ってそのフレーズを探す。

「人間の利益は完全に計算されているのか? 統計表や経済学の公式から平均値をとってきたのではなかったか? 分類にあてはまらない利益もあるのではないのか? 人間は自分の利益を二の次にして危険をともなう道に進む。困難で不条理であろうと自分の信じる道にこそ快適がある。人間の利益は不利を望むことにもありうるのだ」

こうしてドストエフスキーの言葉が体にしみ込む。つまらないと思いながら読んだドストエフスキーが後から面白い。

同じ文章を何度も読んで自分なりの解釈をするようになると、他の人の書いているドストエフスキー論が間違っているのに気づく。大学教授も評論家も、誰もが自分なりにドストエフスキーを解釈しているのがわかる。ドストエフスキーの言論は長すぎるのでそのまま引用することができない。引用するにもその部分を探すのが大変で、いちいち原文に当たっていられない。各自が自分流に解釈し、パラフレーズされたドストエフスキーの言葉は原文と姿をかえていく。元々ロシア語から日本語に訳す限界があるので読みかえも間違いではない。はっきりしないあいまいな表現が多過ぎるのもドストエフスキーの文章の特徴である。検閲のがれもあるが、それだけではない。重要なところでも、どうにでも解釈できる表現が続く。評論家や研究者の引用部分と原文を並べてみると、その人なりの解釈がよくわかる。間違っているが間違いでもない。ドストエフスキーの手紙や創作ノートを調べても、その解釈が本当かどうかわからない。ドストエフスキーの読者はドストエフスキーと同じように人の話など信じず、それぞれの直感でドストエフスキーを読む。(山田)


| chat-miaou | 17:43 |
ドストエフスキーの言葉
 


若い時、運動神経のいい人や、勉強のできる人や、女性にもてる人や、ヤクザにしかなりようがない不良がいるが、大人になるとみな普通の人になる。

数百人の中で目立っても、それぞれの才能が広範囲の世間では通用しない。

有名校に進学したり、甲子園に行ったり、スポーツで全国大会に出場すると周囲が騒ぐが、数年経つと普通の人に戻ってしまう。

地元の有名人が隣町では知られていない。テレビに出るほどの業績で有名になっても、しばらくすると無名に戻る。

ドストエフスキーは『罪と罰』で書いている。

「多くの人は1000人に1人の自主的な人間を生み出すためだけに材料として生きている。もっと広い自主性をもつ人は1万人に1人、さらに広大な人は10万人に1人。天才は100万人に1人、人類の組織者となる偉大な天才は何世代にもわたる何十億人に1人出るか出ないか」

生きるのが苦手な私の周囲の人たちは1000人のうち999人にあてはまる。

「何パーセントかはおちていかなきゃならない。そうなるようにできている」

日本人は優秀なのでそれほどおちることはない。どんなアル中でも助けを求めれば周囲が救ってくれる。そうなるようにできている。

「勤勉なのに永久に下積みから抜け出せない人がいる。あらゆる社会、階級、会社にいる。いつも汚いかっこうで、運命によって貧乏を定められ、彼らの使命は他人から言われたことをすることである」(『死の家の記録』)

ドストエフスキーは時代にも環境にも宗教にも法律にも影響されない真実を追究し、小説にした。

ドストエフスキーを熟読し、死んでしまう人もいる。ドストエフスキーは読まない方がいいという意見は多い。誰もがドストエフスキーを読んだら社会が成立しなくなる。

「知らないで幸福でいるよりも、知っていて不幸を選ぶ」(『白痴』)

ドストエフスキーの小説は、絶望の書でもある。(山田)


| chat-miaou | 06:32 |
酔っ払って記憶がない時
 



酒を飲んで記憶がなくなったからといって、とりあえず相手の様子をうかがいながらあやまっておくなんてもうやめた。一度や二度の記憶喪失ならあやまっておくのもいいが、毎回記憶がないのだから飲む度にあやまることになってしまう。

そもそもあやまるようなことはしていない。だから今でも毎日飲んでいられる。

歩き始めの赤ちゃんが一人で転び、一人で起き上がってまた歩く。ところがおばあちゃんが見守り、「あっ! 危ない!」と叫ぶと、赤ちゃんもそんな気になって泣きわめき出す。

あやまられた方も、あやまられると、あやまられるようなことをされたような気になって怒り出す。

『カラマーゾフの兄弟』の遊び人ドミートリイが弟アレクセイに教える。

「自分が悪くても好きな女には決してあやあまるな! 好きな女には特にな。とたんに非難が雨あられと浴びせられ、決して素直にあっさりとはいかなくなる。ぼろくそにこきおろし、ありもしないことまで怒り出す。どんなことがあっても絶対にあやまるな。この原則を忘れるな」

酔っ払って暴力をふるったり、強姦するような人はあやまらなければならない。そういうアル中はあやまらなくてもそのうち施設に連れて行かれる。見放され、酒に誘われるようなこともない。

怒りたくてうずうずしている。たまには誰かを思いっきり怒ってスカッとしたい。あることないことネチネチと嫌味をいって楽しみたい。自分を肯定せずには生きていけない。自分と他人を差別し、人の悪口をいい、人を馬鹿にし批判することによって少しでも自分を肯定しようとする。
「なにしろ、怒るっていうのは非常に気持ちいいですからね」「怒っているうちにそれが楽しみになり、しまいには本当の敵意が生まれる」(『カラマーゾフの兄弟』)

「怒りはある程度まで達すると愉快になり、もうどうなろうとかまわなくなりなり、募る快感を楽しみながら、怒りの気持ちにおぼれてゆく」「自分のいらいらした怒りっぽい性質に異常な快感を感じる人がいる。怒りが絶頂に達すると快感が強まる。こういう人たちはすぐに怒りの絶頂をむかえる」(『白痴』)
実は何もしていないのに、あやまって回るうちに自分から酒癖の悪い駄目な人というイメージを広めている。

赤ワインのグラスを倒して女性の白い服を汚してしまうようなことがある。毎回酔っ払っているのだから距離感覚が麻痺し、200回に1度ぐらいはそういうことがある。毎日飲んでいれば年に1度や2度はそういうことがある。そんな時は一言あやまり服を弁償するなり、クリーニング代を出せば済む。そういうことを恐れていたら、なんのために酒を飲むのかわからない。

私は酔っ払って人の服を汚してしまったことがある。汚されたこともある。理不尽に殴られたことも何度かあるし、酔っ払いの暴力により骨折したことが二度ある。病院には行ったが、警察に被害届けを出したことはない。1度でも嫌な思いをした相手とは2度と飲まなければいい。(山田)


| chat-miaou | 08:31 |
オスカー・ワイルド
 


都内のバーで一人で飲んでいると、隣に外国人の女性が座り、話し掛けてきた。

日本語が通じず、間がもたないのでカバンに入っていた春川ナミオの画集をみせてあげると感動して、携帯で撮影し、ツイッターにアップした。彼女はアメリカの編集者だった。

彼女に春川ナミオの説明をすると、興味津々の彼女はその情報を次々にツイッターにアップしていった。

私は英語が上手に話せないので間がもたない。それでも大きな目でみつめられると、何か話し続けない訳にはいかず、つい、かっこうつけて、

「春川ナミオの世界はオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』の世界に通じる」

などと口走ってしまった。

それ以来、ずっと気が滅入っている。外国にバカな日本人をアピールしたようで恥ずかしい。もう、背伸びして業界バーに行くのはやめよう。

私はオスカー・ワイルドなんて1回も読んだことがない。

図書館に行って『ドリアン・グレイの肖像』を読んでみると、いくら読み進めても春川ナミオの世界に通じておらず、ゾッとした。しかし、オスカー・ワイルドの世界は春川ナミオの世界と通じるかもしれない。

それにしてもあの美しい女性編集者、私が「春川ナミオの世界はオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』の世界に通じる」などと適当なことをいってしまうと「私もそう思う」などといって真面目な顔でうなづいていた。彼女もオスカー・ワイルドなんて読んでいない。

実は本を読んでいないのは世界共通なのかもしれない。生きている間に読む本の数は膨大だが、それらの内容を覚えてなんかいられないし、凡人には何もかも読むなんてことはできない。

私はドストエフスキーだけは全作品、何度か繰り返し読んでいるので読んでいない人よりは詳しい。読書家の人とドストエフスキーの話をすると、実は彼らがドストエフスキーを読んでいないのがよくわかる。

情報収集は本だけではない。人それぞれに、役立つ必要な情報は違う。知っているふりをするのは恥ずかしい。(山田)

| chat-miaou | 21:18 |
ふりかけごはん
 


ドストエフスキーは弱い者への虐待をよく書く。『カラマーゾフの兄弟』でも『悪霊』でも『罪と罰』でも『虐げられた人びと』でも『白痴』でも出てくる。

何でも疑って、そこから真実を探求したドストエフスキーは神への疑問が強い。ドストエフスキーは聖書で字を覚えた。物心つく前から信じていた神の存在を否定することは、当時のロシアでは考えられない。

しかし、すべてを神がつくったというのなら、なぜ、泣き叫ぶ無抵抗な子供が存在するのか。痛みに耐える子供の存在を神がつくる理由がわからない。

ドストエフスキーの読者も、何事にも疑問を持ちはじめ、真実を追究するようになる。

たとえば料理もできない女性、掃除もできないだらしない女性が結婚して子供を産む。

子供は毎食ごはんとふりかけだけで、弁当もごはんとふりかけだけでおかずはないので友達から笑われ、先生からも同情され、家庭訪問を受ける。

しかし、その子は決して太ることもなく、大きくなってからも食が細い。バレリーナやフィギュアスケーターを目指すこともでき、でっぷり太った子供よりも進路選択の幅が広い。痩せているから洋服が似合い、無駄なものを食べないから血液の流れがよく、どこも悪くない。周囲の人がダイエットや頭痛に悩む気持ちがよくわからない。歳を取れば取るほど得をする。

子供の頃は同情されていたのに、大人になるとうらやましがられる。栄養失調や貧血で倒れるようでは真実の同情が必要となるが、ごはんとふりかけを食べ続けながら栄養失調を目指すにはさらなる栄養カットが必要となり、そう簡単に栄養失調になれるものではない。今の日本で栄養失調になるにはかなりの努力と意志の強さが必要になる。憧れの存在といってもいい。

人間以上に雑多なものを食べる動物は存在しない。植物も動物も魚も、クジラまで食ってしまうため、人間の肝臓には動物史上最大の不要添加物がたまっている。

ここしばらくごはんとふりかけと水とコーヒーとお茶しか口にしていないので体が軽く体調が絶好調となっている。貧乏なんて気のせいだ。(山田)

| chat-miaou | 07:33 |
『伯父様の夢』あらすじ



文庫化されていないドストエフスキーの小説を図書館に読みに行き、全集をチェックしていると、残りは『伯父様の夢』1作のみとなってしまった。自分のペースでドストエフスキーの小説を読んでいったら、いつの間にか、読破できた。

文庫化されていないドストエフスキーの小説は

『スチェパンチコヴォ村とその住人』

『プロハルチン氏』

『おかみさん』

『正直な泥棒』

『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』

『伯父様の夢』

6作のみとなっている。

 

最後の1作だと思うと、もっと読みたくなる。もったいないからゆっくり読んだ。

 

主な登場人物

●公爵 伯父様。伯父様といっても財産目当ての遠縁の親戚たちから伯父様と呼ばれていて、実は本当に親戚がどうか怪しい。一文無しだったが、親類が続々死に、突然相続人になり、莫大な財産が入る。もうおじいさんで、カツラで、義眼で、義足で、入れ歯。

●マリヤ 金目当てで娘を公爵と結婚させたい。

●ジーナ マリヤの娘。美人で23歳、母に説得され、公爵との結婚を決意する。

●モズクリャコフ ジーナと結婚したいが、マリヤから「公爵が死ねば結婚できる、財産も地位も手に入る」と説得される。自称「伯父様の遠縁」だが、かなり怪しい。

●シチェベヂーロフ公爵 本当の公爵の甥。

●ヴァーシャ ジーナが今でも愛する元恋人。

●アンナ 検事夫人。マリヤの敵。

●ナタリヤ 上流階級の貴族夫人。マリヤの敵。アンナの親友。

●ナスターシャ マリヤの遠縁。マリヤの居候。

 

認知症がはじまっている公爵が莫大な財産を相続する。マリヤは娘のジーナを公爵と結婚させたい。

「財産目当ての結婚は誰でもやっている」

ジーナはヴァーシャを愛している。マリヤは「公爵が死んだらヴァーシャと幸せになれる」と説得する。

自分がジーナの許嫁だと信じていたモズクリャコフが怒るが「ジーナはモズクリャコフを愛している。公爵が死んだら、ジーナも財産も地位も名誉もモズクリャコフのものになる」とマリヤに説得される。

マリヤは公爵に酒を飲ませ、ジーナとの結婚を承諾させる。「立派な人」「素敵な人」公爵は自尊心をくすぐられると、相手のいいなりになってしまう。

やはり納得できないモズクリャコフがジーナと公爵の結婚をぶちこわす。

「あなたほどの素晴らしい公爵が金目当てのあんな奴らにだまされた」

公爵をおだてて、ジーナとの婚約は酒を飲み過ぎた末の夢だったと納得させる。

そんな出来事も少し時が経てば、話題にもならなくなった。

本当の甥が町にあらわれ、公爵の財産問題は解決した。

ヴァーチャは病気で死んだ。
公爵の親戚だったはずのモズクリャコフは他の町に逃げるように去っていった。

マリヤとジーナは他の町に引っ越し、ジーナは結婚に成功し、財産と地位を手にいれた。

登場人物たちはみな、その場その場で感情的になり、ころころと自分の本当の気持ちを変えていく。(山田)

 

| chat-miaou | 05:47 |
『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』あらすじ



図書館へ文庫化されていないドストエフスキーを読みに行く。

頭の悪い私は本が読めないのだが、本が読めないのは頭が悪いからだけではない。

興味がないと活字が頭に入ってこないのだということがわかってきた。

最新芥川賞受賞作や直木賞受賞作を読んでみようと思うのだが、数ページでやめてしまう。データが頭に入ってこないから読み進めることができない。

芥川賞や直木賞をとるぐらいなのだから、ドストエフスキーの本よりも難しくなく読みやすいはずなのに全然頭に情報が入ってこない。他の話題の本も同じで何が書いてあるのか、全然わからない。原因が興味だとわかってきた。

編集部にいると、上司からの命令で興味のない記事や本を編集するのだが、それらの資料を読んでいると、びっくりすぐらい頭に入ってくる。情報を頭に入れないと記事や本がつくれないからどんどん頭に入ってくる。興味のあるなしではなく、仕事はやらなければならないと最初から頭の中で決定されているからどんなに興味のない情報でもすらすらと頭に入ってくる。

私はなぜか、ドストエフスキーだけは楽しくいくらでも読める。小林秀雄、青山二郎、青木雄二など、これまでの読書経験から、頭が勝手にドストエフスキーを読まなければならない、と決めつけていて、暇になればドストエフスキーのことを自然に考えている。だからドストエフスキーは児童書や漫画よりも簡単に読み進めていける。

図書館の読書席で未完の『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』を楽しく読んだ。

 

最重要登場人物表

●ネートチカ 人を過剰に好きになる女の子。好きな人のために役に立ちたい。

●エフィーモフ 才能ある音楽家だが、職に就けないアル中。ネートチカの義理の父。ネートチカにいつも優しく、酒を飲むために母の金を盗んでくるようにネートチカに頼む。

●母 ネートチカの母。普通に優しい普通の人。職を失い、新しい職に就けないエフィーモフの才能を信じているが、エフィーモフのせいで生活はさらに苦しくなる。

●H公爵 優しい人。みなしごになったネートチカを引き取り、いつもネートチカの味方をしてくれる。

●カーチャ H公爵の娘。ネートチカはカーチャに惚れ込み、両想いになる。

●H公爵夫人 ネートチカとカーチャの異常ないちゃつきぶりを気持ち悪く思い、二人を引き裂く。

●アレクサンドラ H公爵夫人の前の夫との娘。H公爵の次にネートチカを引き取る。優しい人。

●ピョートル アレクサンドラの夫。ネートチカの敵。

 

人に尽くすのが好きなネートチカはアル中の義理の父が大好きで、彼のために母の金を盗んで与える。ネートチカは義理の父が大好きで、そのせいで実の母をうらむ。母のせいで義理の父と幸せになれないと考える。母が死に、義理の父も死んでしまうと、親切なH公爵に引き取られ、その娘のカーチャにほれ込み、カーチャといちゃついたり一緒に寝るのが最高の喜びとなる。ネートチカはカーチャのために、カーチャのいたずらの罪をかぶったりする。

ネートチカとカーチャの異常なほど親密な関係を気持ち悪がるカーチャの母によって二人は引き裂かれる。

ドストエフスキーはなぜか登場人物の人間関係を複雑にするのが好きで、この作品も無駄に人間関係を複雑にしている。実はドストエフスキーの小説は人物関係図をつくりながら読むと簡単に読める。

ネートチカはH公爵の妻の前の夫との間に生まれた娘アレクサンドラに引き取られる。ネートチカはアレクサンドラを愛し、アレクサンドラの夫ピョートルをうらむ。アレクサンドラにはピョートルの前に愛した男がいて、その男からアレクサンドラに宛てた昔の恋文をネートチカは偶然みつけてしまう。

ネートチカは宿命のカーチャに会いたいと常に熱望している。

ドストエフスキーも途中で投げ出してそのままにしてしまった作品なので、ドストエフスキー自身にも特別の思い入れのない作品なのだろう。

未完なのであいまいな所が目につく。ストーリーも完成されていない。(山田)

 

| chat-miaou | 10:58 |
図書館でドストエフスキー
 



図書館で文庫化されていないドストエフスキーの小説を全集で読んでいく。

『プロハルチン氏』 プロハルチン氏は義理の姉に仕送りをしていて生活が苦しいからといって嘘をつき、大家さんから家賃を半額にしてもらっている。酒も飲まず、服も1着しか持っていない。食事も食べる量を減らし、穴だらけの靴を履き、ベッドにシーツもない。靴下、ハンカチなどはできるだけつかわない。ところが死んでみると、蒲団の中から大金が出てきた。

『おかみさん』 オルドゥイノフは大家である若い女カチェリーナを好きになる。カチェリーナは老人ムーリンの妻であるが、カチェリーナとオルドゥイノフはムーリンにかくれて抱き合ったり、キスしたり、恋愛関係のようになるが、恋愛なのかどうがよくわからない。ムーリンはカチェリーナを頭がおかしいといい、色きちがいだという。カチェリーナのことを遠い親戚だという。

ムーリンには強盗と殺人の過去があるようなのだが、はっきりとは書かれない。ドストエフスキー的な、はっきりしないあいまいな書き方が続く。

ムーリンはカチェリーナを強引に口説き落とし、家族の元からさらうように連れ去って長く一緒に暮らしている。

オルドゥイノフはカチェリーナとの結婚を決意するがムーリンはカチェリーナを離さない。カチェリーナもムーリンを信頼しており、ムーリンといると精神が安定する。ムーリンを裏切って逃げるようなことはしない。オルドゥイノフを置いて夫婦は旅立っていく。

『正直な泥棒』 アスターフィイの家に居候しているイェメーリャはアル中で、なんでも金に換えて飲んでしまう。アスターフィイの高価なズボンがなくなり、金を持っていないイメーリャが酔っ払っているので疑われるが、イメーリャは認めない。イメーリャは病気になり、臨終となってはじめてズボンを盗んだことを告白する。

 

ロシア語を習得した人が羨ましい。どうして誰も文庫化されていないドストエフスキーの小説を翻訳しないのだろう。けっこうな小遣い稼ぎになるような気がする。(山田)



| chat-miaou | 17:53 |
『スチェパンチコヴォ村とその住人』あらすじ



四谷のバーで、隣に座った32歳のOL独身女性の話を聞いていると、浪費ぶりがすごい。家賃が11万円に駐車場代、エステ代50万円、車や服のローンもあり、もう払いきれないという。うまいものにも金をかける。

そんな暮らしをしているOLは少ない。けれども話しぶりが楽しそうで興奮気味なので、ひょっとして、と思って浪費で有名な作家の名前をあげてみると、「大好きなんです!」という。

それならば仕方がない。若い時の作家からの影響は誰にも止められない。何が目標かは知らないが、あきらめるまで続けるしかない。そうでなければ生きている気がしない。ひょっとしたら作家になれるかもしれないし、あまりスケールが小さいと作家になれなくなってしまうかもしれない。

しかし、そういうことも35歳までにしておかないと取り返しのつかないことになりかねない。親もいつまでも生きていないから、助けてくれる人がいなくなる。お金をくれる人なんて親しかいない。

夢に向かって頑張っている人を応援したり、アドバイスはしない。夢に破れた時、こちらのせいにされる。実はこちらが何を言ったって、相手の生き方を左右するほどにはならず、自分の道を好きに選んでいるのだが、失敗すると自己肯定するために原因を探し、手っ取り早く人のせいにする。夢は大きければ大きいほど、期待が強ければ強いほど、絶望が待っている。テレビや本には、成功者ばかりだが、私の周りで夢が叶った人なんて宅建合格と私立大学合格と甲子園出場ぐらいしか知らない。他人の夢には関わらない。

文庫化されていないドストエフスキーの小説を図書館で全集を借りて読んだ。

『スチェパンチコヴォ村とその住人』

伯父さんはやさしい。他人の欠点も失敗も自分のせいにして考えてくれる。話を美化し、ありもしない他人の長所を創造し、感激する。「他人の利益のために自分を犠牲にすることが、こういう人の使命なのだ」

ファマーはすぐにすねる。すぐにいじけて、人のせいにして、いつも自分をなぐさめてくれる人を求めている。

こういう二人が出会ってしまうようになっている。

伯父さんの家の居候であるファマーがすねる。伯父さんはいつものようになぐさめる。

ファマーの口癖は「侮辱された」「どうせ俺なんて」。そういって騒げば、伯父さんがあたふたし、ファマーのいいなりになってくれる。伯父さんはファマーとのごたごたや面倒くさいのが大好きで、味をしめたファマーの要求はエスカレートしていき、居候のくせに家で一番いばっている。

ファマーは迫害されて育った。「劣等な人間は迫害から逃れると、今度は他人を迫害する。いじめ抜かれ、笑われてきたから、今度はいじめ抜いて他者を笑いたい」

しかし、伯父さんの大切な恋人に暴言を吐いたファマーを伯父さんが許すことはなかった。ファマーは伯父さんの一撃のもとに家を追い出される。

なんとかぎりぎりで絶縁をまぬがれ、最後の同情を買うことができたファマーは、今度は伯父さんの恋愛を得意の雄弁で一気に成就させ、再び株をあげ、みなに歓迎されながら家に戻ることに成功した。他人からみたら不気味な関係も、当人たちにとっては自然の結びつきですんなりいく。

伯父さんの親戚である頭の弱いタチヤーナが莫大な遺産を相続した。酒と博奕で借金だらけで一文無しのミジンチコフはタチヤーナと結婚したい。タチヤーナの金でタチヤーナを守ってやりたい。タチヤーナの金でかわいい自分の妹を幸せにしてやりたい。

オブノースキンも絶対にタチヤーナと結婚したい。タチヤーナを口説いて駆け落ちするが、タチヤーナを心配する人たちに連れ戻される。オブノースキンはタチヤーナの金を自分の資産にし、世の中のためになる慈善事業をはじめたい。タチヤーナの金で貧しい人の力になってやりたい。タチヤーナの金で貧しい人に奨学金を送ってやりたい。

頭の弱いタチヤーナはどちらとも結婚せずに病気で死ぬが、財産は自分のことを心配してくれた大切な人と、親のない子供たちへ寄付するように遺言を残していた。(山田)



| chat-miaou | 03:32 |
笑いについて




友人と街を歩いていて、大笑いしていると、向こうから若い女の人が走ってきて「何がおかしいのよ!」と怒鳴り込んできた。

友達と話をしていておかしかったから笑った、と正直に敬語で答えると、納得しない顔をしながらも「あなた、おかしいわよ、気を付けないよ」と注意して、去っていった。恐かった。

ドストエフスキーは被害妄想の人だった。誰かが小声で話をしているだけで、自分の噂をしていると考えてしまうような人だった。

ドストエフスキーの作品には笑い顔に関する記述がいくつかある。笑い顔に関して、極端な見解を持っている。

『未成年』で、主人公アルカージイに詳しく語らせている。

「笑いは心のもっとも確実な試験紙である。人が笑うとたいていみていて嫌になる。笑い顔はもっとも多く、何か下卑たもの、笑っている人の品位を落とすものがむき出しにされる。本人は自分の笑い顔が相手にどう思われているか気付いていない。しかし、これは気付く気付かないという問題よりも、天からの授かりものだ。笑うことによって馬脚をあらわす。人が笑うのはほとんどが悪意からである。笑い顔の中にほんのわずかでも愚かしいところがみえたら、たとえいつもりっぱな思想を語っている人でも、その頭脳はたいしたものではない。笑った時に滑稽にみえたら、その人に本当の品位はない。笑いが下品な人の品性は下劣で、普段上品にみえていた人でも、実は付け焼刃か借り物でしかなく、いずれボロが出て悪い方に向かっていく。赤ん坊は完全に美しく笑うことができる。これは私の人生体験から結論づけた重要なことである」

相当嫌な思いを経験してきたのだろう。人が笑っていると、自分のことを笑っているようにみえてしまったのだろう。特に嫌いな人が笑うと被害妄想がさらに強まり、憎しみまで生まれている。(山田)



| chat-miaou | 19:23 |