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クロちゃん

 

テレビは面白くないものが多いが、それでもテレビをみないとすることがない。せめてみてしまって後悔しないように、あらかじめDVDレコーダーで面白そうな番組を録画してからみるようにしている。これなら、つまらなそうだ、と感じた瞬間に削除してしまえば余計なものをみないで済む。

DVDレコーダーにはキーワード自動予約録画機能がある。

「クロちゃん」を登録して、楽しみにしている。安田大サーカスのクロちゃんは初めてみた時から面白かった。スキンヘッド、口ヒゲ、スカジャンでどこからみてもヤクザのおっさんなのに声変わりしておらず少女のような声を出す。街でみかけたら目を合わせたくないし近づきたくないし、電車で隣の席が空いていても絶対に座らないほどの迫力ある見掛けなのに、いつもみんなからいじめられている。笑っていない時の目つきもかなり怖い。

クロちゃんはいつも楽しそうにいじめられている。楽しそうに仕事をしている。みんなから「コイツ、ほんまに最低の奴っちゃな」とか「大っ嫌い!」「最っ低!」「ウソばかりつくなよ!」といつも怒られ、クロちゃんをみつめる客席からは「あー」とあきれたため息がもれるが、人気はどんどん上がっていきテレビ出演が途切れることがない。常にウソをつき、自分の身を守るために平気で若い女を裏切る姿が動物的でとても興味深く、学ぶところが多い。

あれはつくった声で、本当は太い声なのではないか、と誰もが思うが、しょっちゅうドッキリを仕掛けられ、夜中に寝ている時に横に知らない人が座っているのをみつけて悲鳴をあげた時も、それほど太い声ではなかった。謎が多いのもクロちゃんの魅力になっている。

クロちゃんの自宅にはしょっちゅうテレビカメラが仕掛けられていて、クロちゃんにプライベートな時間はない。部屋の中では裸でいることが多いので太った裸体もしっちゅう全国放送されている。普通の人ではあんな生活は耐えられないが、クロちゃんはいつも嬉しそうにニコニコしている。あの笑顔がいい。酒飲みで大食漢で常に何か食べていて痛風もちなのも親近感が湧く。健康番組に出演する度に医者からも冷たい目で嫌われて怒られている。本当はみんなクロちゃんが好きなのに。

クロちゃんの番組が自動録画されているのに気づくと楽しみになる。この日は仙台ロケで、夜、キャバクラに行けなかったクロちゃんは納得できずに朝の6時に朝キャバに行こうとしたが、仙台に朝キャバはなく、カメラに向かってかわいい声で仙台でも朝キャバをやってくれるように頼んでいた。クロちゃんでなくカラちゃんとして100倍辛いラーメンを嬉しそうに食べさせられ、スキンヘッドが10秒でみるみる汗だくになっていき、唇が痛くてコップの水の氷で冷やしている姿が真剣でとても感動的だった。(山田)

 

| chat-miaou | 10:52 |
岸田秀入門 4

 

9●『続ものぐさ精神分析』

犬畜生は生きるための価値を求めず、ただ生きているだけだが、人間は生きているだけでは満足できず、おのれの存在の意味を問い、その価値を求める、したがって、人間は犬畜生より高等であると説く人がいるが、わたしに言わせれば、これこそ人間のたわけた思いあがりであって、人間が、犬畜生と違って、生きるための価値を求めるのは、その自然的生命を十全に生きておらず、したがって、生きることにむなしさを感じざるを得ず、そのむなしさから逃れようとして、そのような価値にすがりつこうとしているのである。つまり、生きるための価値を求めるのは、むなしさに耐えられない人間の弱さゆえであり、卑怯なふるまいであって、人間が犬畜生より高等である理由になるどころか、逆に、劣等であることを証明するものである。

10●『ものぐさ精神分析』

父の虐待は実は虐待ではなく、愛情の表現であり、わたしは父親に愛されているのだと無理に思い込む。そう思い込むことによって彼女は、その不幸な幼児期、少女期をかろうじて耐えてきたのであった。この正当化によって彼女の人格(対人知覚の構造と言ってもいいが)に盲点が生じた。第三者の目には明らかな男の残酷さが、彼女の眼には愛情と映るのである。しかし、それは正当化による自己欺瞞であるから、それが愛情であるということに、彼女は心の底から自信はもてない。自信をもてないゆえに、それが愛情であることを確証しなければならない。だから彼女は、残酷な男と出会うと、彼の愛情を確認したいという意識的な強迫的欲望にかり立てられ、無抵抗に引き寄せられるのである。彼の愛情を確認することは、自分が父親に愛されていたということを確認することであった。彼女は何度裏切られても、少なくとも一人の男において、一見残酷さと見えるその態度が実は残酷さではなく愛情であるという証拠を得たいのであった。

しかし、残酷さはあくまで残酷さなのである。このことを認め、残酷な男に繰り返しひっかかるその反復強迫をやめるようになるためには、彼女は、父親に愛されていなかったという、彼女にとっては認めがたい苦痛な事実を認めなければならない。

11●『続ものぐさ精神分析』

幼いとき、弟をいじめ、虐待し、当人はその経験を、弟のためを思ってきびしい鍛錬を施してやったのだと正当化したとする。このような人は、大学の運動部へはいって上級生になったときとか、会社へはいって何らかの権力をもつ地位についたときに、下級生や部下を虐待するようになる。そして、その虐待を虐待とは思わず、下級生や部下のためにきたえてやっているつもりである。彼が下級生や部下にやさしく接することができないのは、もしそうすれば、なぜかつて幼いとき、弟にやさしく接しなかったのかという疑問にぶつかるからである。下級生や部下にやさしく接して、もし事がうまく運べば、かつて弟にもこのようにやさしく接すべきだったのではないかという苦しい疑問にぶつかるからである。そうなれば、弟に対するかつての態度は実は虐待だったことを認めざるを得なくなり、そのことに関する罪と責任を引き受けざるを得なくなるからである。したがって、その罪と責任から逃れるためには、彼はいつまでも、自分の勢力下にある弱い者に対して虐待をつづけ、その虐待を相手のための何らかの名目で正当化し、そのやり方によって事がうまく運ぶことを是が非でも証明しなければならない。逆に言えば、彼がそのような虐待をやめることができるようになるためには、かつての虐待を虐待と認め、その罪と責任を引き受けなければならない。

12●『嫉妬の時代』

子どもは行動規範を親から受けつぐわけですが、親の規範に矛盾があると、その矛盾が子どもの自我に混乱と葛藤をもち込むのです。

たとえば、親が口では「人間はまじめに生きなければならない」と説き、子どもに厳格な規範を強いておきながら、親自身は家庭を省みず浮気をしたりして勝手に遊んでいるといった場合、子どもは、親が口で強制してくる規範と、親自身が実行している規範との矛盾する二つの規範にさらされます。ほとんど自動的に身につくのは、もちろんあとのほうの規範です。

13●『嫉妬の時代』

たとえば、父親が妻子を捨てて女のもとに走り、父親に見捨てられた母子家庭の中でつらい思いをしながら育った男は、意識的には、「自分はあのような父親になるまい。親子がずっと仲良く暮らす理想の家庭を築くんだ」と決心しています。実際にまじめな結婚をし、妻子のために献身的に尽すやさしい父親を続けていながら、ある日突然、女をつくって妻子を捨てるということをやらかすことがよくあるのです。

それまで親子揃って仕合せそうにやっていたのに、何が不満でそんなことをするのかと、当人以外には不可解ですが、いや当人にさえ不可解かもしれませんが、彼としては、言ってみれば、家族揃って仲良く暮らしている生活には実感がないのです。

それは「理想の家庭」という観念にもとづいて組み立てられた生活であって、そのなかで彼は「おれは生きている」という感じがしないのです。

父親の彼の愛情に包まれて仕合せそうな息子は、彼にはどこかよそよそしく、「おれの息子だ」という感じがしないのです。ところが今、父親の彼に見捨てられ、昔の彼と同じように父親なしでつらい思いをして日々を過ごしているであろう息子は、彼には本当に心から「おれの息子だ」と感じられるのです。

子に対する親の愛情は、親が自我の延長を子のうちに見ることに基づいていますが、息子を見捨ててはじめて彼は自我の延長を息子のうちに見たのです。

息子を見捨てておいて、何を今さらたわけたことを言っているのかと思われるでしょうが、彼が「かつておれが息子に注いでいた愛情は、無理してつくったニセモノだった。今こそ本当に心の底から息子に愛情を感じる」と言ったとしても、嘘いつわりはないでしょう。同様に彼は、夫の彼に見捨てられて一人苦労しながら息子を育てている妻に、彼の母親の面影を見るでしょう。

そして彼は彼の父親と同じように、妻子を捨てて女と暮らしています。彼になじみのある世界が再現したのです。失われていた時が見出されたのです。彼がこの世界から、妻子のもとへ戻ることはたぶんないでしょう。

 

| chat-miaou | 09:56 |
岸田秀入門 3

 

1●『ものぐさ精神分析』

幻想我と現実我の葛藤の最終的解決法は自殺しかないが、一時的解決法、気休め的解決方法はいろいろとある。酒を呑むのも一つの方法である。酔っ払えば、現実我は忘れられてナルチシズムが高揚し、全能感が刺激されて何でもできるような気になり、自己と他者との境界がぼやけて、世界は無限に開けてき、みんな自分の仲間と感じられてくる。しかし、酔いがさめるまでのことである。宿酔いの苦々しさは、生理的要因もあろうが、主として、せっかく追っ払った現実我がまた図々しく立ち戻っているのを見た苦々しさではないかと思う。

2●『ものぐさ精神分析』

テレビの画面では、連日連夜、幻想我の代表選手である仮面ライダーやミラーマン、あるいは水戸黄門や銭形平次が、善玉(現実我)をみじめな状態に突き落し、不当に虐待している悪玉(現実原則)をやっつけているが、十年一日のごとき同工異曲の物語が決して飽きられることがない。人びとはこれほどまでに、幻想我の実現をはばんでいる現実の世界を恨んでいるのである。易者が「あなには埋もれた才能があります」と言えば、たいてい誰の場合でも当たるそうだが、われわれは、当然花を咲かせるべきなのにまだ咲かせていないナルチシズムを心に秘めている。

3●『不惑の雑考』

劣等感は人間につきものみたいなものであるから、劣等感から決定的に解放される方法はないであろう。もしただ一つ、その方法があるとすれば、自分より優れている人たちを自分とは関係のない別の世界の人たちと見なして、あきらめることであろう。昔の庶民は貴族に対して別に劣等感はもっていなかったであろう。ところが、現代は平等主義の時代で、タテマエとしてはすべての人が平等に何にでもなれることになっているから、現代人は昔の人より劣等感に苦しんでいるのであろう。別に平等主義がいけないとは言わないが、人びとの劣等感を大いに刺激し、増大させたことは間違いない。また、おとなと青年をくらべてみると、青年は将来に希望をもち、いろいろな者になれる可能性をまだあきらめていないことが多いであろうから、おとなよりも青年のほうが劣等感が一般に強いであろう。

しかし、すべてにあきらめてしまって劣等感をもたなくなったら人間はやることがなくなるのではなかろうか。嫉妬は人間のもっとも強い感情であり、劣等感補償は人間行動の最大の動機である。人が言ったりしたりしていることの大半は、むずかしい複雑なことを考えなくても、嫉妬と劣等感補償が動機ではないかという仮説を立てれば明快に説明がつく。

4●『嫉妬の時代』

人間は現実には決して平等ではありません。それなのに、たとえばすべての人間は能力において平等である、なんてことが建前になると、能力の劣るものにとって世界は地獄になります。

5●『嫉妬の時代』

能力はみんな平等ということになっているので、凡人が本来ならもたなくてもいい挫折感をもち、天才に嫉妬するんです。天才に嫉妬した凡人には、嫉妬の地獄からの出口はありません。平等主義が、人びとの嫉妬心を猛り狂わせたというのは事実です。落ちこぼれもつくったし。

6●『嫉妬の時代』

生徒がさまざまな可能性を潜在させていることは間違いないですが、すべての可能性を無限にもっているわけではありませんし、いくら教師がいい教育をしようが、生徒がいくらがんばろうが、存在しない可能性が伸びるはずはありません。

この平等主義の嘘は俗耳に入りやすい美辞麗句で飾られていますが、実際には、能力の劣る生徒に地獄の苦しみを味わわせています。しかし、本来的に、「能力の劣る」生徒というのはいないことになっていますから、彼らの地獄の苦しみは無視されてしまいます。彼らの苦しみに配慮を払うためには、平等主義の嘘を崩さなければならないからです。

7●『唯幻論物語』

もちろん、唯幻論を理論的に批判する人はいて、そういう人にはわたしも理論的に反駁しているが、それとは別に、唯幻論が感情的に気に喰わない人もけっこういるようである。大学に勤めていたとき、ある別の大学の見知らぬ学生が研究室に血相変えて怒鳴り込んできて、数人のゼミ生がいる前で「すべてが幻想だなんていい加減なことを言うな、撤回しろ、この本の代金を返してくれ」とわたしに『ものぐさ精神分析』を突き返してきたことがあった。どこかに書いたが、「すべてが幻想なら、これも幻想で痛くないだろう」と、学生に殴られたことがある。見知らぬ読者から嘘つきだとか何とか罵詈雑言を連ねた手紙がときどきくる。インターネットの掲示板とかに、わけのわからないわたしの悪口を飽きもせず書き込み続ける人がいる。電話がかかってきて「あんなこと書いていいのか」と脅されたこともある。しかしもちろん、好意的な読者も多い。

8●『続ものぐさ精神分析』

私の講義を受講している学生からときどき、「そのような考え方をしてむなしくないのか」と質問されることがある。わたしの考えによれば、人類の歴史は幻想をもってはじまり、社会は幻想で成り立っており、恋愛も幻想なら、異性の性的魅力も幻想、親子の愛情も幻想、何でもかんでもみんな幻想というわけで、わたしの講義を聞いていると、一部の学生は、世の中が何となくむなしくなってき、この先生は本気でそう思っているのだろうか、もしそうなら、何のために生きているのだろうか、まるで人生にはそのために生きるに値する価値などどこにもないみたいではないかと疑問に思うらしい。

まったくその通り、わたしは本気でそう思っている。まさかふざけて、幻想だ、幻想だとわめいているわけではない。そして、そのために生きるに値する価値なんかどこにもないと思っている。そのように答えると、「それではなぜ生きているのか、なぜ、すぐ死なないのか」と重ねて質問してきた学生がいたが、わたしにはこの質問は意外であった。

こういう質問が出る前提として、人間が生きているのはそのために生きるに値する何らかの価値のためであって、そのような価値がないなら死んだほうがましだという考え方があると思われる。わたしは、このような考え方こそがおかしいと思うのである。いや、ただおかしいだけでなく、きわめてはた迷惑な考え方だと思う。

 

| chat-miaou | 09:54 |
うまいもの

 

永井荷風は晩年「うまいものなんてあるかね?」と言ったという。永井荷風といったら浅草の洋食屋や京成八幡のカツ丼で有名だが、どちらも特別うまいものではない。両方電車に乗って食べに行ってみたが、一回行けば十分なぐらいの普通のうまさだった。

うまいものはたくさんあるがその時の体調によってうまいものが決まる。腹の減り具合でも全然違う。匂いや店の雰囲気でも違う。

池波正太郎はうまい店のことを書き、多くの人がそれを読んで食べに行き、がっかりする。自分のうちの近所の店と大きくレベルは変わらない。それでいて値段が高い。池波正太郎は自分の日常行動範囲の店で食事をする。自分の気に入った店でメシを食い、酒を飲む。基本的に我々と同じことをしてそれを書いている。好みは人それぞれ違う。池波正太郎は裕福だから高い店でもメシを食う。初めて行く我々には高過ぎて、高級店の些細な違いなんてわかるわけがない。

色々なものを食べ歩き、些細な違いがわかるようになってしまうとみんなから煙たがられるようになる。作家でもないのに人のつくったものに常に不満をもち、ほとんどがまずく思え、高い物を好むようになる。しかもそれが思い込みだったり勘違いだったりするから本当に迷惑だ。せっかく真面目につくったのに何を言われるかわからないから出すの嫌になる。頼むからどこか他の店に行って欲しい。

池波正太郎は有名人でVIPだから扱いが違い、揚げ立てでプスプスと鳴き声をあげるというとんかつが運ばれてくるが、私に運ばれてきたとんかつは普通で、鳴き声をあげていなかった。

有名鮨屋も三日連続通えばうまくない。飽きてしまうし、脂っこい鮨は体に重く胃がもたれる。

納豆ごはんは毎日食べられる。味噌汁も毎食食べられる。本当においしい。消化もよく、体に軽いから体によく毎日続けることができる。

永井荷風は晩年、刻んだ野菜をごはんと一緒に炊いて醤油味で食べていたらしい。これなら体に軽くて長続きする。歳を取ったらそれぐらいのメニューがちょうどいい。おじいさんがカツ丼や洋食を食べていたら胃がもたれて体が悲鳴をあげるに決まっている。

鮨もうなぎも天ぷらもうまいが、たまにしか食べられない。お金がなくて食べられないというより2回食べれば、体に重過ぎて気分が悪くなるし、飽きる。カニを食べると頭が痛くなる。当分食べたくなくなる。つくっている本人たちだって普段は食べない。

久しぶりに食べるとおいしい。うまいといえばうまいが、どれもそれほどうまくないといえばそれほどうまくない。飲み屋で酔っ払ってうまいと騒いでみんなと話し合って、みんなと同じように食べに行くのが楽しく、実際は騒ぐほどではない。独り言で騒いでいる人もいない。

どうしても鮨を食べたくて犯罪者になってしまう人はいない。その程度で、犯罪に見合うほど、どうしても食べたいほどうまいわけではない。

酒を飲むために無銭飲食をしてしまって捕まる人はいる。それほどうまい。犯罪を犯してまでも酒を飲みたくなる。脳と体が求めてきて、考えただけで喉が鳴るほどにうまい。

覚醒剤を買う金が欲しくて窃盗を働く人がいる。なくてはならないらしい。

強姦がやめられない人もいる。覚醒剤や強姦は、普通の人のうまいというレベルを超えている。刑務所行きを覚悟して命がけで味わっている。

特別にうまいものなんてない。もう既に、一番うまいものを毎日自然に選抜して食べている。鮨やうなぎは一年か二年に一度ぐらいがちょうどいい。本当にうまいから、どうしても納豆ごはんや炊き込みごはんに戻ってくる。(山田)

 

| chat-miaou | 18:18 |
なるほど! 整理術 3.11編

 

宮城県に父は住んでいた。父には兄がいて、私にとって伯父さんのその人は体が弱くて自炊や洗濯をしたことがない人だったので、父が身の回りの世話をしていた。

父と伯父は二人暮らしで、もし父が死んだら私が伯父を引き取ることになっていた。

父が死んだら私が宮城県の家を継いで住むように言われていた。江戸時代からの墓もある。

断わったって怒られるだけだから、とりあえず言いなりになっておいた。

それでも気になる。私には仕事があったし、仕事しか楽しみがなかったから仕事は辞めたくない。

父が死んだら、もう父はいないのだから文句を言われることもない。伯父さんは私の住まいの隣に住ませるか、老人ホームに入ってもらう予定でいた。父と違って伯父さんは人の言うことに従う人だったからたぶん問題はない。

しかし、父が死んだら、父の葬式を宮城県でやらなければならないし、伯父さんを連れて帰らなければならないし、家や荷物を処分しなければならない。相続手続きや、役所での手続きもある。

仕事は絶対辞めたくなかった。長期間休むのも嫌だった。

父の家の周辺の郵便局、銀行、引っ越し屋、廃品回収業者、タクシー会社、自転車屋などを調べてノートをつくり、墓参りの度に位置確認をしておいた。父が死んでも、会社をできるだけ休まないでいいように準備していた。それでも気が重かった。全てを捨て去って解放されたかった。みんな消えてなくなって欲しかった。

悩んだのは全て無駄だった。3年以上先のことなんて考えなくていい。

会社をクビになった。会社をクビになった3か月後に大震災が起き、父の家が流され、全ての物が流され、墓まで流された。気持ちいいほどスッキリ何もなくなった。願いがかなったような気がして少し怖くなった。

廃品業者も引っ越し屋も全く必要なく、一気に片付いた。

道もなくなり、景色もなくなり、町の一部がなくなってしまい、寺の本堂や建物が全部津波に流されたから、墓の場所がわからなくなった。遠くから墓石だけがゴロゴロと流されないままでいる場所がいくつかみえ、それが寺だった。景色がないからどれがうちの寺だかわからず。墓石も流されてごっちゃになっているのでなかなか墓の場所をみつけつことができなかった。

伯父さんは避難所で持病の薬が切れ、心臓発作を起こして死んだ。(山田)

 

| chat-miaou | 10:11 |
岸田秀入門 2

 

3●『幻想に生きる親子たち』

他人の人格構造ないし欲望構造を自分の望むように変えたいというのは、昔々のその昔の太古より無限に多くの人々が夢見たことである。実際、人生において他人を自分の思い通りに操作できれば、これほど都合のいいうまい話はほかにないからである。

しかし、そのような願望はまれにしか実現しなかった。他人を是が非でも自分の願望に従わせようとすれば、まかり間違えば彼を殺してしまうか、彼に殺されるか、絶交になるか、恨まれるか、あるいは少なくとも仲がまずくなるという結末になるのがほとんどであった。ごくまれにこの願望が実現することもあるが、それはたまたま自分の願望に添うような形に他人の人格構造ないし欲望構造が以前からすでに形成されていたという偶然の幸運によるのであって、自分の企てや努力の成果ではない。

4●『ものぐさ精神分析』

「自分は人のために献身的に尽くしては裏切られ、それでも人を信じたい気持ちを捨てることができず、懲りずにまた人のために尽くしては裏切られる」と言ってぼやく人がいる。当人は、恩知らずの人の世の薄情さとエゴイズムを嘆いているが、エゴイストなのは当人であって、彼は、人に対して一段優位に立てる恩人という立場で臨み、人を利用し、支配したい欲望が強過ぎるのである。繰り返し「裏切られる」のは、世の人々が薄情なためではなく、おそらく彼に非がある。彼が失敗しても懲りずに「捨てることができない」のは、「人を信じたい気持」ではなく、「人を利用し、支配したい気持」であろう。なぜ「捨てることができない」のかと言えば、それはその気持をありのまま認識せず、「人を信じたい気持」という立派なものにすり替えているからである。つまり、自己批判を、本来向けるべき「人を利用し、支配したい気持」のほうに向けず、的外れなところに向けているので、デキモノの薬をデキモノの上にぬらず、健康な皮膚の上にぬりたくっているようなもので、何の効果もないわけである。人が彼を「裏切る」のは、彼の支配欲に耐えられなくなって、逃げ出すのである。

5●『ものぐさ精神分析』

人間は自分を正当化せずにはいられない存在である。人間は自己正当化によってかろうじて自己の存在を支えられており、自己正当化が崩されれば、自己の存在そのものが崩れるのである。したがって、相手に対して不当な要求をもち出す場合、不当な要求を不当と知ってもち出すということは、なかなかできるものではない。まずそれを正当化する必要がある。

6●『ものぐさ精神分析』

易者が「あなたには埋れた才能があります」と言えば、たいてい誰の場合でも当たるそうだが、われわれは、当然花を咲かせるべきなのにまだ咲かせていないナルチシズムを心に秘めている。

7●『嫉妬の時代』

人間というものは、どれほど自分を冷静に客観的に見ようと努力しても、自分が不当であるという結論になれば、自我が崩れるし、自我が崩れれば生きてゆけませんから、自己正当化をやめるわけにはゆきません。

8●『ものぐさ精神分析』

若い頃、革命を志し、今は廃品回収業者となった男が自分の姿を自嘲している。彼がその自嘲によって言いたいことは、廃品回収業は世を忍ぶ仮りの姿なのだ、おれは本当は革命家なのだ、ということである。もし彼が、依然として革命を信じ、本当に一時の便法として廃品回収業をやっているのであれば自嘲は必要でない。本来は廃品回収業ではないつもりだから、どんな職業の人も当然もっている仕事に対する誇りと誠実さを彼は欠いており、したがって、その仕事は必然的に無責任ないいかげんなものとなる。さらに彼は廃品回収業としても失格であるくせに、他の廃品回収業を軽蔑し、自分が彼らより一段高級な人間であるかのような錯覚をもつ。その錯覚を支えているのが自嘲ないし自己嫌悪である。

9●『ものぐさ精神分析』

人の気持ちに無理解で無感覚な者ほど、自分は人の気持ちがわかり過ぎるほどよくわかり、そのためについ、要求される前に自分からゆずってしまい、無理してゆずったということすらわかってもらえなくて馬鹿を見るなどと思っており、思いやりのある者とは、人の気持というものがいかに理解しがたいかを知っており、自分がつい気づかずにどれほど人の気持ちを傷つけているかについてつねづね空恐ろしい思いをしている者である。

けちでしみったれた人とは、きわめてけちでしみったれた水準に普通の一般的基準をおく人のことであり、その「一般基準」から判定すれば、彼自身は必然的に「気前が好過ぎる人間」となるのである。そして、自分がどの水準を一般的基準とし、どの視点に立っているかということは、人間のもっとも自覚しにくいことの一つである。

平静な心で自分を反省してみて、自分はこういう人間だと思えるとき、他人の眼にはちょうどその正反対が映っていると考えて間違いはない。

 

| chat-miaou | 10:06 |
岸田秀入門 1

 

岸田秀を読んでいると精神分析という学問をつくったフロイトを読んでみたくなるが、難しそうなので漫画で読むフロイトを探すとけっこうあって、かなり面白かった。私も入門書を何冊か編集したことがあるが、頭のいいライターがちゃんと本をたくさん読んで、そのなかから一番面白くてわかりやすいエピソードを必ず入れる。一番面白いエピソードが入門書にはちゃんと書いてあるから、入門書を読んで面白くなかったらその世界を細かく読んでいっても面白くない。子供が入門書や児童書を読んでその世界に興味をもち、将来学者になるということがよくある。

フロイトをちゃんと読んだ人がその面白さを漫画にしてくれているから、フロイトの一番面白いところはきちんと漫画にも描かれているはずだ。

男の子が馬を怖がる。男の子はお母さんのことが大好きで、だからライバルであるお父さんを怖がり、それでもお父さんのこともやっぱり好きで、お父さんの代わりに馬を怖がる。幼い男の子はお母さんに恋愛感情を抱き、幼い女の子はお父さんに恋愛感情を抱く。精神分析医が男の子に、「君はお母さんのことが大好きだから、お父さんのことを怖がるのだけれど、お父さんは君のその気持ちを知っているけれど、君を怖がらせるようなことをしないよ」と説明してあげたら、男の子は馬を怖がらなくなった。

原因がわかると反応が変わる。抑圧して隠して、自分でも忘れてしまった気持ちに自分で気付き、その気持ちに整理がつくと症状がおさまる。

女の人が原因不明の足の痛みを訴えた。話を聞いていくと、彼女は姉の夫に恋愛感情をもっていて、足の痛みをつくり出すことによって自分を罰し、恋愛感情を回避していると自覚した。原因を自覚し、自分自身の中で心の整理ができると原因不明だった足の痛みがすっかり消えた。

ひたすら患者に話をさせ、患者の話をさえぎらずに根気よく聞き続けていくと、原因となる話が出てくるという治療違法だった。

岸田秀の本を読んでいると自分が精神分析されている気分になり、スッとする。多くの人が岸田秀の本を読んで救われたという。たくさんの症例をわかりやすく面白く解説し、自分に合った症例を読んでいくうちに素直に納得し、気持ちが楽になる。

自殺しないで済む人もいるかもしれない。犯罪をしないで済んだ人もいたかもしれない。

自分が虫けら以下の人間なのだ、と自分から認めることができると、少し楽に生きていける。強くなったような気分で相手にのぞめる。

呼吸が苦しいほど気が滅入ると岸田秀の本を読む。このままでは何か事件を起こしてしまいそうな気がする。読むより書き写す方が頭に入る。岸田秀の文章をかたっぱしからひたすら書き写していくと心が楽になる。病院に行かないで済む。(山田)

 

1●『ふき寄せ雑文集』

卑屈な性格の人というのは卑屈さを「謙虚さ」「人の好さ」「寛大さ」「献身」「自己犠牲」「人間信頼」などと正当化しており、そこに高い価値を付与し、卑屈さの招くマイナスが見えていない人である。彼はその卑屈さのために相手に馬鹿にされ、軽んじられて多大の損害を蒙っても、おのれの卑屈さのゆえとは思わず、相手が卑劣にも彼の「寛大さ」につけあがってきた、彼の「人間信頼」につけこんできたなどと思うであろう。したがって、人びとの眼には、卑屈さのゆえに大損しているとしか見えない痛い経験を何度重ねても、彼の卑屈さは改まらない。自分がそういう目に遭わなければならない責任は相手の「卑劣さ」にあり、態度を改めるべきなのは相手であって、自分ではないと思うからである。卑屈な人もその点では実に傲慢なのである。卑屈さを正当化している彼は、そういうわけで、卑屈な形でしか人びとと関係を結ぶことができず、そのためには、彼は「状況に不釣合に」いつも屈服し、あたかも固定的、実体的な「卑屈な」性格をもっているかのように見えるのである。

2●『不惑の雑考』

いくら「図々しい奴」だって、通る可能性があると思うから、「図々しい」要求をもち出すのであって、断わられるのがわかっていてもち出すわけはない。つまり、要求が通る、あるいは少なくとも、ひょっとして通るかもしれないと思い込ませるところがあるのである(こういう場合、自分のそういうところに当人は無自覚であるのが普通である)。しかし、他方では、要求の「図々しさ」に腹を立てており、「応じてやるものか」と決心したりする。このことからわかるように、相手の要求に対して承諾するなら承諾する、拒否するなら拒否する一貫した態度が取れず、相手の要求を受け容れようとする気持ちと、拒否したい気持ちが葛藤しているのである。

人に「図々しい奴」と思われがちな人というのは、「図々しい」要求をする人というより、相手の寛容さの程度を誤認する人である。きわめて単純化して言えば、対人態度に葛藤のある人と、対人知覚に欠落のある人とがぶつかったとき、前者が後者を「図々しい奴」だと見なして嫌うのである(後者は前者を「期待させて裏切る当てにならない奴」だと見るであろう)。

 

| chat-miaou | 10:04 |
貧乏人と金持ち

 

金持ちは残高が減るのを極度に嫌う。今の資産を維持すれば、今と同じ生活が維持できる。

自力で金持ちになった人などほとんど存在しない。金持ちは生まれた家で決まり、それは土地を意味する。

普通のサラリーマンの年収は400万円以下だが、これは月収25万円×12=300万円と、夏と冬にボーナスが50万円づつ出る。25万円の月収から色々引かれて手取りは19万円で、都内の家賃10万円のマンションに住めば残りはもう9万円しかない。ボーナスをひたすら楽しみにする人生となる。何千万円もする土地なんて恐ろしくて買えない。一人が楽しむのがやっとで、女房を養うためには趣味にお金をかけることなんてできない。子供をもつとさらにつらい。親が金持ちなら援助してもらえる。親もかわいい孫のためなら援助してくれる。

年収300万円の会社は給料を出すのがやっとでボーナスは出ない。

年収500万円ぐらいから希望が出る。月収は25万円だが、ボーナスが夏と冬100万円づつ出て、ボーナスで女房と子供は普通の生活ができるようになる。

年収300万円、400万円、500万円で生活は多く違うが、親が金持ちだともっともっと違う。つかわない土地は駐車場かアパートかマンションなので、家賃収入が月収何百万円も入ってくる。実際は入居者が入らないから大変だ、とみな口を揃えていうが、本当にマイナスになる土地ならばとっくに不動産屋に売り渡している。過剰投資をして返済計画が狂い大損する金持ちは多いが、普通に元からある土地を人に貸していれば入ってくるだけで、破産なんてしない。

派遣社員の年収は250万円に届かずボーナスもない。私の周りの出版系の人たちは年収200万円いかない。出版社回りをしてたまに頼まれる仕事は1回2万円ぐらいの仕事で、月にいくつもない。

都内に住むとワンルームの小さいアパートで6万円以上する。探せばもっと安いアパートはいくらでもあるが、6万円以下では隣の話声で眠れない。ユニットバスも快適ではない。5万円以下になると古い畳部屋でかゆい。押し入れに30年以上前の新聞紙が敷かれている。隣が夢を追いかけていて夜中にギターを弾いて唄い出す若者だったり、外人がパーティーを始めて強い香辛料の臭いが漂ってきたり、一日中家にいるおじいさんが猫と話し合ったり、歌を唄って眠れない。

みんなできるだけきれいなところに住みたいが、親が金持ちでない普通のサラリーマンや派遣社員が一軒家を買うことはかなり難しい。全てを一軒家に注ぎ込むような暮らしをしなければならない。

貧乏人はお金が入ると喜ぶ。普段からお金があったらあれもしたい、これもしたい、とそればかり考えているからボーナスが入ると買い物に行く。金がなければないほど、投資をする金はないからギャンブルをする。

パチンコや競馬や競輪でたまに10万円勝つと仲間を呼んで酒を飲む。残高が減るのを嫌う金持ちがやってくる。

豪邸に住む金持ちは残高が減るのを嫌うので、いかにしてただで酒を飲むかばかり考えている。

アパート暮らしの貧乏人が家賃収入もある豪邸暮らしの金持ちに酒を奢る。

普段いばることのできない貧乏人が興奮して大きなことを言い、ストレスが発散される。普段より声がでかくなり、声が通って気持ちよくてたまらない。金持ちも金が減らないから楽しく聞いてくれる。

キャバクラで10万円つかいきり、貧乏人と金持ちは別れて帰路につく。腹が減ったので貧乏人は残った380円でコロッケそばを食べながら楽しかった一日を思い返す。まだ興奮が残っている。またギャンブルで絶対勝とう、とかたく決意する。

帰り道で腹が減った金持ちは財布の内側から小さくたたんだ1万円札を取り出し、奥さんを呼び出し、中華料理屋で五目そばにカニチャーハン、春巻き、餃子を食べながら紹興酒を飲みなおす。(山田)

 

 

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金持ちの気持ち 3

 

人口が減りはじめ、周囲に空き家が目立ってきた。5分自転車で走れば数軒は空き家がみつかる。

老人が住んでいた古い家は買い手がみつからないまま不動産業者に引き取られ壊され、再開発となる。

15年も経っていない家もパワーショベルで壊されていくのが目立つ。高齢の親の将来の相続税対策にすごい豪邸が続々と登場している。住居なら相続税対象評価額が8割減らされるから、みな思いっきり自宅に金を注ぎ込んでいる。興味深く完成した豪邸の前を通りかかり、住んでいる人の顔をのぞいてみると、やはり老人、若夫婦、子供の三世代が住んでいて、明らかに相続税対策だとわかる。広い駐車場に高級車が並ぶ。門にも塀にも床にも植物にも芝生にも庭用水道にも置物にも表札にまで無理矢理というほど金をかけている。その家が近づいてくると、かなり遠くからでも目立つから噂になる。印象が強過ぎて世間話に出さないわけにはいかない。人間の考えていることはみな同じで、当然、近所の人も親戚も友達も営業マンも泥棒も詐欺師も、いったいあといくらあるのだろう、と考える。あり金はたいて豪邸に建てかえる人はいないだろう。法律で決められた住居敷地面積で、建物だけではどうつかっても1億はかからないだろう。あんなすごい家に住んでいたら強盗が恐くてセコムなしでは安心して寝られない。

よくいくスナックに自称パチプロのおじいさんがいて、勝金が1万円以下なら煙草に変える。そのおじいさんは煙草を吸わない。スナックの常連客たちの吸う煙草の銘柄をそれぞれ覚えていて、無言で数箱づつ配っている。アルバイトの女の子にはお菓子やジュースを取ってきてくれる。毎晩のことなので、みんな普通に「ありがとう」といって受け取っていくが、今、煙草はかなり高額な嗜好品になっているのだから、もらった方はかなりありがたいはずだ。おじいさんにとってのボランティア活動なのだろう。一人でする、誰にも何も指図されないボランティア活動は楽しい。

おじいさんの着ているものをみて、お金持ちだとわかる。毎日1万円つかって夜5時までパチンコを打ってから2000円で飲めるこのスナックにやってくる。私にも何かくれようとしたことがあるが、私は煙草を吸わないし人前でお菓子を食べない。

おじいさんのお金のつかい方はみていて気持ちがいい。欲しい物をくれるから人気者になる。横からそっと財布の中身をのぞいてみると1万円札と5千円札はなく、千円札が10枚づつ束ねられていた。小銭をたくさんつかい、小銭のつかい方がうまい。みていて気持ちがいいということは、それが正しい金のつかい方なのかもしれない。(山田)

 

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金持ちの気持ち 2


 

金持ちが嫌いなのではない。金持ちはかっこよくて羨ましい。金持ちなのにケチなのが嫌だ。大きな家に住み、いい車に乗り、割り勘分の飲み代を払わない。そういう金持ちが多過ぎる。そういう一緒にいるのが恥ずかしくなるようなのが金持ちの特徴になってしまっている。そういう金持ちはとても目立ち、確実にみんなから陰口をいわれている。

スナックの女の子を何度か飲みに連れて行った。

この子が調子に乗り、私の行きつけの店に友達を連れて飲みに行き、私のボトルを空にし、さらに飲み代を私のツケにして、ボトルに「ごちそうさまでした」と書き残した。

とてもきれいな子だと思っていたが、一気にさめ、気持ちの悪い汚い女にみえ、それ以来、顔もみたくないから彼女のいる店には行かない。人気があって、性格がいいといわれているが、まるで豚のようだ。

なんでああいうことをするのだろう。金持ちでお父さんがマンション経営をしていて、本人も都内の広いマンションに住んでいる。飲み代もタクシー代もいつも誰かに払わせるが、彼女は私の10倍以上金を持っている。金のないふりをして金を持ち歩かず、人の金で飲み歩き、自分の金は自分のためだけにつかう。そんなことをして得をしていると本能的に感じている。親も兄弟も親戚もみんなそういう人たちだからそうなったのだろう。

「今日は私のことを好きなおじさんのボトルを空にして、友達の分もおじさんのツケにして飲んできちゃった」「で、いくら分儲かった?」

家族でこんな会話をしていないにしても、頭の中では計算している。

流行のきれいな服がよく似合っていたが、人の金で買った卑しいかっこうにみえる。交通事故にあってできるだけ長く苦しんでから死んで欲しい。

嫌々彼女の支払いを済ませると、マスターが、「やさし過ぎるんじゃない?」といった。こいつも駄目だ、こんなことに、やさしいなんていわない。3流だ。さすがに頭にきて、もうこの店にも二度とこないから「あなたがツケをみとめるからこうなったんだろ、誰がツケていいなんていったんだよ」と捨て台詞を残した。彼女が私の確認をとった、とウソをいったというが、相手が私でなければそんなウソが通用する店でもないだろう。こんな奴と話しても無駄だ。こいつも私が払わなければ騒ぎ出す。とっとと縁を切り、二度と顔をみたくない。思い出すのも嫌だ。

美しいとは難しい。この女は美しくなんかない。近いうちに誰からも相手にされなくなり、クソババアと呼ばれる。一度だけ、私にだけこんなことをしてしまったなんてことはない。思考回路も行動も、いかにして金を出さないで済むか考え、それが芯から身にしみつき、それが他者からみてどれほど無様か死ぬまでずっと気付かない。

そろそろ勘定になると寝たふりをする、トイレに行ってなかなか戻ってこない。そんな生きる姿勢でいては大きなバチが当たる。みんなから恨まれる人は必ずそうなるようになっている。

性格がいいママがやっているスナックがあって、その子を連れて行ったことがある。後日、私がその子について語っていると、

「どこがいい子なんだよ、いい子なわけないじゃんかよ、そんなの少し考えればわかるじゃんかよ、まったく男はしょーがねーなー」とあきれた。

周囲の人間の、ありもしない長所をでっちあげ、聞くに堪えない低レベルな物語をこしらえる。なるほど、いわれてみれば顔がきれいで、若くてスタイルがいい以外には、いい所は一つもみつからない。(山田)
 

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